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心の働きを観る

仏教では、心と意を分けて考えています。

そこでは、心の働きを

  色->受・想・行・識

と捉えます。外部にある「色=物体」を、「受け入れ」て、それについて「想いを巡らし」て、そこで意志を持って「行い」を考える、こうして外部にあるモノの概念を「識別」して、意識の世界で色々と働かせます。また、一部の教えでは

 識->受・想・行->色

と言う風に、先に「識別」の概念があり、それに従って、受け入れ、考え、行動するために、外部を感じると言います。

どちらも一方的な流れですが、実際には、これらの働きは、お互いに関連し強化したり、考えが合わないと捨てる、等の総合的な判断で、外部のモノを観ています。例えば、病人の各種画像を見せられても、熟練した読図能力があれば、癌などの色々な病根を見いだすでしょう。しかしながら、病気について学んでいる学生なら、病根を見いだせない場合もあるでしょう。こうした相互作用による「識別」の仕組みが、心の中にあります。

さらに、これを、十八界と言う枠組みで考えます。

外部の六境+感覚の六根+心が識別する六識=十八界

六境(対象)    六根(感覚器官)   六識(心で識別)
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色境       眼根       眼識界
声境       耳根       耳識界
香境       鼻根       鼻識界
味境       舌根       舌識界
触境       身根       身識界

法境       意根       意識界

少し注意しますが、ここで使っている「色」は、「色形」という目に見える物を示しています。「色受想行識」で使っている「色」は物資全体という広い意味ですが、ここでは目に見える物という、狭い意味で考えています。

この表を、もう少し説明します。外部に存在する物の色や形を、目を通じて取り込みます。その結果を心の中では、識別した眼識界を展開します。音の場合は耳から入り、耳識界となります。香り、味わい、触れる感覚も同様です.このような五感に対する、外部の境と、心の識界があります。

一方、「意」に関しては、対象が具体的に存在しません。しかし、世の中の色々な物事は、それを支配する「法」が存在します。これが、「意識界」を成り立たせています。

私達は、学校教育で、色々な科学的な知識を学びました。その基礎にあるのは、古代ギリシャの哲学です。そこでは、プラトンのイデアのように

「抽象化して本質を見抜く」
つまり
「理想化した物(=イデア)
の法則性を見いだす」
手法を主に使います。

このように考えると、仏教が捉えている、私達の心は現在科学の考え方をも含む、懐の深さがあるようです。




 

 

   

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