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人工知能についての神学的議論(3仏の智慧を得る)

欧米社会では、キリスト教などの影響で

神の力は人間の及ぶところではない

と言う諦めがありました。

一方、私達日本人に大きな影響を与えた、大乗仏教の発想は

衆生でも仏の智慧が開ける

です。例えば、私達になじみが深い「法華経」の大事な部分である、欲令衆に以下の記述があります。

諸仏世尊は
衆生をして仏知見を開かしめ
清浄なることを得せしめんと欲するが故に
世 に出現したもう。
衆生に仏知見を示さんと欲するが故に
世に出現したもう。
衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に
世に出現したもう。
衆生をして仏 知見の道に入らしめんと欲するが故に
世に出現したもう。

これは、衆生が持っている、仏の智慧を

開き・示し・悟らせ・仏道に入れる

ことが、仏の目的と、説いているのです。これが、キリスト教の諦めと大きく違う点です。

さて、仏の智慧は、どのようなモノでしょう。同じく、欲令衆で以下の様に喩えています。

今此の三界は 皆是れ我が有なり 
其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 
而も今此の処は 諸の患難多し 
唯我一人のみ 能く救護 を為す 

つまり

仏は全世界を全て持ち
そこにいる人々一人一人を
自分の子供として面倒を見る

力があります。ここで、注意すべき点は

(全世界の人)一人一人を見る

力です。現在の、社会科学や政治の世界では、こうした多数の人を相手にする場合は

統計的数値で扱う

などの手法で対応しています。そこでは

個々人の多様性は無視

した、抽象化モデルが、理論を作るなどで、力を発揮しました。また、数学では

色々な無限
可算無限より高い濃度の実無限など

を使うことで、大きな成果を得ました。

仏の智慧では

無量に大きい
と言っても
可算のレベルで有限

の数値しか扱いません。しかしながら、そこで

一人一人と向きあう

力が仏の力です。

例えば、会社の経営者や上級管理職が

部下一人一人の個人都合を考慮して運営

する難しさを考えて見ましょう。アメリカ式の経営管理なら

MBAで学ぶ数値で管理

するでしょう。

しかしながら

仏の智慧を信じたら
一人一人を活かす経営管理を探す

でしょう。

この姿勢の違い知ることが、重要だと考えます。


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