例のnoteとその感想について

例のnote

例のnoteとは、この数日、追っ翔界隈を騒がせている、Rai Rain氏の4万字のnoteのことです。(この単語でパブサできちゃうの草なんですよね)

炎上ともいうのが難しいほどの短期間の出来事ですけど、燃えているのが近しい友人のことなので、自分の意見としてこれを書いておこうかなと思って筆を取りました。要するに批評の批評です。
(Rain氏に許可はいただいています。本件で傷ついている方々は、掘り返してごめんね。そう言う方は、無理して読まなくても大丈夫です。)
文章が慣れていない人間の筆なので、雑文乱文お許しください。


これを書いている いすゞ は追っ翔(夢追翔さんのファン)で、FAを書いたりするタイプのごく普通の(自分でいうのもなんですが)人畜無害なにじさんじファンの一人です。
筆者のRai Rain氏はスペースでよく話す私の友人フォロワーの一人で、Vtuberと音楽(特に洋楽)を愛していらっしゃる方です。

【軽い経緯】

Rain氏が例のnoteを発表。
 →賛否両論。その夜、夢追翔の話をするスペースを開く
 →翌日、Rain氏がnoteを自主削除
 →その後、夢追翔氏のレビュー部分はのぞいた状態でnote復活。(現在)

noteが発表された当日の夜、私はVの宴というオールナイトのクラブイベントで不在で、翌日ゆっくり起き出してたら騒ぎになっていて、気づいたら全てが終わっていた……という感じ。
本当は夢追さんを語るスペースに一緒にいて仲介してあげたかったなと思っていますが、流石に物理的に無理でした。(スペース自体はちゃんと対話があり、和やかだったらしいです)

完全に正確には覚えてはないのですが、思い出せる範囲で、読み手に拒否反応が起きた箇所などを抜き出してみたのが、大きく以下3つ。

①コアファン(追っ翔)のメインストリームの解釈とは違うものがあったこと
(本心を言ってない、2ndアルバムには絶望しかなく居直っているなど)

②書き手にアルバムが刺さりすぎて拒否反応を起こし、つい強い言葉を使って批判してしまったこと。
(+結論が「こうしなよ!」という人生の指示厨のようになってしまったこと。)

③他のライバーの名前を出して批判したこと(仲間たちの音楽にも『クソ』と言うのだろうか?等)


順を追って説明していきますね。

①コアファン(追っ翔)のメインストリームの解釈とは違う意見があったこと


 メインストリーム解釈=
 夢追翔の世界観:「世界は苦しみに満ちていることを認めるが、その中で希望を掴もうともがいている」であり、Rain氏の「絶望に居直っている」という指摘とは違ったこと。
(違う意見も当然ありますが、一旦、これにしておきます。)

現在は該当部分は見れないので、一言づつの検証は難しいのですが
これに関しては、Rain氏の夢追翔の思想の解像度の低さ/アルバムから受け取った不安感(後述②以降)が原因かと推測します。

解像度に関しては、ある意味仕方ない部分はあると自分では思っています。
Rain氏は確かにVtuber好きではあるけど「夢追翔のライト層のファン」であり、配信を熱心に追ってはない方だと言えると思います。
かたや、追っ翔の私は、ファン歴に伴いそこそこの数のアーカイブを見ています。ゆえに、コアファンのメインストリームの解釈も理解することができるし、「夢追翔の普段の思想や思考を知っている」から、曲を聞いてもそこから出てくる解釈をある程度類推することができます。
ただ、そうでない人も、世の中にはかなりの数います。(エピソード配信は散らばっていて掘り起こすのも一苦労な上に、夢追翔著の正解に限りなく近い曲解釈テキストは高額のファンクラブ会費を払わないと手に入らない。)

コアなファンから見れば、Rain氏の文章はおそらく穴があり、何かしらの部分で間違っているのは確かです。
でもそこで必要だったのは対話だったし、noteでの正式な反論などのコミュニケーションだったのではないかと思います。
(Rain氏はそういう意見もかなり全然真摯に受け止める方であり、今時珍しいくらい、人の話が聞ける方ではあると自分は思っています)

歌の批評を、歌を聴いてのみを根拠にしていいのか? それはNoとは言えない。
彼に「およそ50時間の個人アーカイブを見ないと批評が許されない」ということを強要することは、私からはとてもじゃないけどできないです。
ていうか無理だ、物理的に。(自分の推しを追ってるだけでも大変なのに・・・。)自分を鑑みても、全ライバーに対してそのスタンスでは接せないと思います。

