真空管図書館(ガブリエラ×無音ちゃん)

「ガブちゃん劇場に行くの?劇場は今日休みだよね?」
そう問いかけてきた声の主、逢瀬つばめは、赤くて丸い瞳を不思議そうにこちらに向けてくる。
「馬鹿ね、休みは明日でしょ。」
「あ、あれ!?そうだっけ!?私卯月さんと遊ぶ約束しちゃったよ!?」
ド天然な彼女は、私が適当に着いた嘘にも、期待以上の反応を見せる。今日もつばめらしさが溢れている。
「なんてね、嘘よ。ただ劇場の図書館で本が読みたいだけ。」
「良かった〜、そうだよね、私が仕事なら卯月さんだって仕事だもんね。」
「それはシフトによると思うけど。」
「でもなんで劇場なの?大学の図書館の方が沢山本あるよね?」
至極真っ当な質問をぶつけて来るつばめ。
「そうねぇ。学校より劇場の方が静かだから、かしらね?」
その問いに、私はとても曖昧な返事をした。
「静か?うーん…そんなに変わるかなぁ?」
首を傾げるつばめ。
「変わるわよ。とてもね。」
次は、ハッキリした返事をする。
「じゃあまた明日ね。」
「えっあっうん、また明日!」
挨拶を済ませて、私は劇場に向かった。
劇場までの道はそう遠くない、少し歩くと、もう視界に入って来る。
都会の喧騒の中、私が歩を進めて居ると、ふいに、16時のチャイムが鳴り響いた。この時期、16時と17時には大きなチャイムが鳴る。劇場の中に居ても聞こえる程の大きな音なので、私はあまり好きではない。チャイムが鳴り終わると、さっきまで意識もしていなかった音が浮き彫りになる。車の音、カラスの鳴き声に人の話し声、更には子供の遊ぶ声。いつもは意識しないような、そんな平凡な音達にも、最近は意識が向くようになった。それ以外にも、例えば自分の心音とか、学校の図書室で唯一音を立てる時計とか。
日常を生きて居れば、絶対に気にしない音たちにも。
私が子供達の音に意識を奪われて居ると、不意に、聞き慣れた声を掛けられる。
「ギャヴィ?どうしたんだ?今日は劇場は休みだぞ。」
声の主は、この劇場の館長、東雲真幌だった。コンビニの袋を持って居るので、大方暇を持て余してお酒でも買いに行ったのだろう。
「ちょっと図書室に用事があってね。」
「またか?別に入り浸っても構わないが、大した本は置いて無いだろ?」
「特別な部屋になったのよ、あの部屋は。1人のクランが気に入ってるの。」
「なるほどな、そのクランと話込んでるって訳か。」
「正確には、顔を見ているだけね?」
「???」
私の返答に、まほは疑問を浮かべたようだが、特に質問をするでも無く、裏口の鍵を開けた。
「私が先に帰る時はお前の靴に鍵を入れて置くから、鍵をかけて行ってくれ。裏口以外は全部閉まってる。」
「まほは話が早くて助かるわ。」
「それじゃ、私は部屋に行くから。」
「りょーかい。」
真幌と別れて、目的地へと向かう足を早めた、カーペットを踏み締める音が足を伝わる。劇場はそこまで広くないから、すぐに扉の前へと辿り着いた。そして、今日の私の目的地の図書室へと足を踏み入れる。色も、温度も全くもって普通の図書室。でもそこは、日常で消える筈の無い、大事な物が欠けている。でもそれが、酷く落ち着く。
私も、この部屋の主も。
今日もその主が居る事を察すると、図書室中央のテーブルへと向かう。
私がテーブルに座っている彼女を視認しても、彼女は中々私に気付かない。読んでいる本に夢中のようだ。
あと少し近づけば手が届きそう、と言うような距離まで近付いて、ようやく彼女は私に気付いた。
本から目を離し、此方に顔を向けて笑みを浮かべる、私に似た髪色の少女。
私も微笑み返して、鞄の中から本を取り出し、彼女の前の席に座った。
出会った時はもっと無表情だったのに、最近は笑顔が増えた気がする。
無表情の方が、何処か似合って居たような気もするけど、笑顔は笑顔でいいものだ。
彼女はニコニコしながら私をひとしきり見つめると、目配せをしてから本へと視線を戻した。それを見た私も、本へと意識を落とす。
お互いに、別段意思の疎通はせずに、ただ本を読む。静かに、静かに。
ページを捲る音も、紅茶を啜る音も、果ては17時のチャイムすら聞こえない静寂の空間。もちろんこのクランとも、音で会話した事は無い。
私が本に夢中になっていると、彼女が不意に足をぶつけて来た。視線を彼女に向けると、口を尖らせながらWAVEの画面を此方に向けている姿があった。マナーモードを外していたスマホは音を立てるだけで、私が中々気づかなかったらしい。
スマホを見ると当然WAVEの通知があった。
ねえ、ドキドキ、とか、ビクビク、とか、ガラガラ、とかって、どういう物か説明できるかしら?
入っていたメッセージは、そんな内容。
確かに音の無い彼女には擬音語と言うのは少し難しいかも知れない。
でも、1回聞いて見れば解る、なんて軽い言葉は言えなかった。
彼女が生まれた理由を、知っているから。
そんな私の思考に反して、送られたメッセージは明るい物で。
今度、一緒に出かけてくれませんか?1人で音を聞くのは怖いので。
目の前の彼女は、刷り込まれた恐怖を取り祓おうとしている。その姿は、ずっと幼い時の恐怖に怯えている私には、とても眩しく見えた。
ええ、もちろんよ。でも気分が悪くなったらすぐに音を切るのよ?無理はしない約束をしてね?
好意的な返答を返して、一応念押しもしておく。
はい、ギャヴィに迷惑はかけたくありませんから。
じゃあ、明日行きましょうか。丁度私も休みだから。
明日!?心の準備が…
うーん、でも明日じゃないと休みが結構先になっちゃうのよね。
そう送ると、少し渋りながら
じゃあ、明日お願いします。
と来た。
別に、そんなに急がなくてもいいんじゃない?
でも言葉が理解出来ないと、本の面白さも理解できないじゃないですか?だから早く行きたいんです。
思っていたより子供っぽい理由だなと感じていると、更に何か打ち込んでいるのが目に入る。
それに、早くギャヴィの声が聞いてみたいの。貴女はどんな声なのか、とても気になるわ。
突拍子も無い文章に、自分でも目を丸くしているのがよく分かる。
私も、貴女の声が聞いてみたいわね。
本心を返すと、彼女は少し嬉しそうな表情を見せた。
そう言われるとなんだか、胸が苦しくなる気がするわね。
きっとそれが、ドキドキする、って事だと思うわよ?
これが?早く音を聞いてみたいわ。
そうね、また明日ね。
時刻は18時20分、そろそろ帰らないとアーヤが心配してしまうので、席を立った。
スマホをしまって視線を交わすと、ニコニコと手を振ってきた、私も手を振り返して、今日は図書館を後にした。