囀る…感想28 再会後の百目鬼について

(以前ふせったーに上げた記事の再掲です)


57話感想の補足といいますか…百目鬼があのように行動する理由について考えてみました。個人的妄想です

前回、百目鬼が今やろうとしていることは、矢代さんのトラウマの原因となった状況(つまりセックス)を敢えて再現し、それを苦痛を感じるものから安心して受容れられるものに変えていこうとする、一種の治療のようなものではないか……と書きました。ただしこのやり方は一歩間違えれば、さらに矢代さんの傷を深くしかねない危険性も孕んでいる、とも。

もちろんこれは私の感想でしかないですし、問題点も多々あるのですが、なぜそう思ったかというと、昔読んだあるBL漫画の攻の台詞を思い出したからでした。

「俺の手で、俺がわかってるコトで傷つけるんならいいんだ」

……何言ってるか分かりませんよね?私も分かりませんでした。でも大人になった今は何となく、少し分かるような気がするのです。勝手で傲慢なことこの上ない言い草だけれど。

そう、頼まれてもいないのに他人の心の傷を癒そうなんて、本来傲慢なことなのです。でも百目鬼はそれをやろうとしている、そう思いました。
そして矢代さんはそれを必要としているのだろう、とも。

思い返せば四年前、百目鬼はくり返し「嫌なら言ってください」と矢代さんに言っていた。「嫌なら、ちゃんと言って下さい」と。
自慰行為の手伝いをするときも、セックスするときも。これは自分が父親と同じ行動をとることを恐れて相手の同意を得るという意味だけでなく、実はその言葉自体、作品の中で重要な意味を持つのではないか……と最近思うようになりました。

矢代さんがずっと言いたくて、言えなかった言葉。

そんなことをされるのは嫌だ。酷くされるのは嫌だ。痛いのは嫌だ。etc. ……。

ある意味、それを言えるようになる(自覚する)ことが過去から踏み出す第一歩になるのだと思いますが、矢代さんにはどうしてもできなかった。
「嫌なら言ってください」……百目鬼の言葉は、まるでそれに対する暗示のようです。

けれども再会後の百目鬼は「嫌なら言ってください」とはもう言わない。黙って強引とも思えるやり方で矢代さんの身体を暴き、有無を言わさず手首を掴んで連れ去り、あろうことか「犯す」という言葉を用いた。最初読んだとき、それらはあまりに衝撃的でした。あれほど矢代さんを崇拝し、忠実だった百目鬼が。どうして。

でも実はそういう不遜さこそが、百目鬼が矢代さんを護れるようになるために必要なことだったのかもしれない、と今になって思うのです。

幼い頃に自己の尊厳を損なわれ(しかし自分でははそれをけっして認めたくない……「俺は俺という人間が結構好きだ」「俺の面子がいつ潰れたって?」等…)、自分の本当に求めているもの、あるいは受け入れ難いものをそうと自覚することを自己防御のために無意識に避けてしまっている、つまり願いが叶えられない経験ばかり積み重ねてきたので、期待して失望し傷つくことを恐れ、願いを意識に上らせないようにしている矢代さんには、自分の本心からの要望を口にすることができない。またそのことに自分で気づいてさえいない。さらには願望を抱くことに罪悪感を感じているかもしれない。

そんな人に「嫌なら言ってください」と拒絶の意思表示を求めるのは、実は酷なことなのかもしれない、と思う。

「見たくありません。でもやめて欲しいとは言えません。それがあなたのしたいことなら、仕方ありません」

四年前、井波との交渉のためにホテルへ来たとき、こう言われて矢代さんはどう思ったのだろう……。一見、相手に寄り添っているようでいて、矢代さんにとってこれほど残酷な言葉はないんじゃないか、と思う。

だから百目鬼には、表面上の拒絶をものともせずに矢代さんが本当に心の奥底で望むものを引き出し、望むところへ連れて行く、ある意味強引で傲慢ともいえる強さを身に付ける必要があった、という風に思います。また矢代さん自身よりも、矢代さんの本心を汲む力も。

「知ってますよ、それなりに。あなたのことは」

そのためには、相手に痛みを負わせるかもしれないことも、その結果自分が憎まれ拒絶されるかもしれないことも承知の上で、それによって相手が負った傷も含めて全てを支える覚悟、そうしたものが必要で、今の百目鬼にはそれを感じます。56話の立ったままでの口淫のシーンは、その象徴のように感じました。

……それが、冒頭の台詞が浮かんだ理由です。


四年前の百目鬼はひたすらに矢代さんを崇め、ただただ自分をそばに置いて欲しいと願った。

「側にいたい。なんでもする。否定もしない。だからずっと近くに置いて欲しい」

でもそれは「あなたのためなら何でもする」と言いながら、結局は自分の要望を押し付けているにすぎないともいえる。
ただ寄り添うだけでは、救えないものもあるのだ。その辺の見極めは、非常に難しいけれども。

再会後、百目鬼が矢代さんの手首を掴んでどこかへ連れて行くシーンが何度かあります。実は四年前、第24話にも百目鬼の部屋で浴室から手を引いて連れ出すシーンがあるのですが、その掴み方は柔らかく、引く力も控えめです。四年後のその行為は、絶対にその手を振りほどかせないという決意と、目指すところへ連れて行くという強い意志を感じさせます。

そうして連れて行かれる矢代さんの表情は、いつもどこか幼く、夢見るように見えます。幼い頃から矢代さんの中には「ここから連れ出して欲しい」という思いが潜在的にあって、それを叶えてくれる人をずっと待っていた…のではないかと思う。そして今の百目鬼ならそれが可能なのだと。

ただしそのためには矢代さん自身が本気でそこから抜け出したいと思うこと(自分が本当に欲しいと思うものを恐れず求められるようになること)が必要なのだと思うのです…(それが「家畜」的存在から脱することにも繋がるのでは……とも)。そしてそのためには百目鬼の助けが必要……(堂々巡り)。

(2024/4/9)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?