書頭痛

私は書くことが嫌いだ。書こうとすればするほどに自分の語力•思考力の稚拙さが露呈してしまうかもしれない、ということへの恐怖があるからである。かの文才小林秀雄ですら、何かを書く度に踠き苦しみ、畳の上を這いずり回っていたという。人は誰しも書くことを恐れ、書くことに苦しむ。

** 書くのは苦行だ。今でも何をどうやって書こうかと悩み、苦しんでいる。頭が痛い。**

本来ならば書くことは手段であって目的ではない。しかし、書くことに伴う苦痛や達成感が大きすぎるが故に、そして文才への憧憬(それは思考力や表現力に対する憧憬というよりむしろ、書く度に感じる頭痛をやり過ごせることに対する羨望から来るものである)がある為に、書くことそれ自体が目的化してしまうことが間々ある。

私がこのnoteを始めたのも、何か書きたいことがあるからではではない。何かを書き続けることによって、書く度に感じる頭痛をやり過ごせるようになるのではないか、という淡い期待から始めたのである。

従って、私の文章に向かって「何が言いたいのかわからない」と思うのはナンセンスである。


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