自由ってなんだ?

自由って何でしょう?

自由なことは良いことでしょうか?

ほんとに自由にすべての人がなったら....世の中は終わりでしょうね。

自由ということは縛られるものがないということです。
音楽を例にしてみましょう。

自由な音楽ってどんな音楽?

アドリブが多い音楽?
アドリブするんだってコード進行があり、リズムがあります。

これは本当の自由ではないですよね?

つまり決まりごとがある中での自由です。

ホントに自由とはフリージャズの世界?
確かにフリージャズにはコードもリズムもない。
でもフリーやってる時に津軽海峡冬景色歌っても良いんでしょうか?
だめでしょうね。
フリージャズにはフリージャズの、縛られないことによるフリージャズの世界があるはずです。

ということは完全に自由ってことは「一人きりで演奏する」という以外に道がありません。
一人でやっているなら、ハーモニーを途中で思うように変えたりリズムを変えたり好きにできます。
でも誰かとアンサンブルするなら...約束事があるおかげで誰かと一緒に演奏できるんです。

子どもが何人かで遊んでいる時に缶蹴りやっていて(今の子は缶蹴りなんてやらないですね)、友達がからかって一人の子がずっと鬼になるように他の子が手を組んだとします。

実際私もそういうことされました。
これは最初、鬼の子が友達に仕組まれたと、思わないうちはゲームは続いていくでしょう。

ところが何度かやっておかしいなと思い始める。
するとどうして俺がそんな事されなきゃいけないんだ?と思うようになる。
すると鬼にされ続けた子はゲームをする意志を捨てます。

で、そこで一人で勝手に違う事をし始めたとすると他の子からするともうその子は一緒に遊んでいる中から外すしかない。

でもこのケースはどちらもそのままではいけないんだ、と思います。

周りと手を組んで一人の子を鬼にし続けるということはいじめと同じです。
いじめの根本はここにあるんだと思います。
している側はいじめとは思わずにゲームの延長だと思う。
でもされている側からするとこれは自分を周りとは切り離そうとしているに他ならない。
これがエスカレートしたものがいじめになる。

それがわかって一人で他の事を始めた子。
これは一人で何かをする勇気を持たなくてはいけない。
他の事を始める前に他の子に「もうつまらないから帰る」とか言うのは社会のルールなのかもしれません。
でもこれは明らかに周りの子のほうが非が大きい。

ようするに汚い手を使った、ということですから。

ではその一人になってしまった子はホントにそれで良いんでしょうか?

友達なんかいなくても良い、とその時は思うでしょう。
実際私はそう思いました。
で、その後ずっと一人のままで本人が良ければそれで良いと思う。
でもだいたいの子はそうじゃない。
仲間はずれにされるのは嫌だけど友達は欲しいのです。

私はその時に、その子達と一緒に遊ぶのをやめました。
他にも友達になれる子は沢山います。
その子達だけが友達になれる子じゃない。

私の子どもの頃はわりといじめられ人生でした。

学校から帰りにナゼか何かつけられているような気がするので後ろを見ると前は一緒に遊んでいた友達(だった子)達が影に隠れて後ろからついてきます。
中には石を投げてくる子もいました。
ここまでくると完全にいじめです。
遊びではない。
中には自分のウチとは逆のほうなのに面白いからと他の子に誘われて遠回りをして石を投げてくる奴もいました。
私は完全にその子達と関わる事をやめました。

あの時は「それで良かったんだ」と今でも思います。

やがてそれぞれ大きくなり中学生になると少し成績とかが子どもの生活に関わってくるようになる。
以前私に石を投げた奴が勉強ができないでいると「ざまあみろ」と思いました。
これは今思うと私の考え方が少しおかしい。
でもそう思ってしまうのが当たり前でしょう。

もう少し時が経ち、私はギターを弾き始めた。
中学生くらいは一番そういうことに興味ができる年頃です。
(今はわかりませんが)

当時ギター弾いていた子より少し遅れてギターを始めた私はギターを弾いてるやつと友達になりたかったんです。
ギターはそのためのツール、いわばゲームの一つでした。

とりたててすごく勉強ができるわけでもなく、野球も上手くない。
でもギターは始めて数ヶ月で周りに追いつきました。
耳が良かったんでしょう。
友達に最初に誘われたバンドはペースで、でした。
が、なんにもわからないにも関わらずツェッペリンの祭典の日のベースが(めちゃくちゃだったとは思いますが)弾けたんです。
誘った友達はすごいと言ってくれました。

自分にもできることがあった、とその時に思いました。

他のバンドでギターを弾いている中に昔私に石を投げた奴もいました。

でもその時はもうそんなことは(忘れたわけではありませんが)どうでも良かった。
一緒のバンドとかなら嫌だったかもしれませんが。

それからはバカまっしぐらです。
寝ても覚めてもギターのことばかり考えていました。
するとその分まわりより上手くなる。
高校では軽音楽をやっているところにはいりましたが、その中でも上手い方でした。

ここまでくるともう友達が欲しいからと始めたギターは元の動機はなくなりました。
だって知らない人から電話かかってきて「俺、〇〇と言いますがバンド今度やりたいんで一緒にやってもらえますか?今度の日曜にウチで練習するんでバイクで迎えにいくんでよろしく!」って怖い口調のお兄さんから電話かかってきたりしたんですから。

だいぶ、話が逸れました。

自由について、でしたね。

自由はなんだか自由でない生活をしている人からみると憧れるのかもしれません。
現にわたしのような会社に勤めているわけではない生活をみて羨ましがられることをあります。

でも自由ということは実は自分が自分を律していかないとほんとにめちゃくちゃになります。

つまり自由、ということは自分に対して一人だけのルールを作ることです。
でないとただの大バカ者になってしまう。

これができるなら他からみた自由になるのは良いと思います。

それができないなら自由になるべきではない。

一人でソロギターをやる時には、ホントの自由ではなく、一人でコード進行を決め、テンポを出し、全部自分でやらなくてはいけません。

それをするには技術が必要です。

他からみた「自由」は自由ではありません。

それには覚悟と確かな意志、技術が必要なんです。

自由、ってさ、Giant Steps練習してる奴がBlues弾くようなもの、じゃないのかな?
さんざん約束事の中で練習して、弾く時には全部忘れる。
そんな気がする。

勝手な意見かもしれないけど。

#自由
#音楽
#ギター
#友達

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