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わたしのこと(3)

振り返りはあくまでも今の視点からの作業なので主観の選別が難しい。これは本当にあの頃の自分の言葉なのか。安易に美化しないように一つずつ選んでみる。

その夏も暑かった。学生寮で勉強するのは気が狂いそうになるので流石に実家へ帰ることにした。正直この時期の記憶はあまり残っていない。受験先は2校まで絞った。進学後に何を学び何を研究したいか、自分の実力に見合っているか、色々考えてここが妥協点だった。

一般的に偏差値が高いと言われている学校の受験日が先だった。筆記だけの一次試験に通れば、二次の口頭試問に進める。やれるだけやってみた。が、試験中に感じた。落ちたな、と。
帰宅から結果発表日までの記憶はほとんどない。ただ、父にどうだったか聞かれ、気を使ってくれと八つ当たりした気がする。最低だ。
そして、やっぱり落ちた。悔しさよりも後が無い不安で毎日吐きそうだった。この日々を大学入試以前から味わっている友人達は凄いなと、心底思った。後回しにしてきた経験と感情に向かい合うだけなのに、弱い私はそれすら消化するのが精一杯だった。

もう1校は確かお盆前後に受験した気がする。落ちた学校と違い口頭試問もセットで消化するのでスーツと革靴を引っ張り出した。ボロボロの革靴を見兼ねて母が新調してくれた。三千円程だっただろうか、後に就職するまで大切に履いた。申し訳なくて布団の中でバレないように泣いた。
そしてやっぱり試験の記憶は殆ど無い。あっと言う間に終わってしまった。正直手応えはあった。が、あり過ぎた。ボーダーが全く想像できなかったことが不安だった。
結果発表は夏休み明けだった。その後の夏休みはほぼニートのように過ごしたはずだ。何をしていたのか本当に思い出せない。

学生寮に戻った。既に友人が合格を決めていたので、なんとなく肩身が狭かった。発表日まで一週間程度だったか。ただただ憂鬱だった。
そして当日、疲れ切っていたのか昼食後すぐに眠りについてしまった。起きたのは14時半頃、すでに発表から一時間以上過ぎている。
半分諦めながら発表サイトを開いた。



あった。

私の番号は、確かにそこにあった。



何度見返しただろう。気付いたら同部屋の友人と抱き合っていた。涙が止まらなかった。私の大切な親友、彼も一緒に泣いてくれた。
泣きながら両親に報告の電話をした。ド平日の職場で、両親も泣いていた。期待を裏切り続けてきたからか、あまり褒めてもらえなかったからか。「おめでとう」、その言葉がとても嬉しかった。私はずっと誰かにそう言ってほしかったのだ。そう言ってもらえるような、後ろめたさのない、胸を張れる自分になりたかったのだ。与えられたものではなく、私が培ってきたものを見つけてほしかったのだ。
大学入寮日、大好きな母は最後まで納得せずに、悲しい目をしていた。私はずっと寂しかったんだ。自慢の子供だと、笑いかけてほしかったんだ。

人生で初めて、自分で掴み取った権利。ゴールではない。やっとスタートラインに立てただけだ。
それでも、私にとってはそれが何より大事だった。自分で選んだ未来には、自分で責任を持つことが出来る。自分の人生を自分のペースで歩んでいける。私の選択を尊重してもらえる環境を、信頼で勝ち取った。

その日、私は私をやっと許してあげることが出来た。
遅くなってごめんね。もう一人じゃないよ。

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