囀る…感想26 百目鬼の四年間について

(以前ふせったーに上げた記事の再掲です)

56話について考えるにあたり、あらためて今一度、過去を振り返ってみました
あくまで個人の感想です

そもそも百目鬼は矢代さんと離れてからの四年間、いったい何を考えて過ごしていたのか。

矢代さんとはどうするつもりだったのか。いずれ再会するつもりだったのか、どうなのか。

モノローグが一切明らかにされない中、これまで何度もこの問いについて考えてきましたが、自分が以前書いたものを今読み返すとやはり詰めが甘いというか、説得力に欠けるように思います。それで今一度、6巻あたりから読み直してみました(あくまで個人的な考えです)。



まず、四年前に離れたとき、百目鬼は二度と矢代さんと会う気は無かった、と思います。少なくともあのときの矢代さんとは。

四年前のあの日、病院の屋上で、矢代さんが子どもの頃から自分の意志に反して男とセックスしていたせいで、本来は男が好きなわけではないのに「そう」なってしまった可能性があることを七原から聞かされ、自分とセックスした時の矢代さんの涙の意味を、「お前をどうにもできない」と言った矢代さんの苦しみを、百目鬼は自分なりに解釈する。

つまり矢代さんにとって男とセックスすることは、本当は好きではないし、心の底ではやめたいと思っているのに依存してやめられなくなってしまっているものなのだ、と理解した(これを「あの人にとって男とヤんのはタバコみてえなモンなのかもな、やめたくてもやめらんねぇ」と言い表した七原の洞察力と矢代さんへの理解の深さに今さらながら感嘆します)。

だから百目鬼は、矢代さんから離れることを決意した。もし矢代さんが自分を捨てた理由が、自分をカタギの世界に戻すためだけなら、彼は諦めなかっただろうと思う。でも自分が矢代さんを求めることが矢代さんを損なうことになるのなら、もう諦めるしかない。傍にいるわけにもいかない。何故なら自分には下心があるから。

あのとき百目鬼は、七原に何と言ったのだろう……とずっと考えていましたが、おそらくそれは別れの言葉だったのではないかと思います。
「俺は頭の前から姿を消します」とか……(だから七原は、百目鬼がヤクザの道から足を洗ったと思っていた)。

それでも、自分の中の矢代さんへの想いを消すことはできない。それならせめて同じ世界に身を置き、矢代さんの知らないところで役に立てたら……と考えたのではないでしょうか。だから甘栗との繋がりを保ち、継続して矢代さんの情報を得ていた。

もしかしたらある方が二次創作で描かれていたように、矢代さんが危険な目に遭うのを未然に防ぐとか……気付かれないようにして矢代さんを護っていた……というのもあり得るのかもしれない……と妄想します。

そしてもう二度と矢代さんと直接会うつもりがないからこそ、矢代さんによく似た天女の刺青を背中に入れた。泥水を吸い美しい花を咲かせる、どんな汚い場所にあっても穢れることのない清らかさの象徴のような蓮の花に囲まれ、手首を縛られながらも美しく舞う天女。
それは百目鬼にとって、初めて会ったときから変わらない矢代さんのイメージそのものなのだろうと思います。

そしてそんな天女を護るように周りを囲む蛇。刺青において蛇は、生涯繰り返し脱皮するその姿から再生・永遠の象徴と言われています。
百目鬼の背中一杯の刺青は、自分の矢代さんへの想いの表れであると同時に、矢代さんの心の再生への願いが込められているのでは……と思いました。
この場合、それ(再生)とは不特定多数の男とセックスするのをやめ、自分で自分を痛めつける行為を必要としなくなる状態、を指すといえます。

そうして背中に自分だけの矢代さんを刻み、過酷な四年間を生きてきた。

けれとも矢代さんに恋い焦がれる気持ちは四年間ずっと変わらず、生身の男としての欲も失えなかった。「節操がないから」自分で処理していたわけです。

だから本心としては矢代さんと再会したくはなかった。再会したとしても、けっして叶えることのできない自分の想いを突きつけられ、辛いだけだから。
再会した直後に神谷が見た、あの重苦しい表情は、そういう苦しみの表れなのかもしれない……と思います。

あるいは、そうした自分の想いや苦しみなどつゆ知らず、相変わらず人を食ったような態度や物言いの矢代さんに、自分の存在などこの人の中では「過去に少しだけ面倒をみた腕力だけなら結構使える男」でしかないことを突き付けられたからか。
「俺のこと 覚えてたんですね 頭」はそうした矢代さんへのせめてもの意趣返しだったのかもしれません。

そして
「俺がどう生きようと 何になろうと 俺のものです 俺の時間も この体も」

……この言葉は、自分に言い聞かせてもいるのかもしれない……と思いました。四年経っても一向に諦めることができず、叶わぬ人への想いを心の核として生き続ける自分を肯定するための。その生き方を後悔しないための。

それでも綱川邸の風呂場で二人きりになったときは、懐かしさもあり微かに心の交流も芽生えたかのように見えました……が!ここで矢代さんは今でも井波と寝ていた…という衝撃の事実を知る。
よりによって、かつて自分の目の前で矢代さんを蔑みながら嗜虐的に抱き、妹を侮辱したあの男と。

結局この人は四年間全く変わらなかった。相手が井波とは、もしかしたら四年前よりひどくなっているかもしれない。では自分が身を切る思いで身を引き、近付くのを我慢してきた意味とは??

その失望と怒りがあの乱暴な振舞いと「じゃあ、俺ともできますか」という台詞になったのではないか……と推測します。

(2024/2/22)

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