音楽家のための音楽

自分が学ぶべき音楽と演奏する音楽は同じである必要はないと思う。

しかし今は世の中的に音楽で生きていくのは難しい。
前よりもウチに習いに来てくれる人達の年齢層は広がっている。
下は就学前から上は定年後の方まで。
それは素晴らしいこと。

ではなぜ我々音楽家は生きづらいのか?

趣味としての音楽と生活のための音楽は違う。
音楽で生きていこうとするには覚悟が必要になる。
覚悟はある意味賭けであり、他を棄てることから始まる。
趣味として、は音楽はやりたいがそこまで必死になってまでやりたくない、できない、と思う人が多い、ということだろう。
しかし趣味としての音楽、とそれで生きていくことは別のこと。
音楽で生きていくには音楽が「行為」であってはいけないと思う。
食べる、寝るというようなことはやろうと思ってやることではなく生きていくためには欠かせないものだ。
これと音楽が限りなく同じものにならない限り音楽で生きていくことはできないだろう。

音楽にはいろんな音楽がある。
どれも素晴らしい。
しかし多くの人に理解してもらえるものとそうでないものとがある。
私は自分のライブではジャズをやっているがそれには理由がある。
もちろん好きだからやっているのだが、ジャズはおそらく方法論してはもっとも難解なものの一つだろう。
つまり私はそれに挑むことで自分のレベルを一歩でも上げたい。
そのためにやっている。
おそらく自分の得意なこと、はそこでは無いのは自分でわかっている。
私の師事していた先生はどちらかというとラリー・カールトンのようなギターを得意とする人で考え方、音楽性ともに多くのものを学んだのもあって私もそういう「ブルースを基調とするインストルメンタル」はあまり悩まずに演奏できる(と思っている)。
これはそういう音楽が「簡単だ」ということではない。
自分にとって自分の庭みたいなもので、自由になりやすいというだけ。

しかしそれもジャズを学んでいくからこそ楽に演奏できると思えるようになるのだと思う。

このような音楽はジャズという音楽があるからこそ成り立つ音楽であって、カールトンもジョー・パスに師事していたのは有名な話。
方法論としてのジャズは学び続けなくてはいけない。

ところが今はカールトンはおろかジミヘンさえも知らない人が音楽を学ぼうとしている。
知らない人達には教えればいい。
私もそうだった。
先輩や先生からいろんな音楽を教えてもらっていろんなものを聴いた。

それが今は教えても理解するのに時間がかかる。
趣味としての音楽ならそれで構わないが、逆にいうとそれが理解できないから趣味にしかならないのではないか?とも思ってしまう。

音楽には聴き方がある。
私は自分のために聴くのはほとんどジャズ、フュージョン、あるいはジョニ・ミッチェル、マイケル・フランクス、スティーリーダンのようなジャズに傾倒している歌ものの音楽などがほとんど。
でも仕事として聴くもの、もある。
演歌、ポップス、ロック、その他なんでも仕事をする上で必要なものは聴く。
ロックは学生の頃好きだったのもあり、今でも好きなバンドもある。
ポップスは仕事としてはもっとも需要が多く、施設に慰問に行ったり、ギターを習いに来る人達の多くがポップスを弾けるようにという目的を持っている。
それらを否定するつもりは全くない。

でも音楽家として生きていくためには学び続けなければいけない。
ポップス、ロックなどはジャズの方法論を多く取り入れて進化してきた。
方法論を学ぶのはジャズから、ということ。

音楽で生きていく上で、好きなことだけやって暮らす、と思ってやっていけるほど音楽は甘くない。
好きなことだけしかやりたくない、のは好きなものしか食べたくない子どもと同じだ。
それで音楽で生きていこうと思うな、ということ。

確かにジャズは金にはならない。
私のライブでもそれほどたくさんの人が来てくれる訳ではない。
それでもジャズは演奏する、学ぶに値するものであるからやっている。
これを辞めてしまうと自分の進歩は止まってしまうと思う。

ジャズを好きになれ、というつもりもない。
しかし、ジャズを理解することは音楽家としては大切な事だと思う。
リズム、ハーモニー、メロディー全てが難解で特にリズムとハーモニーにおいてはこれを理解することは音楽家としての技術を追求する上では全ての音楽家において必須だと思う。
今でもジャズをやっている音楽家のほとんどは経済的にはほとんど儲けにはならないが自分の成長のために演奏している。

学ぶことと自分の音楽は違っていい。
それは別のこと。

なんどかとりとめのない話になってしまったが、音楽を教える上でジャズは欠かせないものであり、それを学んだ上でロックなりポップスなりをやる。
それでいい。

それならジャズという方法論を学校で教えることはとても意味のあるものになるだろう。
それは確かに売りものにはならない。
でもなくしてしまってはいけないと思う。

アラン・ホールズワースはエディが有名にしたが、アランはずっと彼の音楽、姿勢を変えてはいない。
彼のような音楽は確かに売れるようなものではない。
でも彼がいなけれぼおそらくエディは今のようにはならなかっただろう。
アランのような音楽家がいることで多くの人に理解しやすい楽しめる音楽は作られていく。

ジム・ホールもそういう人だろう。
ジャズをやらない人でもパット・メセニーは知っていると思う。
ユーミンのコンサートで開演前にかかったりしてるのは有名な話。
最近ではアニメでも使われている。
パットはジャズギタリストとしては超一流だが、彼もおそらくジムがいなければ今の彼のようにはならなかったはずだ。
パットのすごいところは、あの誰にも好かれるような音楽を「創造物」としてやったこと。
彼の本質は今も昔も変わらないジャズなのだ。

音楽家のための音楽。
これは概して売れないものだと思うが、それがなくなっては音楽家は成長しない。

ぜひ音楽家のための音楽、もっと大切にすべきだと思う。

話は変わるが、先日学校へ行く前に渋谷で昔教えていた生徒に偶然あった。
もう7、8年前になるだろうか。
私に3年ギターを習っていた。
今でも当時一緒にやっていた仲間とバンドをやっているらしい。
こういうことは教える側の人間としては喜びの一つ。
とても心が暖かくなった一瞬でした。

#ギター
#音楽

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