見出し画像

クラシック音楽の歴史 (角川ソフィア文庫)

【音楽史の起源】
・人類最古の音楽
いまの人類よりも前に地球に登場していたネアンデルタール人も歌っていたらしい。
彼らは言語はもっていなかったが、音楽はもっていたらしい。

・西洋音楽の起源
古代ギリシャにまでさかのぼる。

・最古のクラシック音楽
→6世紀末〜7世紀前半に編纂された「グレゴリオ聖歌」と言われる。
*「楽譜」が残っている、最古の音楽という意味。
音楽は絵画や彫刻のように形が残らないため、楽譜が残る音楽しか学問的には認められない。

【音楽史の変遷】
1. ルネサンス音楽(15〜16世紀)
・「美術のルネサンス時代の音楽」という意味。
美術のように、「再生」や「復興」という明確なテーマはない。

・宗教儀式用の音楽を教会に雇われて作成したり、王や貴族の娯楽のための音楽を作る。
自らの芸術的欲求や表現を目的とした作曲は存在しない。

2. バロック音楽(17世紀〜18世紀半ば)
・フィレンツェ発祥

・「美術のバロック時代の音楽」という意味。
「ゆがんだ真珠」という意味で、否定的ニュアンスを含んでいた。

・「後世に作品を残す」という発想はない時代。

・オペラの誕生
→16世紀の終わりころに、ルネサンス時代の流れの一部で、
絵画のモチーフとなった神話に並び、ギリシャ悲劇を現代化する動きが発生、これが源流。
最初はシンプルなセリフに節がついたようなものだが、本格的な歌と規模の大きな伴奏楽器に発展していく。
器楽部分が発展して交響曲となる。オーケストラも、音楽担当として誕生。
独奏楽器とオーケストラが合奏する「コンチェルト(協奏曲)」も誕生する。

→言葉と音楽が一体となった音楽であるため、別言語にすることが難しい。
イタリアやフランスで独自の様式が確立されていく。

・オペラハウス、コンサート
元々は王侯貴族の楽しみで、宮廷や邸宅で開かれていたため、誰でも観れるものではなかった。
17世紀前半に、ヴェネチアのサン・カシアーノ劇場で、入場料を払えば観れるオペラハウスがオープンした。

・交響曲
オペラの序曲から独立した、原則として4つの楽章を持つオーケストラで演奏される曲。
急・緩・急・緩のテンポが原則ながら、逸脱した名曲も多く強制力はない。
ハイドンやモーツァルトの時代までは、「絶対音楽」。
具体的なモノやコトを表さず、純粋な音としての音楽。メッセージ性もない。
メッセージ性を帯び、作曲家がもがき苦しみ、聴き手も共感や反発などをするような大きな変化をもたらしたのがベートーヴェン。

▼代表的な音楽家
・バッハ
「音楽の父」と呼ばれるが、以下の3人よりも新しく、すでに音楽は存在していた。
それまでの音楽を集大成した功績を称えられている。
バッハ以前はの音楽はイタリアやフランスが盛んであったが、
以後ベートーヴェンやモーツァルトなど古典派からロマン派を席巻する、ドイツ系の音楽家の先駆けとして再発見された。

・モンテヴェルディ
ヴァイオリンを初めて合奏に取り入れて、オペラを改革。
感情の起伏を音楽で表現するのが画期的だった。

・ヴィヴァルディ
代表作の「四季」で有名。独奏協奏曲(ひとりの器楽奏者とオーケストラの演奏)を確立。
春・夏・秋・冬という、モチーフを音楽にする「標題音楽」の先駆者。全盛は19世紀半ばのロマン派。

【3. 古典派音楽(18世紀前半〜19世紀前半)】
・モーツァルトとベートーヴェンの時代であり、この時代にクラシックは完成する。
次の時代のロマン派の音楽にとって、規範とすべき「古典」という意味で古典派と呼ばれた。

・中心地はウィーン
→イタリアやフランスから音楽の中心が、それまでの辺境であったドイツ語圏に移り主導権を握る。
→ハプスブルク家の富を背景に、イタリアからも多くの有能な音楽を集め新しい音楽を生み出した。

・音楽ビジネス(産業)の成立
楽譜の出版とコンサートが本格化し、教会や宮廷に縛られずに活躍する作曲家が登場。
演奏会やオペラを主催する興行師の誕生や、宮廷を抜け出した、演奏会専門ホールの設立が進む。

・楽譜の商材化
18世紀までの音楽は、貴族に対して聞かせることが目的。
すなわち、商品は演奏で、作曲はその過程であり、楽譜は単なる道具であった。
しかし、19世紀になると貴族や富裕層が自ら演奏を楽しむことが流行し、そのために楽譜が商品として成立した。
作曲は、他人のためにするもでもあるようになった。

・交響曲のタイトル
多くが、出版社や興行師が分かりやすいように、作曲家の意図しないところでつけたもの。
古典派音楽の多くが「標題音楽」ではないため、タイトルはない。
例)ベートーベンの交響曲第3番「英雄」は英雄の生涯や戦いぶりを描いているわけではない

▼代表的な音楽家
・ハイドン
「交響曲の父」とされる。当初はハンガリーの宮廷楽団で活躍するが、当主の交代で解散、フリーの活動をする。
以後、興行師ザロモンとの出会いをきっかけに、経済大国でコンサートも盛んなイギリスを拠点に移す。
貴族に雇われる→芸術家として自立→興行を行う、異なる時代を一身で体験した音楽家。

