見出し画像

103. 祖母と銀のフォーク

お世辞にもおしゃれとは言えない祖父母の家。

藍色の瓦が光る、古くて、小さくて、急な階段があって、いかにも昭和な雰囲気たっぷりの家。

夏には冷たい井戸水を流しっぱなしにして、スイカやブドウ、梨を冷やしていた昔ながらの台所。

あまりこだわりがなかったのか、
祖母の台所の食器棚には、親戚のお祝い事の引き出ものや、ミスドや薬局のノベルティも祖父のお湯呑みと一緒に並んでた。

なんのノベルティなのかはわからないままの、
アントニオ猪木のキャラクターマグカップが、いい味だしていて、

祖母曰く、「薬を飲むのにちょうどいいの」。


どんなに古くても、昔ながらでも、
私は祖母の台所が大好きだった。

台所に限らず、和室の着物ダンスをあさっては、
祖母の嫁入り道具の着物を羽織ったり、

鏡台の引き出しをあさっては、
CHANELも読めない、知らないまま、
香水をこぼして「変な匂い!」と従姉妹と騒いだり、

本棚から古いアルバムを引っ張り出しては、
モンペとお下げ姿の祖母を見て戦争の時代を感じたり、

母が読まずに怒られたと言う世界名作百科を開いては、
神話やアンデルセン童話を昔の言い回しや漢字を通して、2倍楽しんだり、

私にとっては、宝箱のような家だった。


母からは、喘息の祖母を心配して

「あまり埃をたてないで」
「そんな昔のもの漁らないの」

なんて注意されたけれど、

祖母は嫌な顔ひとつせず、

「いいのよ、好きにさせなさい」
「気になるものがあったら持って行きなさい」

といって、自由にさせてくれた。

ある時、お世辞もおしゃれとは言えない台所で、
カステラを食べようと無造作にいれられているカトラリー立てから、フォークを探していると、一本だけ、本物感のあるもを見つけた。

私「あ、これ素敵。こんな素敵なフォークがあったんだ。
  知らなかった。おばあちゃん、これ使っていい?
 
  え、シルバーって刻印されてる! 純銀製だよ! え?
  なんか、これ見れば見るほど、すごいおしゃれなんだけど?」

(アントニオ猪木マグカップと全然雰囲気合ってないし、誰が買ったの?)

