ユリイカ女オタ特集への夢小説15年選手女オタの雑感 ~やっぱり”語る”必要があるよね我々も~

というわけで、いきなりですが、天下のユリイカで女オタク特集が組まれ、その電子版の配信も始まりました。天下のユリイカで女オタク特集である!すごい!

そもそも「女オタク」ってなんだよ、男と女で「オタク」を区別する必要はあるんかいな、という提起は誌面でも複数行われているので、ここで改めて行うことはしない。

ともかく、大変ボリュームがあり読み応えのある特集だった。

ありとあらゆる「女オタク」たちのありとあらゆるインタビュー、対談、エッセイ、̪詩、論考がどっさり入っていて、めくってもめくっても「タイムラインじゃん!」の一冊。実際フォロイー・フォロワーが何人か寄稿してるんだから「タイムラインじゃん!」なのは普通に当たり前だが。(というか何なら自分のツイートが間接的に言及されていたので笑った)(タイムラインどころの話ではない。「わたし」の話じゃん)

この特集を「タイムラインじゃん!」と思えるぐるぐるさん(私)はもちろん自らも「女オタク」である。(便宜上の表現)

女オタクと一口に言ってもアホみたいなバリエーションがあるわけだが、ぐるぐるさんがどういう女オタクかっていうと、国内ミステリ小説(漫画アニメゲームはあんまり触らなくなってしまった)、LDH、ロックバンドと、あと商業BLコミックが好きで、商業BLコミックが好きってことは二次創作のBLも読むし、自分で小説を書くし、そして何より夢創作を愛している、そういう感じの女オタクだ。

(ここで「夢創作」とは何か?という話をすると膨大な文字数が必要になるので割愛する。超雑に言うと「”夢主”という原作にいない存在(それはたびたび読者の”わたし”と成りうる)を挿入してキャラを始めとした原作世界との関係性を描写する二次創作の形態の一種(キャラと”夢主”の恋愛関係を主軸にしたものが多いとされる)」である)

昔っからいわゆるやおいというかBLCP小説も書いているし、ここ数年のメインはBLなんだけれど、女性向け同人(二次創作)界隈で「何をやってる人ですか?」と聞かれたら「夢小説をやっています」が最初に出てくる。

「小学生のときから15年以上夢小説をやっています!」って言います。

2005年に開設した夢小説サイトは今も運営しているし、夢小説同人誌(いわゆる夢本)も何冊か発行している。

ずっと夢創作のことばかり考えていたし、ツイッターでも夢創作のことばかりツイートしていたし、夢創作のことでめちゃくちゃ喧嘩をする。喧嘩をしすぎて「夢女の大ボス」とか揶揄られたりした。どういうこっちゃ。

まあ、ぐるぐるさんがツイッターでどれだけ喧嘩をやっているかはどうでもよく、重要なのは、ぐるぐるさんにとって「女オタク」を語るとき、「夢創作」の存在は切り離せないものだということである。

なので今回のユリイカも「夢創作への言及はどうなっているんだろう?」が最大の関心だった。別に今回に限らず、人間が「女オタク」を語るときは、いつもそのことが最大の関心である。

しかも今回のユリイカの特集には、一応「推しとわたし」というサブタイトルがついている。さっき超雑に言ったけれど、夢創作の中には「”わたし”とキャラくんの恋愛創作」というジャンルが多い。ド直球に「推しとわたし」をやっている分野だと言えよう。こりゃあ夢創作の話もしなくてはなりませんな!

で、実際のところ今号のユリイカでどれくらい夢創作に言及があったか?である。

「いわゆる夢女子だった」というような筆者の回想を除くと、夢創作とそれをとりまく環境に言及されているのは、

吉澤夏子「<私>の性的主体性 腐女子と夢女子」、

汀こるもの「審神者なるものは過去へ飛ぶ それは歴史の繰り返し」、

青柳美帆子「オタク女子たちが『自重』してきたもの ネットマナー、半生、夢小説」

の三篇だった。

「女オタク」特集といっても必ずしも二次創作を嗜むオタクのことが前提の特集ではないし、全体としてこの数が多いのか少ないのかは私には判じられない。まあしかし、BLについて言及される頻度に比べると極端に少ないよなあ、とは感じる。(百合とかヘテロ恋愛ジャンルへの言及はもっと少ないけどね)