新参はファンなのか問題と似ていて、「ルーツを配信で知っていく姿勢は確かに誠実で望ましいが、全てを強要できない」と留めるしかできないと思います。
その中での彼なりの批評のスタートラインの誠意が「カラオケで90点以上を目指してからレビューしよう」ということだったのだと思います。(カラオケで高得点を取れたら大きい顔をして良いのかという議論は別にあるにせよ)
少なくとも、カラオケで高得点を出すためには、聴き込んで歌わないといけないので最低限エアプではない・・・とは言えるかもしれない。

そもそも、にじさんじの人たちが外に出ていけば行くほど、こういうタイプの批評はこれからも受けるリスクは高まります。

推しが大きくなる=界隈外部の露出が増えるということ。つまり、かつてのアーティストと同列に語られながら、バックグラウンドは含まず、純粋に歌のみでジャッジされる機会が増えてくるということでもあります。
First Takeに出演したすいちゃんのように、第一印象だけでボロクソに言われる時代を潜って、私たちの推しは界隈の外に羽ばたいていかないといけない。
誹謗中傷は対処できるけど、そこまでいかないグレーの意見もたくさんある。その人々の意見も尊重しつつ、正しい方向に緩やかに言論を導いていくのもファンができることかなと思います。

Vtuberのコミュニティは「良いものを見せて、悪いものは見せない」傾向があります。治安が良いのは良いことですが、これを完全に徹底すると、「意見の違う者は排除していく」ディストピア的な言論統制が進みがちです。
マナーを大事にしつつ、中道を欠かない程度に相手の意見を尊重するのが本来望ましい姿ですね。
とはいえ、追っ翔はまだマシな方だと思っていて、それは「解釈は人それぞれ自由」という思想の自由性を、繰り返し夢追翔さんから説かれておりそれを信条としている方が多いことが挙げられます。
今回の騒動も、「意見は違うし、ムカついてはいるけど、各人の解釈は自由だよな」と思いながら拳を下ろすという、アンガーマネジメントの楔として機能しているのを自分も何度か見ました。
そういう時に一呼吸おけるのは、追っ翔たちのひとつの美徳であると自分は思います。故に、ピリついた時に殴り合いが起こる全体のパーセンテージは低くなっているのではないかなと思います。
それでも「解釈が自由」が建前にしか見えないくらいの強い言葉を使っている人も当然おります。(その結果noteの一部は削除されたのですが)
あなたが普段どちら側に属するかは、各々自分の言動を省みるしかないものです。

これはいすゞの意見ですが、例えるなら、無条件に愛する母の愛、厳しい面も見せる父の愛、どちらも推し活コミュニティには必要だと考えます。
安全な場所がある・帰ったらあたたかく迎えてくれる場所があるがゆえに、大海原に漕ぎ出していくこともできるし、ライバーが厳しめの意見も受け入れられる素地を育てるのだと思います。(ライバーの子供扱いはまた別の問題なので、ここでは触れません)
双方スタンスは違えど、どちらもコミュニティでの役割は果たしていると思います。どっちが良いとかではなく、どっちも大事です。

②書き手にアルバムが刺さりすぎて拒否反応を起こし、つい強い言葉を使って批判してしまったこと。

(+結論が「こうしなよ!」という人生の指示厨のようになってしまったこと。)

「人生の指示厨」っていうのも不思議な言葉になってしまったけど、「活動の指図」は夢追さんが特に嫌っていることでもあるので、ファンもそれを類推して拒否反応を起こしているイメージがありました。
特にnoteの夢追さんパートはとりわけ音楽批判というよりは思想批判な面が強く出ていて、思想批判はそれ自体がかなり人格批判的に聞こえがちになるのも原因でしょう。
とはいえ、思想の批判が学問になっているジャンルもありますから、批判が全部悪とも言いきれないです。全部禁止すると、前述の通りコミュニティ内はディストピアまっしぐらなので。

正義と正義がぶつかった時は外交です。つまり落とし所の探究です。
今回で言うと、「ライバーが困った時に、一つの意見や道・要望をリスナーが示すことは許されているが、ライバーの人生の意思決定はライバーにある」が良い塩梅の落とし所かなと個人的には思っています。
準備ってリスナーの見えないところで行われるから、変にリスナーが焦ったり急かしても仕方ないので。そういう方には、「卵を探して雌鶏の腹を割いても、明日の卵はそこにはない」という言葉を贈ります。
毎日を楽しく過ごしながら、ゆっくり見守ろうね・・・と思います。