祖母「…いいよ、使いなさい」

私「(ちょっとためらった?)ありがとう。」


カステラをおいしくおしゃれに食べ始めると、
台所の奥から何やら声がする。

母「あれどうしたの?私も知らない、初めて見た。」

祖母「(小声で)おじいちゃんの彼女が結婚祝いに贈ってくれたフォーク」

叔母と母「え?今の今まで取っておいたの??
     っていうか、何十年前のよ?」

私「(おじいちゃんの彼女って何?誰??)」


つまりは、昔はよくあった話で、
親が結婚相手を決めるというケースで、祖父母は結婚。

祖父の母が祖母を気に入って、結婚相手として決めたんだそうですが、

当時、祖父には彼女がいて、
その彼女からの結婚祝いに贈られた銀のフォークを、
祖母は孫の私が見つけ出すまでの何十年間、

子供たちである叔母と母にも知られることなく、
ずっと食器棚のカトラリー立てにいれたままだったということ。



純銀製のフォークは、戦後すぐの当時、相当高価だったはず。

祖母曰く、ペアのスプーンがあったとかなかったとか。。

私がカステラを美味しそうに食べる姿を、
祖父は何も聞こえないかのように、ただただ優しく見守るだけ。


祖母曰く、その女性は、
帰国子女で外国語が堪能な、相当お綺麗な方だったそうで、

確かに、銀のスプーン(フォーク)は、ヨーロッパでは幸運を意味するけれど、当時それを知っていて贈ったのだろうか…

祖父は祖父で、陸上部でスポーツマンで成績優秀、
晩年、入院しても看護師さんから人気者になるような紳士。


祖父とその女性が、どんなお付き合いをしていたのか、
結婚を視野に入れるような仲だったのか、わからないままだけど、


誰もそれ以上、深くは聞かなかったし、
祖父も何も言わなかったけれど、

戦後すぐの時代に、
一人の女性が、高価で幸せを祈るメッセージを込めた贈り物をした、
という時点で、

どんなに祖父を想っていたか。


一人の力ではどうにもならない現実と、
祖父へのどうにもならない想いに、

きっと必死で折り合いをつけた、精一杯の贈り物。


銀のフォーク(とたぶんあったはずのスプーン)。



祖父はとっておかなくていいと言ったとか。

母も叔母も、

「どうして今までとっておいたの?」
「ここ(食器棚)にずっとあったの?」

とびっくりしていたけれど、

でも祖母は、

「大事なものだから」
「いいものだから」

と何事もなかったようにカトラリー立てにしまった。
アントニオ猪木のマグカップのある食器棚に。



片付けの教科書に従うなら、

「もう手放してもいいんじゃないですか」
「銀だし、売れますよ」

と、アドバイスするかもしれない。


アントニオ猪木のマグカップとともに、

「レアモノだから、マニアが欲しがりますよ」

といって、手放すことをアドバイスするだろうか。


いくらかの現金が手に入ったところで、何かが変わるだろうか。

「捨てさせる」ことが、片付けの正解なのだろうか。


好きな人と結婚することが人生の最終ゴールだろうか。

好きな人と結婚できなかった時、
相手の幸せを願って素敵な贈り物をすることができるだろうか。

その贈り物を一生、とっておく懐の深さは、
どうやったら手に入るのだろうか。


私の勝手な妄想で、
祖父の彼女は完璧な女性となってしまったけれど、

アントニオ猪木のマグカップを気に入って愛用していた祖母を、
私は大好きだし、

祖母の形見のワンピースは今でも私のお気に入りで、
息子の卒園式や行事にも着ていく大切な一着。

クローゼットの大切なコーナーにカバーをかけて大事にしまってある。



祖母が娘たちのために選んで、これ!と思って月賦で購入したという
振袖も大好きだった。

叔母と母、数十年後に私と従姉妹が着れるほど素晴らしい着物だった。

もちろん、そのままのお下がりはかわいそうだからと、
それぞれ異なる帯でコーディネートされて、

それぞれ私と従姉妹が、
自分の母親と同じ帯を締めて、成人の門出を祝った。

昔ながらの兄弟が多い中で育った、
次女だった祖母ならではの気遣いだと思う。


成人式の朝、
何十人という成人を分刻みで振袖を着付ける着付け師の方に、

「違う!絹の質が違いますね」

「あまり大きな声では言えませんが、
 ポリエステルが多くなってきているので、
 いいお着物の着付けすることができて嬉しいです」

と、思いがけず褒められて誇らしかった。


今、その着物は、娘がいる従姉妹が持っている。
きっと、姪っ子?(従姉妹の子供はなんて言う?)が数年後に着てくれる。

息子しかいない私は、ちょっとだけ羨ましい^^

こればかりはしょうがない。
祖母を見習って、アルマーニにスーツを買いに行くことにしようか。



私がジャッジすることではないけれど、
祖父の母は正しかったのかなと思ったりする。


50年連れ添って、祖父が先に亡くなったとき、
寂しくてつらくて喘息が急激に悪化して緊急入院した祖母。

このまま祖父が祖母を連れて行ってしまうんじゃないかと、
祖母が祖父を追いかけてしまうんじゃないかと、
二人同時に、大切な人が去ってしまうのではないかと、

子ども心に本当にハラハラした。


戦後とは思えないような、
精一杯のお祝いを贈ってくれた素敵な女性も、

きっと祖父よりもっともっと素敵な男性と出会って、
幸せな人生を送ったはず。

確かめようがないけれど、そう信じたい。

心から彼女の幸せを祈って、心からの感謝を伝えたい。

祖父を好きになってくれて、
祖父母に素敵な贈り物をしてくださって、ありがとうございました。



だから、私は捨てることをやみくもにはすすめない。

勧められない。


モノが多いのは、
生きてきた証であり、人には言えない思い出だったりする。


時間が許すなら、
モノにまつわるストーリーを何時間でも聴いていたい。

時間が許すなら、
話し疲れた後、
「よし!片付けよう!」

という気持ちが自然と沸いたとき、初めて、ゴミ袋をお渡ししたい。






記事の内容がおもしろいと思っていただけたら、応援、サポートしていただけると嬉しいです。書籍費用・活動費に使わせていただきます。