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猫と庭を眺めて過ごす休日の午後に、猫にiPadに乗られながらnoteを書く

ゆにわに新しいフレンズがやってきたのは、2023年4月17日のこと。
獣医さんが生後2〜3ヶ月と見立てた白い仔猫を引き取ることにした。
野良猫の風貌で朝からカラスに突かれていたと耳にした割には、妙に人懐こい。
しゃがみ込んだ私の膝に飛び乗ってきた瞬間、「うちに連れて帰ろうかな」と言葉が出ていた。
後先の事なんて何も考えていなかった。
運命とはそうやって突然やってくるものなのだろう。
保護するのは数人がかりで大変だったのに、家へ連れて帰ったら人肌を恋しがって離れようとしない。
同居の家族みんながJoeと名付けられた仔猫中心の生活スタイルへ変化していく。
(後日、別居のファミリーにも影響があったことに気づく。)
小さな体でものすごいパワーだ。
猫は気まぐれで、気が向く時しか寄ってこないという先入観は見事に打ち砕かれた。
目覚めから眠りに落ちるまでくっついていて、グルグルと喉を鳴らす音を惜しみなく聞かせてくれる。

突然のことでケージを用意することもできず、初日の夜に私のベッドへ連れていくと、私の体に添わせるようにクルクルと体を巻きながら寝姿を整え目を閉じた。
それ以来、毎晩一緒に寝ることになった。
小さな体をふみつけないようにと気にして、無意識ながら眠りが浅いらしく、ちょくちょく目が覚める。
私の目が覚めたのをいつ察知するのか、真夜中によく目が合う。
何事もなかったようにまた眠りにつかせるのに時々難儀する。
その目は私が布団を整えようとする手も、寝返りと共に揺れる髪も見逃さず、果敢にアタックしてくる。
しかしそれさえも抱きしめたくなる愛らしさは、小さきものの特権である。

今もJoeが膝に乗って離れず文字を打つのもひと苦労であるものの、ようやくてんてこまいの心境が落ち着いてきたので書いておこうと思い立った。
実のところ、冒頭の話は全く違う紀行文の走り書きとして書き始めたものだった。

つい数日前、とあるコラムを読んだ。
どんなエネルギーが込められていたのか、最後の二行で泣きそうになった。
そんな風になったのは、ひどく久しぶりのことだった。
何故だっただろうと思い返して考えてみるが、もう手元にはないその文章をありありと思い出すことさえできない。
ただ、なんとなく覚えているのは、最後のくだりが希望を持てと訴えていたような気がした事。
このような未来を予測していた方々にとっては、私の愚考など剥きたての柑橘類みたいな甘酸っぱさなのだろう。

ある時、諸々の事情から、意地になった私は、こうなったら誰にも予測不可能な人になってやろうと思ったことがある。
そう思ったことは、見当はずれなことではなかったのかもしれないと、まるで天の声が聞こえたみたいだった。

そう、誰にも、何にも。

私の暮らしに突然猫が加わったみたいに。

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