もう一つは、「明るい曲と暗い曲は、薬が違う」ということもまた挙げたいと思います。
心が病み果て、強い光を見ると辛くなりすぎる経験は誰しもあって。どうしようもない時に最後に隠れる場所を保証してくれている面、つまり夢追さんの曲は「追い詰められた人間が、自分を責めないように、言い訳を許してくれるところ」が救いになる曲たちだと思います。
なので、必要ない人にはとことん必要がないんですが・・・ 人間、人生で1度や2度は必ずそういう時もあるから、どっかでお世話になるものかもとは思います。

三島由紀夫先生が太宰治先生に送った「平素から病人の振る舞いをしているから、いつまでも病人なのだ(意訳)(だから体を鍛えて乾布摩擦をしろ、と続く。いわゆる脳筋アドバイス)」という言葉を思い出すというか、Rain氏の「シャッキリせえ!」みたいな言い分もわからなくはないのですけど 笑
夢追さんのスタンスはそのままで良いと思うのですが、こうなったら嬉しい!をいすゞさん流に言い直すと「病人は治療を終えたら退院するもので、そこからも人間は頑張っているものだし、人生は続いていきます。治療の範囲を少しだけ広げて、その人々をもカバーする楽曲があると、普遍性があって確かに嬉しいかも!」と、個人的に未来に期待を寄せたいなと思います。

そんな心配しなくても、3rdアルバムは、夢追さんの違う視点を見せてくれるんじゃないかな〜と自分は思っていて。
ライバーさんの活動していく中で、交友関係が広がって思想がアップデートしたり、新しい作品に触れて視野が広がったりして、それがまた曲に反映される、その美しいサイクルをその時々で観測して素直に喜べることは、推し活をやってて嬉しいことの一つだと自分は思います。

誤解があれば、解く努力もしましょう。

自分は、全くの他人よりはRain氏のことを少しだけ存じているので、おそらく読み手と書き手の行き違いポイントは以下の2つが思い当たります。

①4万字というレビューを書いたのは、「Vtuberを洋楽・億再生のトップアーティスト達と同列で語りたい」というメインコンセプトがあった

②Linkin Parkと夢追翔を重ねながら書いていた部分がある

⑴ 4万字というレビューを書いたのは、「Vtuberを洋楽・億再生のトップアーティスト達と音楽を同列で語りたい」というメインコンセプトがあった

あの物量のnoteを律儀に4万字読む人は少ないです。けど筆者の思いとしては、4万字のレビューで、かつその一部であることがとても大事だったんだろうなと感じます。
メインコンセプトにもあるとおり、「現在活躍するVtuber達を、日本〜海外のレジェンドアーティストと見比べ、彼らをいちアーティストとして尊重した文章を書くことで応援したい」というのがRain氏の日頃からのスタンスです。
そのためにカラオケをやりまくり、そのために熱量のあるレビューが4万字が生まれました。(夢追翔も本来そのように語りたかったのだけど、熱が入りすぎてついお説教になってしまったのかなと類推します)
それが一部分のみを読んで腹を立てている読み手にはあまり伝わらなかったのは、ちょっと可哀想かもなと思っています。4万字は流石にハリキリボーイすぎるが

⑵ Linkin Parkと夢追翔を重ねながら書いていた部分がある

 この部分はRain氏本人から直接聴いた箇所です。
 夢追パートでは念頭に置かれていたLinkin Park。Linkin ParkはRain氏の推しでもあります。
 Linkin Parkのボーカルって2017年に自殺されているんですね。
 "メンタルについての歌詞を高音の声にのせること、自分のことを犠牲にして他人に生きてもらう歌詞を書くこと、亡くなる直前までの表の活動は非常にまじめだったことなどが挙げられる"
曰く、亡くなる直前の彼の様子と夢追翔を生々しく重ねてしまったせいで、心配になっちゃってつい語気が荒くなってしまった。一曲だけだと流石にそうはしないが、9曲浴び続けると流石に不気味で不安になってしまったのが大きい・・・とのこと。

わ、わかるか〜い!!! いや、気持ちはわかります。推しがそうなるってとても辛い。理解はできるんですけど、「曲を隣に置いて察してくれ」は洋楽に詳しい人でないと無理ゲーすぎる。わかっていても難しい。(というか、その辺の気持ちを素直に書いたらよかったのに・・・)

この辺の彼の善意が伝わらなかったところは、Rain氏側の不運でもあり、不幸な行違いであり、わかりやすく書かなかった落ち度の、全てがあると思うんだよな〜。
ちょっとというかだいぶ口下手すぎでは??

