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自己肯定感って?

A.自分の特性を理解して、自分の苦手なところも「まぁいっか!」が言えるようになる心

くまが最近辿り着いた自分なりの答えがこれ。

「自分のこと好きになれば生きるのを自分に許してもらえる、つまり自己肯定感が必要!」って必死になってたけど、自己肯定感に自分を好きになる必要はないことに最近気づいた。

自己肯定感に大事なことは、自分に感じている嫌なところを受け入れる≒諦めることなんだろうな。

「まだ頑張れる余地があるのに諦めるのはおかしい、私はやればできる子なんだから」って思って理想とか平均になるために努力することを選んでたけど、それで度々自分のキャパ超えして「こんなにも出来ない私は要らない!」って高頻度で自傷衝動に駆り立てられるのは自己肯定感以前の問題だし、そもそもそんな状態が今の私のことを大事にしてくれる人に対して失礼極まりなくて傷つけることなんだって気づいてないのが更に救いようもない人間だった。
これに関してずっとごめんなさいって思ってる。

私の嫌いなところを緩和させれば私の好きな人たちにもっと迷惑かけずに済むし幸せになってもらえると思い込んでたけど、そんなことは誰にも望まれてなくて、ただただ私が一人相撲してただけだった。

もちろん自分の嫌なところを治す努力をすることは必要だけど、人の凸凹の凹を伸ばすのは限度があることをやっと受け入れられたし、自分のこと嫌いなままでもいいんだって思えてただけでもだいぶ肩の荷が降りたや。

あと、自分のこと少しでも好きになるために「えらい!すごい!」って自分にも他人にも褒められる要素を増やすことを頑張ってたのも自己肯定感を拗らせた原因だな!

出来ることが増えて自己効力感は得られたけど、肝心の自尊心は特に育ってなかったから、気づけば「〇〇が〜〜くらい出来ない私は偉くない=価値がない」になってしまってた。

偉いねって褒められるの今でも大好きだけど、「〇〇してえらい」だけだとこうやって自尊心を歪めてしまう可能性があるんだね。

これを理解してからは褒め言葉の難しさを痛感してる。「えらい」って便利だけど怖いねーー。

敬愛している雅に1年以上根気強く肯定し続けてもらえたおかげでやっとこんな私でも良いんだって思えてきたし、自分に「私には〇〇は向いていない」って少し諦めがついてそこに努力することを辞める決心もできたから、これからは楽しいことと幸せなことに目を向けて苦手よりも好きなことをいっぱいしていきたいな。

たぶん、そうして好きなことを沢山してたら、いつのまにか自分の不出来な部分も「まぁいっか!それが私だしな」ってなれるのかな、それが自己肯定感なのかなーって今は思ってる。

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