囀る…感想26-2 改めて56話感想

(以前ふせったーに上げた記事の再掲です)

前回記事のつづきです。

55話、井波の暴露により、現在の矢代さんは井波や他の男達には反応しない、つまり自分を痛めつけるようなセックスは受容れられなくなっていることを百目鬼は知る。

しかし再会後、自分との行為ではいつもとても感じ、反応していた。ただ昔のように痛みを与えたり縛る行為は求めず、むしろ抵抗を示しているように見える。

もしかして矢代さんは変わったのか。そしてその上で、自分とは(痛くない普通の)セックスができるのか。

井波と別れたあと、車の中で百目鬼はそれらのことに気づき、それが事実なのかを確かめるために矢代さんの家へ向かう。

この部分、私はずっと、百目鬼は矢代さんの自分に対する想いの有無について確かめに行ったのだと思っていました。でも実はそれがメインではなかった……と今は思っています。もちろんそれもあるとは思いますが。

百目鬼が本当に確かめたかったのは、矢代さんが長年やめたくてもやめられなかった、本心では望まない男達との痛みを伴うセックスを必要としなくなったのか、やめられたのか、ということだったのだと思うのです。すなわちそれは、矢代さんの「再生」を意味する。

百目鬼にとって、自分が矢代さんと両想いになることなど二の次、三の次で、願っていたことはただひとつ、矢代さんの再生、魂の救済だった。四年のあの病院の屋上からずっと。

そのことに思い当たったとき、全てのことが腑に落ちたような気がしました。

再会後の行動はすべて、矢代さんを護るため、自分を損なうような行動から矢代さんを遠ざけるためだった。「性欲処理」はもちろん、冷淡な言動も、少しでも感情をのせればこの人がまた、自分を傷つける行為に逃げてしまうかもしれないからだったのではないかと。だから必死に感情を押し殺してきた。

百目鬼は矢代さんに繰り返し問いかける。

「変わらないなら、俺ともできますか」
「やれと言ったのにどうして抵抗するんですか」
「どうして欲しいんですか どうにかして欲しいように見えます」
「こうされるのが好きなんですよね それとも優しくされたいんですか」
「俺が犯せば満足ですか」
「今更 形だけ拒むんですか」
「満足しましたか」

……これらの問いは全て、「あなたは本当にこういうことがしたいんですか?本心から望んでいるんですか?本当は嫌なんじゃないんですか?(嫌だと言って欲しい)」という意味を含んでいる、と思う。

でも矢代さんには全くその意図が伝わっていない。自分だけが四年前の自分を慕っていた百目鬼を求めていて、もはや自分には何の気もない百目鬼が意地の悪い言葉を投げかけてくると思っている。何というすれ違い……(そしておそらく私を含め多くの読者も矢代さんサイドで見ていた)。



56話に戻ります。

百目鬼は矢代さんを問い詰め、自分以外には反応しないことを確認したあと、最後に「酷いの、好きでしたよね」と尋ねる。それまで淡々とした表情だった百目鬼が、この瞬間、本気で真剣な顔に変わる。それは、これこそが最も確認したい、大事な質問だったから。

これまでずっと問いかけ続けた質問。

「あなたは男に酷くされるのが好きなんですか?(本当はそうじゃないですよね)」

これを聞くのに絶対に逃してはいけないタイミング。
矢代さんの本音を引き出すために、あえて強い言葉で追い込んだ。

したがって、百目鬼がここで求めていた答えは「そんなの好きじゃない(好きじゃなかった)」。

でも矢代さんの答えは「…好きだよ」だった。

ただその表情はいつものうそぶくような薄笑いではなく、今まで見たことのないような、苦しげで、諦めたような哀しみに満ちていて、心とは反対のことを言っているのは明らかだった。百目鬼はそれに気づき、矢代さんは本当に変わったのだと瞬時に悟る。

「…好きだよ」のページの右下のコマ、百目鬼の微かに綻んだような口元は、それに対する喜びを表している……と思います。

私はこの作品は魂の救済の物語だと思っているのですが、矢代さんの心の再生が明らかになった、そしてそれを百目鬼が知ったこのシーンは、作品の大きなクライマックスのひとつといえるのではないでしょうか……。


そしてその上で、自分とだけはセックスできる、自分にだけは感じるのだということも分かった。

そこで確認作業は次の段階に移る。つまり、自分とだけはできるのは分かったが、前回のような手荒いのではない、優しいセックスも受容れられるのか。

だから行為の最中も、矢代さんの表情から片時も目を離さない。吐き気を催さないか、苦しそうではないか、気持ちと身体は昂りながらも努めて冷静に、慎重に確認しながら行為を進めていく。

ただし、身体は大丈夫でも気持ちを向けられたらどうかはまだ未知数なので、あくまで「身体の相性がいいから」という建前は保持しておく。「女がいる」と矢代さんが思い込んでいるのをそのままにしておくのも、そのためではないかと思います。


……とこれが現在の私の考えです。あくまで個人の感想ですけれども。

こうして考えてみると、53話扉絵 (後ろ手に手首をネクタイで縛られ跪き見上げる矢代さんと、その頬に手を伸ばす百目鬼)と「本当に望んでいたものは……」の意味がやっと分かったような気がするのです。

百目鬼が「本当に望んでいたもの」とは、囚われの身である矢代さんがトラウマから解放されることだった……と。



(長くなってしまったので、矢代さんサイドの感想はまた後日に……)

(2023/2/23)

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