源氏物語ー融和抄ー結び
浄土思想に占められた物語のようにみえて、紫式部自身にそれを感じるかというと、そう思えないところがあります。
それは世相を反映したに過ぎなかったのではないかと。
何故そう思うのか、私自身事あるごとに物語を思い返しながら、この数ヶ月を過ごしていました。
「ある時から物語は一人歩きをはじめた」そう感じます。
王朝文化への憧れに胸を躍らせ、大いにそれを感受しながらも、鬱屈とする思いを持て余す日々。その先に確かにこの世は仮の世だと自分に言い聞かせてもいたでしょう。
探し物はみつかりましたか?
もしも現世で会えたなら、そう尋ねてみたい。
光源氏を通して、この世に見つけたかったこと。描きたかったこと。
紫式部自身が、どこかにそれを置き忘れていることに、薄々気がついていたような気もします。
置き忘れているというよりも、大切に仕舞ってあったのかもしれません。
ヘラやハケで、物語の輪郭を丁寧に丁寧になぞって見えてくるものは、考えてみれば至って当たり前の姿でした。
今日の日に。
融和抄を一旦結びとします。
今後は『源氏物語』という枠組みを超えて触れていこうと考えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?