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儚さが故の輝き
すいっち(@swiswitchblog)です。
僕は日向坂46が好きでした。
その理由のひとつに、その儚さが挙げられると思います。
儚さの体現者
オードリーの若林さんが武道館でライブをするのに20年かかったのに対し、日向坂(けやき坂)は3年で達成したのが凄いと自虐していました。芸人とアイドルではターゲットにするお客さんが異なるので、その集客の仕組みも違うはずで当然だとは思いますが。(分かったうえで若林さんも言っているんだろうけど)
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むしろ、日向坂はその若さを武器に3年で駆け上がる必要があったのだと思います。色々なものと引き換えに閃光のような輝きを得ていました。儚い。
皆10代、20代でここにやってきて
色んなものと引き換えに今を生きています。
日向坂のドキュメンタリー映画でも渡邉さんは同様のことを言っていたので、現役アイドルの立場から”色んなもの”が何かをはっきりと明言することはできないけど、普段から強く思っていることなんだろうなと感じました。
アイドルという立場から離れる自分が、今後もアイドルを続ける皆を守るための置き土産としての言葉を残したのだと思います。
外野から見た素朴な疑問として、色んなものと引き換えにした結果、彼女たちははたしてそれに見合うものが得られているのだろうかと思います。
しかし本人たちが納得して活動している以上、これより深く考えるのは止めます。いわゆる”普通の生き方”をしていたら得られないような経験を得ているのは確かですし。
儚さへの憧れ
僕が生まれる前の出来事になりますが、山口百恵さんが芸能界を引退してその後一切メディアに出ていないそうですね。上岡龍太郎さんも然り。
お二人がどういった方なのかは現役だった当時を見ていないのでよく知らないのですが、そのスタンスには惚れます。
余韻というか、想像させる余地があるのがいいですね。
鬼滅の刃が人気絶頂でありながら完結させたのも潔かったです。
刹那に陶酔感すら覚えます。
例を挙げるなら、ベタだけど桜が好きです。その潔さ、儚さ。
桜の花が散りゆくさまに美を見出す感じ。
花のない桜を見上げて満開の日を想ったことはあったか?
この歌詞、天才的だなと思いました。僕は歌詞に無頓着なタイプだと思っていましたが、二人セゾンの歌詞は深く心に刺さりました。
少し趣きが異なるかもしれませんが、かつて栄えていた都市が今では凋落してしまった町並みを見るのも好きです。
常に現在を更新し続けようとする人を否定するつもりはありません。それはそれで美しいと思います。
でもやはりその潔さには敵わないなと個人的には感じます。それは自分がその潔さに憧れていながらも、持ち合わせてないことに起因するのでしょう。
僕の人生はもうクライマックスを過ぎたと勝手に感じてるので、もはや余生だと思っています。余生にしてはまだ全然厳しいなと感じてるんですけど。
おわり
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