週刊・主観 その31 『雑文 内輪ネタ』

 すいません、バタバタが佳境なので雑文とさせてください。
 何故バタバタなのかは近日中にわかる予定です。このnoteを毎週チェックしてくださってるあなたにはきっと喜んで頂けるバタバタのはず。しかし同時にバタバタの時点で絶対誰かには迷惑かけている。バタバタは善でもあり、悪でもあるのだ。

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 「内輪ネタ」という言葉がある。
 weblio辞書によると(検索したらweblio辞書とニコニコ大百科とpixiv百科事典しか説明してくれてなかった)

特定の集団でしか通用しないネタを意味する語。集団の内部では盛り上がっても、外部の人にとっては意味不明であることが多く、その集団が排他的、閉鎖的であるなどの悪印象や、嫌悪感を持たれることもある。

weblio辞書 「内輪ネタ」

とのこと。
 ここに書いてある通り、「内輪ネタ」という言葉が肯定的な意味で使われることは少ない。用例を作るとしたら、「誘われたから飲み会行ってみたけど内輪ネタばっかでつまんなかったなー」みたいな感じだろう。
 
 ただ、日常生活の中で「内輪ネタ」を意識するシーンは少ない。人間は基本的に内輪の中で生きているからだ。「内輪ネタ」というものはあくまで外側から観た時に生まれる事象であり、内輪の内部にいる人間にとって「内輪ネタ」は「内輪ネタ」ではない。こう考えると、例えば「あるある」なんかは広義の「内輪ネタ」と捉えることができるだろう。「テストの前日部屋の掃除しちゃいがち」というあるあるは、テストの前日に部屋の掃除をしたいと思ったことすらない人間から見れば、知らない世界の「内輪ネタ」だ。

 この「内輪ネタ」という言葉が、特に侮蔑の対象となりがちな界隈がある。演劇やお笑い等、創作の分野だ。全然売れていない地下芸人の暴露話し、知らん劇団をいじるくだり・・・。内輪の外にいる人間からしたら、金と時間を費やして意味のわからない時間に付き合わされるわけで、堪ったもんじゃない。じゃあなぜ作り手は「内輪ネタ」を選ぶのか。自分らがやってて面白いから、という理由ももちろんあるだろうが、わたしが考えるに、内輪側のウケが内輪外の不満を差し引いて余りあるものだからではないだろうか。
 

 このコントが対象としている「内輪」は「ワンピースをある程度知っている人」だろう。もちろんよく知らない人でも面白く観れるようにつくられてはいるが、「エネル」「魚人島」「ヒルルク」「チョッパー可愛かった」等の単語の意味がわかった方が絶対楽しめる。(或る用語や知識を知らないと100%楽しむことができないという点で、もしかしたら古典文学や歌舞伎等も「内輪ネタ」の性質を持っているのかもしれない。)
 もしこの客席にワンピースを全く知らない人が座っていたら、何故このコントがこんなにウケているのかわからないかもしれない。それでもダウ90000がこのコントを披露したのは、ポカンとしている人の存在を差し引いても余りある程ウケを貰えるという確信があったから。そして、ライブハウスまでわざわざ自分たちのコントを観に来るお客さんはこのネタの面白さがわかる「内輪」だと信じていたから、だと思う。いやマジでそうだろうかたぶん一番は単純に面白いネタ思いついたんで人前でやってみたかったからだと思いますすいません。

 「内輪ネタ」を避けるということは、内輪から発生するであろう莫大なウケを逃すということでもある。この「逃すウケ」について考えてしまうことがある。「内輪ネタ」だけでなく、不謹慎ネタや下ネタにも言えることだが、本来そこに生まれるはずだった「ウケ」を、笑わない、笑えない人々の存在を理由に捨ててしまうことに感じる勿体なさ。これは、お客様に対する誠実さの表れなのだろうか。それとも、快感欲しさに人を退屈させたり傷つけたりする恥ずべき感情なのだろうか。おそらく、どちらでもあるのだと思う。


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