というか、なんだったら青柳さんは相互フォロー(やりとりはほとんどしてない)だし、こるもの先生にはしょっちゅうRTされるくらいの距離感(相互フォローではない)だから、普通に”タイムライン”なんですよね…。雑な言い方だけど…。

それに、このお二人の言及は「夢創作」そのものというよりは、「夢創作」とそれを好む人間が「女オタクコミュニティ」でどのような立場にあるか、というようなもので、実際に「夢創作」について論じているのは「<私>の性的主体性 腐女子と夢女子」の一篇だけだと言うべきだろう。

この論考は表題通り、「腐女子」と「夢女子」を対比させながら、女オタクが二次創作をするにあたっての<私>の居場所を考察するものである。

具体的な内容については本文を読んでもらったほうがいいと思うので、割愛する。

で、私個人の感想としては、「これ、私はそれなりに『そうだよね~』って思うけど、すっごい嫌に感じる夢創作のオタクは結構いるだろうな~」だ。

夢創作のオタクが、外部で夢創作について言及されているときに一番気にするものは「夢創作とは何か?」という定義の部分だと思う。要するに、「夢創作とはキャラ×自分の妄想恋愛創作のことである」と断言されてしまわないか、どうか、である。

実際のところ、別に夢創作における”夢主”は”わたし”に限らないし、恋愛メインのものばかりというわけではないし、結構幅が広くて雑多なジャンルなのだ、夢創作って。だからキャラ×わたしや恋愛創作に限定されてしまうと「いやいやそれだけじゃないから!!」になっちゃうし、そう限定する人は「夢創作」というフィールドのことについて無理解では?と思ってしまうのである。

そこで、今回の論考が夢小説(夢創作)をどう定義しているか、ですけれど。

夢女子が手掛けるのは、大好きな一人のキャラと自分=<私>(書き手/読み手)の恋愛関係を描く物語だ。

です。

う~~~~ん。

まあ今回の論考は、性的主体性について論じるものなので、恋愛関係を描写するものとしてフィーチャーするのは当然かなとは思う。BLも恋愛関係を描くものだってされてるし。(BLも本当は恋愛関係だけを描いているジャンルというわけじゃない)

ただ、注目したいのは「自分=<私>(書き手/読み手)」という補足がついてることだ。雑に夢創作を語るとき、この”自分”というものに読み手が含まれることは書き漏らされがちである。これが拾われてるのは結構いい感じである。

いわゆる夢主のことを「その世界に生きている一人のモブ=誰でもいい誰か(女性)」と表現しているのも、なかなかいい線をいっている。

キャラ×自分という表現に依存しすぎると、夢主はほかでもなく書き手そのものになってしまうような書き方になる。「モブ」とか「誰でもいい誰か」って呼ぶのは、まあまあ当事者っぽい表現だな…。

とか考えながら読み進めていったところで、ぐるぐるさんは結構なデジャヴュに襲われることになる。というか、夢創作論の引用元がどこかに気づく。

「これ、引用元は『ゆめこうさつぶ!』じゃん!!!」

当然巻末にも引用元として記載されているのだが、この論考における夢創作への叙述・議論はすべて2013年に発行された『ゆめこうさつぶ!』という同人誌を参照・引用している。

これはテニスの王子様で夢小説サイトを運営しているお二人がそれぞれのことばで夢小説について論じた同人誌で、私が知る限り、「夢小説(夢創作)」について形式立てて論じたほとんど唯一のものである。発行は2013年末だが、2014年半ばよりWEBでPDFとして全文が公開されている。(http://yinfo.web.fc2.com/

「ゆめこうさつぶ!」が引用されていると気付いた瞬間、私は改めて思う。「これ、私はそれなりに『そうだよね~』って思うけど、すっごい嫌に感じる夢創作のオタクは結構いるだろうな~」。「ゆめこうさつぶ!」を読んだときの感想がほとんどこれだったのだ。

