HSL日誌

5月27日月曜日雨


昨日まるで整理しきれませんでした『最後の審判』

早速取り寄せた「鑑賞のためのキリスト教美術辞典」がすごいです
やわらかい図解でいっぺんに把握できました↓

ありがとうございました↑

ということで『最後の審判』のモチーフ等が一度に整理できたところで

私のわかってなかった大事な点は
最後の審判=世界の終末
ということでした

輪廻という発想はやはり仏教的なんでしょうか
イエスの復活も輪廻的発想ではないのだと今更ようやくちょっぴり把握

けれどそれでもミケランジェロの『最後の審判』は輪廻的な円環を想起させる
そう思うのは私だけでしょうか


一方で
昨日比較したルーベンスの方では別の見方が見えてきました

これは私の解釈ですが
ルーベンスの『最後の審判』は劇的な一瞬を捉えているように見えます

どういうことかと言うと
まずイエスやマリアたちのいる画面上層の水平ラインを仮に”地上”と見たてると
イエスが手を振り翳した瞬間
地面は画面中央イエスの足元で真っ二つに避け
イエスたちの場所は天へ上昇
二つに避けた右側は天使たちに引き上げられてかろうじて天へ向かうが
左側は悪魔に引き摺られ奈落の底に落ちていく

そのように見ると画面はドラマティックな戦慄的な瞬間です
まさに人の畏れる「最後の審判のとき」です

これが終末思想というものなのですね

私がどれだけ輪廻的思想を内面化していたか知りました
どうしても円環的なものを想起してしまうのかもしれません

ともかく
「最後の審判」は世界で一度きり
これまで死んだ者も含め一切合切決算される

けれどこれはなにか企図的なものを感じます

なぜならこの決算において最も大事なのは
イエスを信じるかどうかだそうです

そのほか色々考え合わせると「最後の審判」は
教会という”権力”維持に必要なものだとわかってきました

教会という団体を組織するため
イエス的教義を使うあるいはそれらしく新たに作る
これは政治的活動とも呼べそうです

人は人を組織できるからこそ一人ではできない事業も可能になる
政治の力は必要だし政治的と言われる行動は確かに多くの人を導いていく
良くも悪くも最も人間らしい活動の一つです

けれど多くの人は”聖なる”空間で政治を望まない
それがどこか不穏な感覚を呼び起こさせる気がして
物語のアクセントとして都合が良いのかもしれません



そんなふうに『最後の審判』を捉えると
物語の筋書きにうまく繋げられそうです



PLUTOとQが到着した”新世界”の聖堂で起こるのは
PLUTOが触れることで建築物のパーツである人間(神)レリーフが
次々と実存化(実体化)して天使となって天に昇っていくというシーンです
シーン21

そして次のシーン22で
その陰で堕天使も実存化していく
(便宜上天使、堕天使と言っても人間(神)として描くつもり)

これをなんとなく天使と堕天使の二重螺旋の構図でイメージしています
(ミカエルとルシファーの戦いに見立てるつもり)

けれどもう少し整理して「最後の審判」を引用してみます


最後の審判のごとくPLUTOが少年に触れると
礼拝堂のレリーフのうち聖なる者(天使)たちが次々実存化して
渦になって昇天していく

けれどその陰でPLUTOは苦しみ
誤ってレリーフに触れる
それを契機に俗なる者(堕天使)が次々実存化して
天使の渦にかぶさって二重螺旋になる

けれどやがて
俗なる堕天使が攻勢となってバランスが崩れる
それがCITYに波及する

これはアクシデントではなくあらかじめ仕組まれたこと
PLUTOの行動ははじめから想定してあって
そのために連行されたという設定がスムーズです

そして
”なぜかCITYを終わらせたい人”という存在を想起できます
「最後の審判」を発明した”教会”のイメージが重なると面白そうです

結局違っていそうでもあるけれど
”新世界”にはなにか危うさがあるのが良さそうだし
企図的な存在は物語の中で敵役にうまく当てはまってくれます
実際の世界はそんなに単純ではないとも思いますが鮮明な一面でもあります
物語には単純さも必要かもしれません



この「最後の審判」がどうにも理解しづらかったのですが
教会の存在に気がつくと一度に腑に落ちた気がします

壁画についても教義として写る部分は避け
より普遍的な部分に焦点を当てて引用していきたいと思います


さて
ここで私が注意しないといけないのは
礼拝堂はあくまで背景であって主題ではないということです

これは以前も失敗した経験があって
シーンの背景の壁にかかるタペストリーについて詳細に考えすぎた結果
作品としてタペストリーの図柄を制作してしまい
膨大な時間がかかって元のシーンは頓挫消滅してしまい
タプストリーの図柄の制作も中断状態のままという事態に。。

その作品の一部です↓



話が逸れましたが
ここでも背景である建物壁面は
少し視点を変えて取り上げた方がいいのかもしれません

軽く扱うというのではなく
真理としてどこか危うげな印象を与えるもの
構造物としてなにか不安を煽るもの
という存在として取り上げてみてはどうでしょうか

それがCITY崩壊の原因かもしれませんし
崩壊の流れに説得力がつきそうです


私は物語を描くにあたって
普遍的なものを描きたいという思いはありますが
教条的でありたいとは思いません
決めつけもしたくないので
いっそ避けて通るくらいでちょうどいいのかもしれません
どうしても自分の思想が入り込んでしまいますし
それは仕方ないことですが
あからさまに企図してしまっては
通じるものも通じなくなる気もします


のちのち変化する可能性も大いにありますが
少なくとも今はあまり「最後の審判」的教義にはとらわれず
ミケランジェロの肉感的な世界観を引用してみたいと思います

とにかく引き続き勉強です


それにしてもシスティーナ礼拝堂全体本当にさまざまな聖書の題材が出てきます
こうなるとかなりまとまった情報が必要なので
まずは取り寄せた「鑑賞のためのキリスト教美術辞典」を読了しようと思います

また次回です

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