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白鳥静香先生の言葉より 124 ~和歌を詠むこと

白鳥静香先生の言葉より 124 ~和歌を詠むこと

 私が「和歌を詠んでいる。」と言ったとき、

ある大学の講師は、私に

「和歌や詩なんかやって何の意味があるんだ?

それで社会がどうよくなるのか?」

と言いました。

 同じことを、ほかの何人もの人に言われました。

 そのなかには、

社会ではエリートといわれる学校を出て、

エリートといわれる職業についている人たちも

たくさんいました。

 私ははっきり言っておきます。

「私はどのような存在にも意味がある。」

ということを証あかししたくて和歌を詠んでいるのです。

 どのような小さい、

どのようなつまらない、

たとえば、

社会から捨てられたり、

無視されたり、

意味がない。

といわれているような存在にも、

人だけではなく、

たとえば、道ばたの雑草のような、

人から意味がないといわれているものにも、

すべての存在には意味があり、

尊厳があり、

美しさがあり、

光がある。

ということを証あかししたくてやっているのです。

 私は、その人たちの考えている「社会」のために

ではなく、

(その人たちの考えている「社会」が本当の

人間社会かどうかは議論の余地があるでしょうが。)

その人たちが捨てたもののために和歌を詠んでいるのです。

 なお、許されるならば、

私の方からもその人たちにひとつ問いたいのです。

「社会をよくするから意味がある。

会社をよくしないものには意味がない。」

というのなら、

あなた方のその考え方は、

ナチスドイツの官僚たちの考え方とどこが違う

というのでしょうか?

どちらも、存在を「存在」によってではなく、

「社会にとって役に立つかどうか?」

という物差しのみで意味を量ろうとしている

ということにおいて

変わらないのではないでしょうか?


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