当時の私は少し遅れた通販でこの同人誌を購入して、即読んだ。私のフォロワーたちも結構読んでた。WEB公開された折にはさらに多くのフォロワーが読んだ。

タイムラインが荒れたのは言うまでもない。すっごい嫌に感じる夢創作のオタクが結構いたので。

要するに、この同人誌を発行したお二人は、夢創作人間の中でもいわゆる無個性・平凡夢主を第一とする派閥に属している人たちなのだ。

読み手が「これは<私>だ」と感情移入できるような、「誰でもいい誰か」である夢主で、キャラクターたちと彼女(夢主)たちの”もしも”の恋を描く。学園スポーツものジャンルと大変相性のいい作風だ。(当時私は発行人のお二人の夢サイトも見に行った。なるほどやっぱりそういう作風で、大変素敵なサイトでした)

まあそれはいい。それはいいんだけど、先述の通り、実際のところの夢創作ジャンルっていうのは結構闇鍋である。

そういう、夢主は「誰でもいい誰か」たる無個性・平凡夢主であってこそだという派閥だけじゃなくて、いわゆるオリジナルキャラクターを夢主と呼んでいる人もいるし、本当に<私>を擬人化したようなキャラクターを夢主と呼んでいる人もいるし、なんかもっといろいろ派閥がある。夢主は女性に限らず男性だったり動物だったり無機物だったり概念だったりするし、描かれる関係が恋愛関係だとは限らない。とにかく幅が広い。

無個性・平凡夢主派閥の勢力が大きかった時期が長いのも、また事実だ。というか、今もそういう空気はあるのかもしれない。無個性夢主とか平凡夢主という言葉を見る機会は減ったし、現在の夢創作のメインフィールドはpixivで、名前変換という機能からやや遠ざかっているけれど(一応名前変換機能は最近実装されている)、それでもやっぱり求められるのは「感情移入しやすい誰か」なのかもしれない。ぐるぐるさんは最近めっきり夢小説の少ないジャンルにしかハマってないので断言できないけれど。(国内ミステリ小説夢書きの人は手を挙げてください)

そういう環境だから、いわゆるオリジナルキャラクター的な夢主をやってきている人間は煮え湯を飲まされてきているし、男夢主をやってきている人間はそれどころの騒ぎじゃない。

夢小説とは、キャラと「誰でもいい誰か(女性)」である夢主の恋愛関係を描いたものだ、という前提のみで論じられると困るし、嫌だな~!ってなる人がたくさんいるのである。

ぐるぐるさんのツイログひっくり返せば「ゆめこうさつぶ!」発行当時のタイムラインの断片が見れると思うけれど、とりあえず、まあ、結構物議が醸されていた。

やや最近になってから、「ゆめこうさつぶ!」の中の人が刀剣乱舞における「審神者」は「夢主」ではないというような意見をツイートしたのも結構荒れたはずだ。

まあ、そういう主義の人なのだ。

そういう主義であることが悪いとは、私は思わない。ジャンルの性質としてまあそういうことはあるだろ、と思う。

それに、「ゆめこうさつぶ!」は彼女たちの主義に則って、きちんとした形式で、きちんと彼女らの主張をまとめて論じたものだし、あのようにきちんと夢創作について論じた本は2020年になってもほとんど存在していない。(全くないとは言わない)

「ゆめこうさつぶ!」このジャンルを論じることの先駆者で、外すことのできない先行文献である。

だから「<私>の性的主体性 腐女子と夢女子」という論考でも引用されているのは「ゆめこうさつぶ!」なのだ。というか、ほかに引用できる対象がほとんどない。

2014年頃、当時の自分を回想すると、「”夢創作”とは何か」を言語化して、伝えることに躍起になっていたと思う。けれどそのフィールドはほとんどツイッターで、私の主張は断片的なツイート群としてしか存在していない。

ツイート群というのは儚い。一覧性が低い。Togetterにまとめたところで、やっぱり地盤が弱い。ブログとかに記事にしていたらまだマシだったのかな。何にしても、ある程度まとまった分量の文章で語られたものに比べると、めちゃくちゃ力が弱いのだ。

「私も自分のことばできちんと、自分の中の“夢創作”について語らなければいけない」

当時のぐるぐるさんはそう思った。思ったけれど特に実際にきちんと文章をまとめたわけではなかった。

「ゆめこうさつぶ!」に対して荒れるTLに直接投げかけたのかどうか、ちょっと確認ができないのだが、「私たちがあの論考をきちんと批判するためには、同じステージに立たなければならない」とも思っていた。