結論的には、「無理して書かずに、ご自分の考えが固まるまでもう少し待った方が良かった」んだろうなと思います。
心が荒れている時とか、不安すぎる時とか、冷静さを欠いている時は世に出さない方がいいものもあります。これはいすゞの自戒にもしたいと思う。

③他のライバーの名前を出して批判したこと

(仲間たちの音楽にも『クソ』と言うのだろうか?等)

オリ曲は活動の節目に作られることが多く、本人とファンにとっての特別なものです。制作秘話として言及がない限り「本人のオリ曲は、本人のもの」という解釈が安全というか、一般的じゃないかな〜と自分は考えます。
また、他のライバーを引き合いに出して優劣をつける・必要のないユニット擦りを避けるのは、要らぬ軋轢を生まない知恵でもありますね。これはどこもそう。

また、普通に事実と異なる箇所も見受けられます。例えば町田ちまさんのオリ曲には「夢追」という単語は出てくるけど、とくべつ夢追翔さんのことを指していません。(夢追さんが町田さんに裏で質問をして、恥を書いたエピソードがある)
上記は配信追ってないと・・・なエピソードではありますが、念の為、事実として指摘させていただこうかなと思います。

そろそろまとめたい

Rain氏の今回の批評は確かに落ち度が多く、言葉が荒く厳しめだったかもしれないんですが、徒党を組んで削除させるほどの内容だったかというと、正直そうとは言えないと思っています。
まぁ、正直、みんな読んでモヤモヤはしたと思う。解釈以前に事実とは異なる間違いも多いし。でももう少し適切な結末があっても良かったのでは・・・?と考えたりしました。
これは個人の思想:マシュマロ匿名告げ口と空リプは悪しき文明(なんか、こう、中間のサービスってあったらいいのにね・・・)

彼がnoteを削除した事は、結果的に非難した一部の追っ翔側を、悪者にしてしまう行為でもありました。(それもあって、落とし所を一部削除に変更したのだと思いますが)
Rain氏の談では「あえて強めの言葉で賛否を起こしたいとまでの意図はなかった」そうですが、それを踏まえても「ファンの間では常識だと思われていることも、そうではない意見で捉えられることもある。ただ、それもまた本人とファンは共に受け入れていかないといけない場合もある」と自分は思います。

もちろん、モヤモヤはすると思う! その時には振り上げた拳をどうにか納めて、対話をするか、冷静な反論をnoteに書くことを推奨します。(noteの言説はnoteで反論がおすすめ!!)
そうすると後の人も見やすいし、世論はより正当性のある方を判断してくれると思います。
話が通じる相手なら、同じ立場の対話が幾分か誠実だと思う。
そして、なるべくなら穏やかにコミュニケーションができる人と友達になろうね。

コミュニティー内の正しい善悪を見抜けるようにならないと、マジの悪意や誹謗中傷がきた時に、気づけないことがあります。
「自分とは違う意見や批判を、一絡げに悪に決めつけて追い払う経験を、我々自身に積ませてはいけない」ということを、いすゞの最後の意見として、まとめにしようかなと思います。

余談

Vtuberの界隈全体に言えることなんですが、noteやブログなど記録が堆積して残る場所で、熱心にアルバムの考察を語る人はファンの数に比べて少なかったことも遠因としてあると思っています。

ゆえに、こういったメインストリームから外れた解釈noteが世に出てきた時に、そのnoteが不必要に上に上がってきてしまう・・・から、日頃からちゃんとファンが各所で論陣を張っておくのは大事だと思うのでした。
そんな難しいことではなく、「みんな曲の感想とかを!書こう!!」「嬉しいを綴ろう!」などのことです。
(自分もね、頑張ろうと思いました、文章苦手だけど・・・)

おしまい

ここまで読んでくださってありがとうございました。
とかく、炎上ってしんどいもんです。なるべくしたくはないけど、誰しもする可能性はあるし、したときは仕方がないよな。どう立ち直るかじゃないかなと思います。
人間は間違ったりすることってよくあるから、なるべく穏やかで、間違いを許しあって生きていこうね。お互いね。よろしくお願いします。


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