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中国のなかのちいさなコリア、延辺。

メルケル前ドイツ首相の人生にぼくはおもいを馳せていた。そしてぼくはおもいだした、ドイツは1989年ベルリンの壁が壊され、東西ドイツは統一したけれど、他方、北朝鮮と韓国は分断されたままであることを。そしてぼくは旧満州、吉林省の延辺のことをおもいだした。



旧満洲(東北三省)のなかのひとつ吉林省、その省都は長春、かつての満洲国時代には新京と呼ばれていた。省全体に、漢人、満洲人、朝鮮族、モンゴル人など多民族が暮らしています。



延吉市には延辺朝鮮族自治区がある。延辺朝鮮族自治区には、おもに北朝鮮東北部・咸鏡道からの移民たちが暮らしていて、かれらが延吉市人口の4割を占める。そこにはこんな事情がある。1910年から1945年まで、大日本帝国は朝鮮半島を海外領としていて、日露戦争で日本が勝利してから、半島の人びともまた「日本人として」この土地へ行きやすくなった。



さらには日本が関与し、かつまた清王朝の継承国家であるところの満洲国が1932年に建国され、1945年まで存在したことによって、ますます朝鮮人のかの地への移住はよりいっそうかんたんになった。
とっくに満洲国は消滅したけれど、いまなおかの地には朝鮮人たちがたくさん暮らしていて。そこに建ち並ぶショップの看板はすべて朝鮮語と中国語併記が義務づけられています。(行政側の意向は、朝鮮語表記のみではだめですよ、ということ。)街には朝鮮文字があふれているにもかかわらず、しかし、中国共産党の同化政策によって、いまや朝鮮語はけっしてかつてほどには通じなくなりつつあるそうな。


かつて上野のアメ横に延雅村(ヨウマナル)という中国延辺料理店があった。ぼくはメニューを見て驚いた。チャーハン、ギョーザ、よだれ鶏、地三鮮、牛肉火鍋が、あろうことかネンミョン(冷面)、チゲ、チヂミ、スンデ、サムギョプサル、内臓料理、薬膳スープと同居していた。店には朝鮮人参酒も飾られていた。そしてぼくは、朝鮮系中国人が中国を離れ、東京御徒町で延吉料理レストランを開業する、そんなひとりの(あるいは家族の)人生のドラマに関心を持った。




ぼくは何度か店に伺って、いかにもコリアンらしい「延吉牛肉湯飯」1100円税込をいただいた。「羊串」1本180円と、「河魚湯(ドジョウ入り野菜スープ、コチュジャン風味?)」1580円、そしてごはん一膳(値段忘却)を注文して楽しみもした。羊串は、ステンレスの長い串に、ちいさな羊肉片がいくつも刺さり、その肉は、赤唐辛子粉、白胡麻、フェンネルなどにマリネされていて、それがローストされることによって、肉汁とスパイスの混ざりあった辛みがありつつもほんのり肉の甘さのある、魅惑の仕上がりになっていた。おいしかった!

「河魚湯(ドジョウ入り野菜スープ、コチュジャン風味?)」は、レッドブラウンカラーのスープに、フィンガーサイズに切ったドジョウがそこそこ入っていて、豆腐、ズッキーニに似たエホバクの薄切り、ネギの斜め切りがいっぱい。
ドジョウはほの苦く、それがコチュジャンの甘辛さとあいまっておもしろい。
また、煮込んだエホバクがじゃがいものようにほくほくした味わいであることも知った。後半、ごはんを投入し、猫飯にしてたいらげた。




延辺朝鮮族自治区の防川にある龍虎閣へ登れば、中国・ロシア・北朝鮮が一望のもとに見渡せるそうな。短い夏には、龍虎閣では韓国からやって来た老人たちの姿がよく見られるそうな。かれらはただ黙って川向こうの北朝鮮を眺めている。
北朝鮮軍は憎いけれど、親族や友人には会いたい。しかし、会うことはできない。みんなどうしているだろう。かれらの胸のなかには鉛のような哀しみが沈んでいます。曇り空をカモメが飛んでいる。カモメは国境をかるがると越えて羽ばたいてゆく。




平壌の街の壁には、人民の勇気を鼓舞するプロパガンダ絵画が描かれ、そんな街を架線からパンタグラフで電気をもらいながら走るトロリーバスが走っているそうな。鎌とトンカチの彫刻のある建党記念塔のまわりで鳩が遊んでいて。軍事パレードで有名な金日成広場も、ふだんはのどかなもの。短い夏の休日にお洒落をした恋人同士が川でボート遊びをしています、左の胸に金日成と金正日の顔のある赤いピンバッジを輝かせながら。
コドモを連れた家族は平壌動物園へ遊びに行き、家族写真を撮る。外国人が街を歩けば、平壌のコドモたちがみんな揃って笑顔で手を振る。人民はみんな音楽が好き。そしてまたかの国には、すばらしい身体能力で人を魅了する雑技がある。
平壌の地下鉄通路にはシャンデリアが輝いていて。



そもそも北朝鮮があんなにも奇矯な政体になってしまったのは、もとはといえばアメリカとソヴィエトの策略に翻弄されて、朝鮮が北と南に二分されてしまったたせいであって。日本がそうならなかったことをただただ幸運におもうばかりだ。



なるほど、日本の政治家ならば、日本の国益を考え、北朝鮮と韓国は分裂したままであって欲しいと考えるのがとうぜんではあるでしょう。しかし、だからといってぼくら日本の市民までもが隣国の不幸の存続を願うというのも、卑しい心ではあって。なぜって、人は生まれるにあたって民族を選べず、生まれる国を選べない。もっとも、北朝鮮の場合は、建国当初には一定数のコリアンがこの国を選んだわけだけれど。しかし、その後の世代は、自分の意志とは無関係に北朝鮮人民として生まれてきた。



そんなことを考えながらぼくは少しだけ理解した、東西ドイツ統一はたいへんな事業だったことを。メルケル前総理のお陰で、ぼくは延辺料理を食べたくなった。



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