罪悪感の正体

人は何故、罪悪感を覚えるのでしょうか。

これまでとは違うことをしようとするとき、

何かいけない気がして気が引けて、

罪悪感という気持ちを背負って 

身動きがとれなくなることはないでしょうか?


何かをしようとした時の罪悪感、について、掘り下げてみました。


そうすると、「罪悪感」とは、 

「愛したい思い」

と、裏腹にあるもののようなのです。


昔のレコード盤でいう、B面ですね。

  

本当は愛したいけれど、愛せないから罪悪感になる。


罪悪感を覚える時って、「何かを大事に出来ていない」と思う時なのではないでしょうか?

 

では、何かをする時に感じてしまう「罪悪感」の場合、本当は何を大事にしたいのでしょうか?


それは、

「誰かの思い通りにしてあげられること」


例えば、誰かが望むように自分が成ることや、

誰かの望むように動くこと。


そのとおりに出来ないから罪悪感を覚えるんですね。


「誰かにとって良いようにしてあげることができない」ことが、罪悪感につながるようです。


つまり、


「誰かにとって良いようにしてあげたい」という気持ちがあるということ、


それは、


「大事にしたい気持ち」

=「愛したい気持ち」。


だから、罪悪感の裏には「愛したい」という思いがあることがわかります。


でも、愛したいのに、気持ちが伴わない。


もちろん、そんな時もあると思います。


自分の気持ちに嘘をついて、愛していることにしてしまっても、結局は罪悪感から離れることはできません。


そこで、軸を自分に戻します。


自分は、本当は何を大事にしたいんだろう。


これまで、たくさんの答えを模索してきたあなたは、うすうす気がつくかもしれません。


大事にしたいのは、自分自身であった、と。


自分自身を大事にしながら、全ての物事を大事にすることは、この限られた肉体において不可能だということにも、気がついておられることでしょう。


優しいあなたは小さな頃から、多くの場合は親やその他のあなたが愛したかった存在からの、『愛してほしい』という信号を受け取ってきたのかもしれません。そして、それを満たせないことへ無力感や罪悪感を抱き続けてきたのかもしれません。


でも、今のあなたは気づき始めているはずです。自分を満たせるのは、自分しかいない、と。


誰かに愛を求めても、あなたの望む愛は手に入りません。なぜなら、あなたが一番ほしいのは、「一番近い存在で、いつも一緒にいる『自分自身』からの愛」だから。


だから、あなたが誰かのために満たそうとしていた、誰かへの愛や、大事にしなければいけないというプレッシャーに似た思いは、その誰かの心を一時的には満たせるかもしれませんが、長期に渡れば余計に渇望のループを生んでしまうので、いつまで経っても誰かもあなたも満たされないのです。その誰かも、自分でしか自分を満たせないのですから。。


大事なものは、限られています。


世界の全てを大事にしなくてもいいのです。 


愛あるあなたの罪悪感は、誰かを大事にしたい思いから。


だけど、皆んながそれぞれ、自分の命を生き切る課題があるので、人の課題を手伝い過ぎてはいけないんですね。


一番の自分の味方である、自分自身をまず大事にして、それ以外は扱えない、と、いっそのこと諦めてしまいましょう。


大事にしなければならない呪縛から解けると、


全てを大事に出来ないという「罪悪感」から

自由になります。自由になったあなたはもっと、

自分のために、それを喜んでくれる誰かのために

動ける人になっていることでしょう。

 

大事なあなたへ。

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