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源氏物語ー融和抄ー弥勒の世の契り

 息長川の枕詞に使われる鳰鳥は、水中に長く潜っていることができる鳥です。鳰鳥と共に息長の時の川へ潜ってみると、水底には確かに尽きない何かが秘されているようです。物事には頃合いというものがあり。玉鬘にこの星は未だ揺れることを思えば、それはまた別のお話へとゆずっておくことにいたしましょう。

 夕顔が身を寄せる邸にて、来世までも約束を結ぶよう仏に願い、自分を頼みにするようにと言い聞かせる光源氏は、忍ぶ草が生える何某の廃院へと夕顔を誘います。
 その時ちょうど、近隣の家から読経が聞こえてきます。その声の主は高齢のようで、立ったりするのもひと苦労している様子が伺え、この世ははかないものだというのに、一体何を願ってそのような年齢になってまでも身を苦しめて祈るのだろうかとあわれに思います。
 するとその声は「南無当来導師」と誦して祈っていることに気がつきます。
 当来導師とは、五六億七千万年後の将来、この世に生まれて衆生を教化するとされる弥勒菩薩のことです。それを聞いて、この世の事だけを祈っているわけではないと分かり、その信仰深い人の勤行を道標として、来世にも深い契りを約束するようにと歌を詠みます。
 玄宗皇帝と楊貴妃の故事は不吉であるから、「天にあれば比翼の鳥になろう」という誓いの言葉の代わりに、当来導師の弥勒菩薩が出現する来世をかけて契ろうとしますが、将来といっても何十億年も先の約束ともなれば、前世の宿縁の拙さを承知している我が身では頼みにすることも出来ないと夕顔は返歌するのでした。
 この辺りの描写には、玉鬘の父である頭中将との縁の拙さを嘆いている様子も伺えます。

 それにしても、平安初期に書かれた物語にも、弥勒菩薩の出現を信じ書かれていることに、改めて感じるところがありました。紫式部も信じていたのでしょうね。

 さて、夕顔を連れて廃院へ着くと、慌ただしくもそれなりに整えられていく周囲の様子をよそに、「鳰鳥の…」の歌のように、尽きぬ話を語り合う他には何事もなく、時を過ごしたと続きます。

鳰鳥の 息長川は絶えぬとも 君に語らむ こと尽きめやも
たとえ息長川の流れが絶えることはあっても、あなたにお話ししたい言葉が尽きることはありません。

 万葉集にこの歌があげられるのは、聖武天皇の容態が悪化した時です。河内国伎人(クレ)郷の馬史国人が自邸で大伴家持らを接待した時に詠んだものですが、この時作られたものなのか以前からあった歌なのかは分からないとなっています。
 この時大伴家持は、松の根が延びてきて野原の草を刈ってしまわないでほしいものだ、というような歌を詠みます。
聖武天皇の事を心配する歌であると同時に、天皇の一大事に合わせて、世の中が混乱する事を心配しているのだと思われます。
 そんな歌をここで引用したのには、浅からぬ意図があったのかもしれません。
 その夜、夕顔も還らぬ人となったのですから。

 忍ぶ草、そして息長の歌。思い浮かぶ人物は、第三四代舒明天皇、息長足日広額天皇。
 この天皇の御陵は奈良県桜井市忍坂にあります。
 父は押坂彦人大兄皇子、母は糠手姫皇女。押坂は忍坂と書き換えても問題ないものです。
 忍ぶ恋を代表するような歌を遺した源融の母大原全子は、押坂彦人大兄皇子の後裔であるとみられる、門部王、桜井王、高安王等と共に大原真人姓を名乗る大原真人今城の後裔であるとする系図が残されています。
 はっきりしない所が多く、類推するしかないのですが、何故かひょんな所から外堀が埋まっていく奇妙さがあります。

 「日本記の式部」と評された事を思い、『日本書記』をひたすら読み込んでみました。
 すると思わぬ事実が浮かび上がってきたのです。

 押坂彦人大兄皇子も舒明天皇も生没年が分かりません。押坂彦人大兄皇子にいたっては、いつ亡くなったのかも分かりません。ただ最後にその名が出てくる箇所があり、それは有名な丁未の乱という、物部と蘇我の仏教をめぐる争乱の時となります。
 中臣勝海は排仏派で物部側についており、押坂彦人大兄皇子と推古天皇の子である竹田皇子の像を作り呪詛したと記載されています。
 その後の一般的な解釈に私的に疑問があり、この先の詳述を避けますが、とにかくこれが『日本書紀』に書かれる彦人皇子の最後のお姿なのです。これが用明天皇二年おそらくは四月。

 翌年は崇峻天皇元年で、その在位は五年。推古天皇の在位は三六年。舒明天皇の在位は一三年。合わせると五四年。

 これが舒明天皇の年齢となり得るかどうかは、可能性は高いものの何とも言いようがありません。ですが一度は皇太子となった押坂彦人大兄皇子の所在が不自然に不明となってしまう理由が、もしもここにあったとしたら……
 それが何を後世に伝えようとしているのか、そして「日本記の式部」はそれを知っていて物語を編んだのか。大きなミステリーを見つけてしまいました。

 もしも、源融のそのまた向こうに、この親子のどちらかが重ねられていたとしたら、夕顔との契りの中に、息長の契りが忍ばせてあるのかもしれないと考えるのは不自然なことではありません。

弥勒菩薩が出現するという
いずれの御時にか…


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