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戦前昭和の「空気」暴走

第二次大戦の日本の行動は

「空気」の暴走

のため、悲惨な結果になりました。

このような、状況に何故なったか、今回はその理由を、解き明かします。結論を先に言うと

明治期の教育制度と政治の結果
空気が暴走した

です。もう少し加えると

日本的な平等性の発想が
事態を悪くした

です。

さて、昨日の記事にもありましたが

明治の日本には「現実で水を差す」

智慧があり、これで「空気」の暴走を止めていました。しかしながら、明治期の日本指導者は

一般国民や軍人に
現実を見させないよう誘導

して行きます。有名な事例では、日露戦争の講和条件に対し、大衆は

勝っているのだからもっとよい条件!

と騒ぎました。これは、実情の

一時的な戦術勝利が精一杯

と言う状況を、正直に国民に知らせていなかったからです。さらに、軍人に対しても

日本兵士の精神力優秀性で勝った

と教えます。そこには

正しく武器を与え正攻法

と言う、またもな軍事指導は消えています。確かに、当時の日本の国力は

過大な軍備に耐えられない

状況なので

今ある武器で工夫しろ

と言う教育は、当時としては、間違ってはいません。

しかしながら、大正から昭和になると、軍人や政治家達も

実戦経験不足の学校秀才

の集まりになります。

そこでは

現実より空虚な概念

が暴走しだします。

さて、昭和の歴史に於いて

満州事変とその後の戦争

を切り分けて、考えると「空気」の暴走状況が、見えてきます。

満州事変は、関東軍の暴走による侵略戦争です。こうした、道義的問題は確かにあります。しかしながら、実質的な指導者である石原莞爾には

戦争の展開と終戦後のビジョン

がそれなりにありました。

一方、その後の北支事変から太平洋戦争に至る、一連の動きでは、軍指導者には

事態収束のビジョンなし

の戦いが、惰性的に続きます。この事態を引き起こした、一つの要因は、軍内部にある

石原莞爾でもできたから自分でも

と言う発想がありました。しかし、彼らには、石原莞爾のビジョンは、ありません。このような

不完全な平等意識

が、自分と違う能力を認めませんでした。

さて、太平洋戦争の比較的初期に

石原莞爾は朝日新聞に
ミッドウエーやガタルカナルの敗戦を報道しろ

と迫っています。つまり

「空気」の暴走を止めるため
敗戦の現実で「水を差す」

動きです。しかしながら

「空気」に支配された新聞社と軍部は
これを拒否

します。このように

現実を見て思考する力を失った人

が支配したため、「空気」の暴走が止められませんでした。

なお、太平洋戦争に関しては

有識者から
「日本はアメリカに負ける」

と言う意見が、少なからずありました。しかしながら

初戦のハワイ・フィリピンでの勝ち戦

は、こうりた「良識の声」を吹き飛ばします。こうして

空虚な「神国日本の兵士は優秀」
が一人歩きし
戦争は止められない「空気」

が暴走しました。

#空気 #水を差す #石原莞爾

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