適当にすることの大切さ
私が大手の会社に勤めていた時の話です。
手芸用品の会社でWebデザインの仕事をしていた時期があったのですが、そこは広いオフィスの一室に80人くらいが机を整列させて職務に取り組むといった環境でした。その中で私は会社の方々を遠目で見ていて、役職が上がるほど適当だな…と思っていました。(もちろん中には全てに全力投球する方もいるのかもしれませんが…)それはある意味、些細なことにいちいち構っていられない、ということなのではないでしょうか。同じフロアに課長が何人もいましたから、課長でもそれぞれ性格の違いや立ち位置の違いはあるものの、適当だなぁと思うことが多かったのです。これは決して悪い意味ではなく、私にとってすごく勉強になったなぁと感じる事実でした。適当になった方が上手くいく、そして押さえなければいけないポイントはしっかりと押さえているので、すごいなぁ…賢いなぁ…と、私はいつも思っていました。その時に感じたことが、今の職場でも活かされていると思います。
私は一生懸命やることが好きなので(良いとか悪いではなくて、好きとか嫌いとかいう嗜好の問題です)適当適当、と言われるのがものすごく腹立たしい時期がありました。というか、中学生の時から付き合いのある幼馴染みがいるんですが、その子にそれを言われたことがとても嫌だったのです。なんでこんなに一生懸命やってるのにそんなこと言うの!?と、悲しい気持ちでいっぱいになりました。
その子は自傷癖があって、手首が傷だらけでした。適当にすると言うのは自分に対する慰めのように言っていた言葉だったのかもしれませんが、当時の私はその子の心の弱さが腹立たしかったのだと思います。(十代の時の話です)自分を傷付けて、性にも奔放で、適当と唱えながら不誠実で不純な行為を繰り返し、その度に自分は悲劇のヒロインなのだと訴えるように、泣きながら私に相談してきていました。かなり悪意のある文章に感じるかもしれませんが、単に私がこの子のことで頭を抱えることが多かったというだけで、彼女自身を否定するつもりはないのです。ただ、本当に理解ができませんでした。当時の私は彼女のことを何とか救えないだろうかと考えて言葉を尽くしていたのですが、彼女自身が決めて選んでいる人生なので、今思うと私が介入できる領域ではありませんでした。
ただ、現在の彼女は高収入の旦那さんと子どもにも恵まれ、家を建てて、今は幸せに暮らしているとのことです。
それはやはり、彼女が「適当」にしてきたからこそ得られた恩恵なのではないかと思います。適当にして、流れに任せて、循環していった結果が、今の彼女の周りの環境を創ったのではないかと私は感じるのです。
私は彼女とは逆で、性に対してあまり開放的にはなれなかったので、次々男性と関係を持っていく彼女に、もしかしたら嫉妬している部分もあったのかもしれません。今の彼の前に付き合っていた相手とも、そのような関係にはならなかったので、今の彼が私にとって初めての相手でした。男性に対しても、セックスに対しても恐怖心がありました。それを解き放ってくれたのも、セックスの素晴らしさを教えてくれたのも、今の彼なのです。本当に感謝しています。頑なになっていた私の心を、彼の適当さが緩ませてくれたのではないかと思います。私のことをとても想ってくれているのだということを感じられる、優しさと思いやりに溢れた素晴らしい体験です。彼と初めて出会った時は、このような関係になるだなんて夢にも思わなかったので、今こうなったのも私が適当になって、流れに身を任せると決めた結果から得られた恩恵なのではないかと感じています。
そして今では、彼女が幸せになってくれて本当に良かったなぁ…と心から思っています。
肩に力が入りながら生きているなという方は、もっと力を抜いてみてはいかがでしょうか?
真面目にコツコツ頑張るのは、とても大切なことだと思いますし、私自身も愚直なほど地道に頑張るという作業自体がとても好きです。しかし、身を粉にしてまで励んだ結果が自分の体調不良となってしまったら、そんなに大きな代償を払う必要があるのだろうかと疑問に感じてしまいます。適当にすることで、作業効率も上がるかもしれませんよ。自己犠牲にならない程度に、自分自身が楽しめる領域で、適当に頑張ってみるのもいいのではないでしょうか。
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