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逆転のA

「小さい子供たちと遊んでくれん?」と頼まれた。暇そうな大学生に見られたことは甚だ遺憾ではあったが、「面倒見のいい男子はモテるで」という甘言に騙され、ふにゃふにゃと二つ返事で承諾してしまった。そういうわけで、単身児童会に乗り込んだわけである。

普段小さい子たちと関わる機会が無いので、どんな遊びをするか決めるだけでも手探り状態になってしまう。

手加減するのが苦手な性分で、ついつい本気になってしまい危険だから、スポーツは✕。
ゲームは近くに無いからパス。
お遊戯するほど年少でも無いので、手遊びもダメ。

「じゃあ他に何があるかな」と皆でふんふん悩んでいると、子供の一人がオセロを持ってきた。なるほど名案と思って「オセロ知っている子どんぐらいおる?」と聞くと、オセロを持ってきた少年以外誰も知らないようだった。頭脳ゲームに触れる良い機会だと僕はオセロのルールを説明し始めた。

・・・

オセロ大会が始まった。
初戦は、僕と唯一オセロ経験のあった小学生である。

ぱちぱちと交互に石を置いていく。そして相手の駒をひっくり返していく。そんな単純なゲームが面白く見えるのか、子供たちは目を輝かせた。「黒と黒で挟んだら間も全部黒になるんだね」と今さっき知ったばかりのルールを口々に叫ぶ。「ああ端っこがとられた!」「でもまだ黒が優勢だぞ!」「勝て勝て!」

……ファーストインプレッションがマズかったのか、僕の白陣営を応援してくれる子が一人もいなかったのはここだけの話である。


そして盤面を覗いてみると……

最初の方は血気盛んに攻め立てていた黒(少年)だったが、ひっくり返せる石が少なくなってくると途端に苦しくなり、終盤で一気に白(僕)に逆転されてしまった。勝負事で負けるのが嫌いで、ついつい老獪になってしまった僕はまだきっとかなり幼い。少年一同、社会の厳しさと大人の醜さを身を持って体感したのか、万感の思いで引いていました。

そして泣きそうになっている少年に若干の申し訳なさを覚えつつ、最後の一撃を投じて深々と礼をしようとした時だった。


「あれ、黒と黒で挟んでいるのに間が黒くない」と一人の子が言い出した。盤面を見ても意味が分からず怪訝に思って周りを伺ったが、周りの子供たちも「ほんとだ」「ルールと違う」「お兄ちゃんズルしてる」と口々に言い始めた。子供たちの言い分を聞いていくと、だんだん訳が分かってきた。

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これだと「黒と黒で挟んだら間も黒くなる」にならない

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「黒石の間の白石を返せばルール通り」

そんな馬鹿な、と思った。それではオセロのルールが崩壊する。「端の列を取ったらほぼ勝ちになるというルールになったら戦略もくそもないではないか!」僕はそう言ったが誰も聞いてくれず、相手の子もルールを知っているはずなのに知らんふりしやがる。少年相手に法学で培ってきた論理力をぶちかますわけにもいかず(そんなことしたら僕が怒られる)、石がひっくり返されるのをただ見ているしかいなかった。

こうして白優勢が一転して黒が大逆転をぶちかまし、最後の一撃を投じるつもりが最後のため息のような攻撃になり、僕はあえなく敗北した。ぐやじい。

その後も僕は負け続けた。新ルールに適応する間もなく子供たちは新ルールを作り続け、たまらず僕もルールを作ると「意味わから~ん」と泣き出し、慌ててやって来た先生に事情を話して平謝りし、ようやく解放されてみんなのところに戻ると「オセロとじゃんけんとあっち向いてほいが融合された新感覚のeスポーツ」なるものが誕生してた。僕はそこでお医者さんをしました。社会人の皆さん、社会ってそんなに厳しいんですか?



さて、リバーシという言葉は「ひっくり返す」という意味がある。文字通りリバーシというゲームは、石を「ひっくり返す」ことで勝敗を「ひっくり返す」というゲームだ。リバーシは、最初は出来るだけ石を取らずにいて最後に大逆転する、という勝ち方が定石になっている。最初から逆転ありきのゲームなのだ。

しかし今回、僕は定石どおりに攻めて敗北した。まあルール改変という禁じ手があったからではあるが、一方で「ルールそのものを逆転させて勝つ」た少年たちの方が一枚上手だったような気もしている。「『どうしたら勝てるのか』考えて安直に定石を選び取り、それがいつの間にか『どうしたら定石に落とし込めるのか』と別の目的にすり替わっていた」ーそれが敗因なのかなと今では思う。

勝利への欲が導き出すreversal Aの解。「逆転のA(発想)がV(勝利)を引き付ける」と、それっぽいことを言って締めるんたい。






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