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キレのある三四郎の漫才を久しぶりに見れて嬉しかった

愛知のライブで三四郎の漫才を見た。

三四郎の漫才を見るのは久しぶりだった。動画であれ、生であれ。三四郎の漫才をはじめて見たのがいつなのかははっきりとは覚えてない。でもいつの間にかのめり込んで、三四郎の漫才を漁りつくした。

三四郎の漫才に惚れてしまっていた。いくつかその魅力を挙げてみようと思う。


小宮さんのワードセンス

小宮さんは「バチボコ」や「どちゃくそ」などの聞き慣れない副詞を届けてくれた。また「吐瀉物みたいなボケ」のような、今まで結びつかなかった単語を組み合わせた言葉は新感覚だった。小宮さんのワードは唯一無二であり、次はどんなワードが飛び出すんだろうとワクワクさせてくれた。

相田さんの動きのキレ

ツッコミを跳ね返すときの相田さんの動き。しなやかでありつつも堅く、キレがあった。吉川晃司さんのシンバルキックの再現を漫才内で表現するときも、そのキレに笑ってしまった。

飄々とした雰囲気で淡々と俊敏な動きをする相田さんのボケによって、面白さがより際立っていた。

予想できないオチ

相田さんが舞台の上から飛び降りて、終わる漫才。こんな漫才見たことなかった。ただ闇雲に奇行に走るのではなく、漫才の枠をなぞったうえで、漫才の枠をどうやって壊そうかを模索しているのが伝わってきた。

三四郎の漫才全てが僕にとって新しかった。
三四郎はきっとM-1の決勝で漫才する日が来るんだろうなと思ってた。


だけど、人気が出て多忙になるにつれ、三四郎(というか小宮さん)が疲れ果てていくように見えた。ラジオを聴いていても、その発言や口調から小宮さんが本当に多忙なのが伝わってきた。

あくまで個人的な意見だけど、

M-1ラストイヤーまでの数年間の三四郎の漫才全体には覇気がなかった。小宮さんは疲れ果て、相田さんも満たされてしまったのか、キレがなくなってしまったように感じられた。

カズレーザーさんからは「M-1で何年も前のやり尽くしたネタをやっているのが悲しい」と言われていて、"確かに"と思ってしまった。
三四郎の漫才を見ると「あの頃好きだった三四郎はもういないのか」と悲しくなるので、M-1ラストイヤー後しばらく離れていた。

そんな理由から遠ざけていた三四郎の漫才を見るのは少し怖かった。

ニュートラル

愛知で久しぶりに見た三四郎の漫才は、「前とは違うけど、これもまた良いな」と感じた。良い意味で尖りがなくなってる。かと言って、媚びてるわけでもない。ましてや、疲れ切ってもない。

「ニュートラル」

この言葉が一番しっくりきた。

二人が自然な感じで漫才してる。プレッシャーから解放されたような漫才。M-1から解放されて、自分たちが一番やりやすい形式の漫才に変化していったのかな。のびのびと漫才しているように見えて、自然と笑えた。

期待

ラジオスターライブで三四郎の漫才をまた見ることができた。出演組数が5組ということもあってか、三四郎のネタも長い時間楽しめた。

相田さんの飄々とした簡潔なボケに、小宮さんがごちゃごちゃ言いながら(もちろん褒め言葉!)、振り回されてる様が最高に面白かった。

三四郎の漫才の魅力を最大限表現するには、M-1の4分という時間は短すぎたのかもしれない。持ち時間をたっぷり使って、5000人の観客の前でバカスカ笑いをかっさらう三四郎はカッコよかった。

小宮さんの結婚もおめでたいし、今後ますますパワーアップした三四郎の漫才を見れるんだとしたら楽しみだなあ。

好きだった三四郎の漫才を、再度好きになれて嬉しかったよというお話。

おわりでーす

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