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twitterからいなくなった

twitter歴も8年目になると、ツイートすることもなくなり、あまりつぶやかなくなりました。そりゃ最初のころはくだらないことをつぶやいていたし、フォロワーとのしょーもない会話(絡みっていう名の)を引用RTでしたり…と暴挙みたいなことをしていたもんです。午後8時は会話のためにログインしたりしてね。でも……もうそういうこともしなくなりました。

ある日、突然

交流のあるフォロワーがいなくなってしまうことが多々あります。お別れの挨拶をしていなくなった人。twitterから消えたからってその人がこの世からいなくなるわけじゃない。だけど、いなくなる気がする。だから、最後に、メールアドレスを聞いた。でも一度もメールをすることはなかった。その人が、twitter以外に存在する証を手に入れたから、満足したのだと思う。

ある人は、突然いなくなった。私が最後の挨拶を知らなかっただけかもしれない。もしかしたら結婚や出産をして、twitterどころではなくなった。興味も他に移ってしまって、その新しい興味のほうでアカウントを作ったのかもしれない。だから、余計なお世話なのだと思う。

ちょくちょく「心配なことがある。それはすぐ解決しない」と不穏なつぶやきをしていた人は、やはりいなくなった。もう何年か経った。アカウントを消してはおらず放置したまま。その人は実体がないというか、存在するのだろうけど、たぶん公称しているプロフィールは違うんだろうなと漠然と思っていたので、なにか実生活で起こったのだと推測した。

そして、毎晩午後8時に会話していた人はあっさりと消えてしまった。別アカウントを取得して、私とは無関係のクラスタに行ってしまった。それを告げて行ってしまった。あの8時の会話って意味はあったんだろうか。そういうもんなんだろうか。

ぐるぐる回ってる

いつのまにか、短歌をやっている人たちが増えていた。新しい人たちだ。「ふーん。新しく短歌クラスタに入った人?とかってさ、その、むかしツイッターやめていった人なんじゃないの?私は新しい人ですよ風で現れてみた的な」と娘が言う。そうかもな、と思った。けっこうぐるぐると回ってるのかもしれない。具合が悪くなった、失恋した、もう短歌に興味がなくなった。そんなことを言っていたけど。でも興味ってそんなになくなるものなのかな、また興味って、復活するんじゃないのかな。だから新しく目に入ってくる短歌のアカウントの人は昔、短歌の人として私のフォロワーだった人なのかもしれない。

再会した人

イベントで、いなくなった人に会った。懐かしかった。「どうしていなくなったの?」と聞くと「どうでもよくなっちゃって」と。「私はあなたのことを、どうしてるのかなってときどき思い出したよ」と話すと「うれしい」と涙をぬぐう振りでおどけた。

そんなことをわざわざ本人に告げて失敗した。今、楽しく過ごしていてtwitterを去ったことを何とも思っていないのなら、私はただの気持ち悪い人だ。そんなことを言うのはやめようと思った。

最近、数か月見なかった人が久しぶりにつぶやいていた。やっぱりなんだか、気恥ずかしいのか怖いのか恐る恐る、つぶやいていたように見えた。もう一人の人は何事もなかったかのように、昨日の続きのようにつぶやいていた。
そうやって戻る人もいる。でもまったくtwitterを見ない、なんてことはあるのだろうか。スマホが壊れたまんまなんてそんなことはまずありえないし…パソコンもあるだろうし。

だから本当は見ていたのではないだろうか。よく言うじゃない、「書いてはないけど見てる」って。そんな人は多い。私もそう。つぶやく内容がないのでつぶやかないだけだけど。見ていたけど書く気になれなかった。ではないかな。

「書けなかった」もある。結婚・出産して忙しくて書く暇がなかった。それがシークレットなら姿を消していたように見える。

消息は知れず

「あの人はいなくなったけど、どうしたのかな」と何人かの人の消息を他の人に聞いたことがある。「あの人は病気が悪化したんだって」「〇〇さん、失恋したらしいよ」。これらは本当のようだった。数年がたった。病気も完治して、元気に過ごしているかな。新しい恋をして楽しく暮らしているといいなあと思うばかり。その人がtwitterをやめても誰かとつながっているならば、知ることもあるけど、きっと一生知らないままだ。

私はいまさらまたひっきりなしにツイートはしないだろう。めんどうくさいし、もう大方のことはつぶやいた。

そんな話を娘にすると

「だーかーらーーーそーゆーひとってさ、別アカで元気にしてるよ~」「まったく別のクラスタにいるんだよね~」

ってやっぱり、そうなんだろうか。そうなんだろうなあ。

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