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昭和の硬直した頭

昨日の続きで、昭和の軍指導者の

硬直した頭

の作り方について、一例で考えます。

ミッドウエー海戦で、戦死した山口多聞の逸話に

演習時に相手の砲撃を一旦かわして反撃し
大成果を得たが演習を指導した幹部から
「敢闘精神がない」
と批判された

があります。つまり

ノーガードで撃ち合え

というのが当時の、軍事演習の教本の指示です。これと違えば

減点指導

となりました。

さて、こうした発想はどこから出たのでしょう。私の考える、こうした打ち合いは

日本海海戦の東郷平八郎の指揮

にあります。確かに、日本海海戦では

敵前での反転をしても
敵を逃がさない同行戦

を選ぶのは、正しい戦術です。しかも、当時の状況では

ロシア艦隊の砲弾は穴をあけるだけ
日本の砲弾は敵艦を燃やす

という、大きな威力差がありました。これなら

ノーガードで撃ち合えば日本軍有利

です。この時の発想を

教科書にし墨守させた

のが日本海軍です。

本来、指揮官クラスになれば

昔の常識と違う発想

が必要です。もう一歩踏み込めば

なぜ教科書でこうなった
その成立条件は変わった

というぐらいの議論が必要です。これができない

硬直した頭
なぜを考えない無能

が指導者にいたことが、昭和の日本をおかしくしていきました。

#硬直頭 #山口多聞 #日本海海戦


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