ちーぼーいのちとは何か
野原ひろしの名言として語られることが多いが、この名言の初出は必ずしも明らかではない。
パワプロのセリフだという説が有力であるが、とはいえ、そのことは本稿において重要でもない。
「正義」というものは「絶対的」なものではなく、ほとんどの場合において「相対的」なものである。
そのことを意識して生きるのとそうでないのとでは、生きづらさが圧倒的に異なることを知っていた方がいい。
「ちーぼーいのち」の話である。
「いのち」とは、捉え方によっては穏やかでない。
何らか狂信者でもない限り「対象となる他人のためになるならば、自分の命を犠牲にしてもいい」と"本心で"考える人はいない。
言葉にするのは簡単である。
「君のためなら死ねる」
軽薄な誰かにそう言われたら、私なら
「では、今から舌を噛みきって死んでみせて欲しい。そうすれば私は明日から絶対的な自信をもって生きていけるから。ありがとうありがとう」
と言うだろう。
死は救いではない。
死は誰にでも訪れる終わりであり、その先に自身の感知できるものはなく、したがって自身の死の先に何かを託すのは結局のところ自己愛でしかない、ということに留意する必要がある。
では「ちーぼーいのち」とは何か。
少なくとも「私の発する「ちーぼーいのち」」とは何か。
それは私にとっての「正義」に似ている。
実態を鑑みれば「頑張ってね、応援しているよ」ということを相対的な観点から述べているに過ぎない台詞である。
とはいえ、「いのち」と言う以上、現時点においてはそれが自分にとっての最適解だと考えていることの証左でもある。
つまり「今現在、ちーぼーは私の最推し(の一人)である」と言っているのだ。
なお、八丈島は強風の影響で飛行機や船がけっこう欠航する。この事にも留意が必要である。
はい、この話おしまい(థ▽థ。)
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