「それだけが夢小説/夢創作ではない」と主張するためには、私たちも同様に、きちんと体裁を整えた形で意見を取りまとめ、そうして批判をする必要があるはずだった。できれば同じように同人誌にまとめて。批評のステージに上がらなければいけなかった。

語られなければ、それが形として残り、誰かの目に留まらなければ、”それ”はないも同じなのだ。

けれど、夢創作を行う人間たちが自分たちについて語るムーブメントは、ツイッターの外に出ることはなかった。

そして6年ほどが経ち、ユリイカという商業誌のステージで語られた「夢創作」は「ゆめこうさつぶ!」に支えられたものだった。

繰り返し言うけれど、別に「ゆめこうさつぶ!」や「<私>の性的主体性 腐女子と夢女子」という論考に問題があるわけではない。「ゆめこうさつぶ!」は夢小説を書く当事者である彼女たちによって語られたもので、あれも確かに夢創作の実際を記述したものなので。

「そういう側面はある」のだ。

実際のところは、それだけがすべてじゃないのも事実だ。だけれど、「それだけがすべてじゃない」と言うためには、夢創作は語られなさすぎている。

今回のユリイカ女オタク特集を一読すると、今まで「女オタク」たちが(ひいては”女性”が)、自分たちのことを語り、表現することに困難があったことが伝わってくる。やっと語れるようになったのだ。だから語らなければいけない。そういうエネルギーが感じられる。(ドンピシャでそういう論考も掲載されている)

語って、かたちに残さなければならない。そうしないと、見えないものはなかったものにされてしまうから。

だから「女オタク」たちは語り始めた。

というわけで、私は改めて強く思ったわけです。

「”わたし”の夢創作のこと、ちゃんと語っていかなくちゃいけない!」

そうしてかたちに残して、批評のステージに上らなきゃならない。キャラ×誰でもいい誰かの恋愛関係、に限らない夢創作を愛するわたしたちは。ないものとされないために。

やっぱり紙の、それも商業誌に掲載されて残るというのは強いことなので。商業誌までは行けなくても、とにかく何かしら形に残さないといけない。

ここからはやや余談になるけれど、今回のユリイカで夢創作について言及のあった残りの二篇の原稿についてはものすごくありがたく思っている。

どちらも「夢創作」というジャンルが女オタクたちの中でどのように抑圧されているかが、特に刀剣乱舞における女審神者ものムーブメントへのバッシングを例に挙げて述べられているからだ。

刀剣乱舞リリース当時の女審神者創作へのバッシングはかなり壮絶で、かなり多種多様にいろんなことがあり、端的に言って最悪だったのだけれど、これは意外と知らない人が多い。刀剣乱舞が息の長いコンテンツになったことも影響しているだろうけれど、いわゆる刀剣乱舞のジャンル者でも全然知らないことがある。

いや、マジでめっちゃ叩かれてたんですよ!異常だったんですよ!

こるもの先生は「ネタが被った」と言ってたように思いますが、個人的には複数の人間が同じ誌面で別々にその話を挙げていることはすごく良いことだと思いました。複数人が話している方が、本当にあったことだ」って担保になると思うので…。

商業誌でそのことが記録されてよかった!!!!今後何かあったときにもきちんと引用ができる!!!!

やはり紙の本から引用できるというのは強みなのだ。

国会図書館にあれば後世のひとたちも参照・引用ができるし。語って、論じて、本にして、国会図書館に納本しよう。

というわけで、だらだら書いたけど夢創作大好きぐるぐるさんのユリイカ女オタ特集の感想でした。

読み応えのある記事がいっぱいなので、夢創作が好きなあなたも、そうでないあなたも、みんな読んでみようね。

(余談の余談だけれど、今まで私が確認した限り、商業誌で一番「夢創作」についての語り口が現実に近く印象がよかったのは月刊サイゾー2020年6月号 性愛禁特集の夢女対談だった。

なんでサイゾーに夢女対談が載ったのか、その記事が今まで見た記事の中で一番印象がよかったのか、全然まったく意味がわからんのですが、すごいちゃんとした対談だったのでこれもみんな読んでね。Kindleアンリミテッド対象だよ)

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