囀る…感想その12 影山と矢代さんについて思うことをつらつらと…

以前ふせったーに上げたものの再掲です。

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影山と矢代さんは、似ていないようでいてどこか似ている。すぐに自分の周りに殻を作り、守りに入るところが。

高校時代の影山が、矢代さんに対して全くその気がなかったとは思わない。むしろ惹かれつつあるからこそ矢代さんとの間に一線を引いたのだと思う。そのために見せつけるように女子と付き合い、お前は親友だと予防線を張った。おそらく惹かれつつあることへの自覚もなく。

最近までそれは高校生ゆえの、未熟さと同性を好きになることへの恐れからくるものかと思っていたけれど、今は、それは歳を重ねてもきっと変わらなかったのだろうな…と思う。
だからたとえ大人になってから二人が出会ったとしても、結ばれることはなかっただろうと。
けっして相性が悪いわけではないけれど、何かあるとすぐに殻にこもってしまう二人には、その殻を破り手を掴んで引っ張り出してくれる誰か、が必要だったのだと思う。

高校時代の影山と、矢代さんが出会った頃の百目鬼は、たしかにどこか雰囲気が似ている。周囲の人間に興味がなく、自分が人にどう見られるかにも全く興味のなさそうなところが。そして最初に出会った時の行動も、矢代さんに助けの手を差し伸べる唯一の存在という意味では同じ。というかそもそも矢代さんは影山に似た空気を感じ取ったから百目鬼に惹かれたのでした…。
でも百目鬼が矢代さんを犯す男の腕を捻り上げ「大丈夫ですか」と声を掛けたのに対し、影山がしたのはシャツの下に見えた傷に貼るための絆創膏を渡すという行為。あくまで「自分で傷を治す」ための手助けに留まる。それだって当時の矢代さんの心を動かすには十分だったとは思うけれど。

そして出会ったその日に「いつから男が好きなんですか」、影山と初めて顔を合わせればすかさず「あの人が頭の大事な人なんですか」と寡黙でありながら意外と遠慮なく核心に切り込んでくる百目鬼に対して、影山は矢代さんの身体の傷を見ても自分からは何も尋ねない。それは気遣いや優しさではあるけれど、ある意味相手に深く関わることから逃げているともいえる。

一方、矢代さんと久我も、頭の回転の速さ、シニカルで歯に衣着せぬ物言い、そして自分の美貌を熟知しその魅力を効果的に利用するところ、など共通点が多い。幼少時親から虐待を受けていたところまでも。矢代さんが影山に久我を引き合わせたのも、「自分によく似た」男に影山がどう反応するかを見たかったからだと思う。

はたして影山は久我に心惹かれ、二人は恋人になった。それを目の当たりにした矢代さんは当然「なぜ俺ではなかったのか…」と落ち込む。
じゃあ何故わざわざそんな行動を…と思いますが、これもまた自傷行為のひとつというか、「失いたくないものは奪われて傷つく前に自らの意思で手放す」という、自分を護るための行動だったのではないかと思う。

矢代さんと久我の違いは、真っ直ぐ想いをぶつけることができたか否か、に尽きると思う。影山に「親友として…」なんて逃げる隙を与えないくらい直球で想いを伝えられていたら、どうなっていたのだろう…
。ただ高校生の影山には同性の友達からの恋心を受け止める心の余裕はなくて、関係は早々に破綻していたかもしれない。

そもそもこの「真っ直ぐ想いをぶつけることができる」というのは久我の自己肯定感の高さの表れで、まさにそここそが久我と矢代さんとの違いだから、どのみち矢代さんが影山に想いを伝えるというのはありえないことだったのでしょう…。
自分への自信に満ち溢れ、好きな人に好きと言える久我は、矢代さんの目にどんなに眩しく映ったことか。

ただやはり「親友」の立ち位置を保ったからこそ関係が破綻せず、長く付き合い続けられたというのはあって、そして影山が「親友」として一線引いて関わることで矢代さんが救われた部分もあったと思う。
ただただ虚無感の中で、自分の身体を痛めつけることだけで自分の存在を実感するような日々に、自分を責めることも嗤うこともなく側にいてくれた影山。同級生に揶揄されキレて狂ったように笑いながら相手を攻撃する矢代さんを必死で抱き止め鎮めてくれた影山に、あの頃の矢代さんはどれだけ救われただろう…。

影山も矢代さんも臆病で優し過ぎて、自分達がある程度大人になったところで、向こう見ずに壁を乗り越え自分の内に入り込んで来てくれる人間を必要としていたのかもしれない。
二人とも三十代半ばになって、歳の離れた若い男の積極的なアプローチに落ちる、というのも結局似た者同士なのかな…と。

(2023/7/5)

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