・モーツァルト
絶対音感があり、姉が習う音楽を聴くだけで和音を弾き、4歳でピアノを弾く。5歳で作曲をして「神童」の誕生。
イタリア語で書かれていたオペラをドイツ語化し音楽に「感情」を持ち込んだ点が革命的だった。
何かを感じたり、「解釈」という概念を音楽に結びつけた。

・ベートーヴェン
8歳でコンサートデビューしたが、美談ではなくアルコール中毒の父に代わって家計を支えていた。
難聴を突如患い自殺も考えるが、吹っ切れて作曲家として生きることを決意。
歌詞ではなく、音楽そのものにメッセージ性を込めた「思想表現」としての音楽の道を切り開く。

・その他
シューベルト、ロッシーニ

4. ロマン派(19〜20世紀初頭)
*1850年あたりを境に前後期で分ける

【前期ロマン派】
・現実世界を超越したものを描こうとした。古典派が確立した様式を打破し、乗り越えた。
作曲家それぞれの感性を重視し、音楽を「何でもアリ」にした。
何かモチーフを描いた「標題音楽」が重要になり、文学や音楽との距離が近づく。
*対は「絶対音楽」で、音楽は音楽で何者にも従属しない、という考え方。

・名曲の概念
18世紀までの演奏会は、基本的に新曲披露の場であったが、19世紀になるといい曲は何度でも演奏されるようになった。
18世紀までは作曲家が演奏家もする自作自演であったが、過去の名曲を現代の演奏家が演奏するスタイルが生まれた。

作曲家は永遠に演奏される「名曲」を残すことを考えるようになり、名作を判断する「評論」も生まれた。

▼代表的な音楽家
・メンデルスゾーン
指揮者を独立した職業にした。1835年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり指揮法を確立。
また、コンサートプログラムに過去の名作を組み込む、今日に至るスタイルを創り上げた。
彼により、バッハやベートーヴェンが時代を超えて演奏されるようになった。

・ショパン
ほとんどがピアノ独奏曲という異質な音楽家。自分で弾くために作っていた。
技巧面で様々な表現方法を生み出したピアノ曲の第一人者。
ショパンの練習曲は、技巧の習得のみならず、知性や感性を磨くことを重要とし高度な内容になっている。

・その他
シューマン

【後期ロマン派】
・国民楽派
19世紀末〜20世紀にかけての音楽はこの民族主義によって発達したと言われる。
ワーグナーに代表されるように、伝説や民話をモチーフにした音楽が流行した。
ロシアや東欧に民謡や民族音楽として元々存在した音楽は、従来芸術ではないとされてきたが、
中心地であったドイツやイタリアで民族色の強い音楽が生まれ、状況が変わる。
ドイツやイタリアの基本技法や様式をベースにロシアや東欧の人々が固有の音楽を作るようになり、クラシック音楽に多様性をもたらした。

▼代表的な音楽家(国民楽派)
・ワーグナー(ドイツ)
世界音楽史上最大規模の作品「ニーベルングの指輪」を完成させた、ドイツ人の精神に通ずる音楽家。
北欧神話、ゲルマン民族の神話、ドイツの民間伝承を投げ込んだ壮大な物語のような音楽。
人物、思想、感情ごとに表現する音楽を変える「ライトモティーフ」の発明者で、今日の映画やドラマでも使われる手法。

・ブラームス(ドイツ)
「ベートベンの偉大な9曲を超えなければ意味がない」と1曲目の発表には着手から20年をかけた。
4曲の交響曲はいずれも標題がなく「絶対音楽」的であるために「新古典派」と揶揄されることもあった。
しかし、明確な感情の表現が垣間見える点はロマン派らしく、古典的な様式と融合させた点が革命的だった。

・ヴェルディ(イタリア)
19世紀後半を代表するオペラ作家。代表作『行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って』はイタリアの第二の国歌と言われる。
ワーグナー同様、この時代に統一を迎えるイタリア人の精神に通ずる音楽家。
作曲料のみならず、契約による改編の制限や印税契約など、今では当たり前の著作権を拡大した。

・スメタナ(チェコ)
「わが祖国」の2曲(6曲ある)「モルダウ」があまりにも有名。
「川の流れ」を表現した音楽で、典型的な標題音楽として受け入れられた。
2曲目以外は、チェコの歴史や神話に基づいている。

・その他
シベリウス、グリーグ、ドヴォルザーク、チャイコフスキー

【20世紀の音楽】
・王侯貴族と教会の力は衰え、貴族が音楽家を丸抱えできる時代は終焉を迎える。
音楽家は印税やコンサトーの他、交通機関の発達で演奏旅行に出かけて世界を股にかける。
市場も広がり、レコードの登場が追い風となる。

・アメリカの登場
イタリアで誕生した西洋音楽が、いよいよ大西洋を渡りアメリカに移った。
19世紀末、経済力をつけていたアメリカは、ヨーロッパから著名な音楽家を連れてきては演奏させ、
音楽教育の基礎を整えていた。

・レコードの発明
1877年にエジソンが発明。
最初は録音して大量に複製することが目的であったが、スタジオでのセッションで曲を作ることを始めたビートルズが、
録音により「創作物(アルバム)」を作る概念を示した。
レコードによりコンサートはなくなると言われたが、昨今のネット社会では逆転し、CDが消えつつも、ライブ・コンサートは人気が高い。

▼代表的な音楽家
・エルガー
経済的、軍事的に世界の覇権を握っていたイギリスには、シェイクスピアなど偉大な文学家はいても、
18世紀前半にドイツから帰化して活躍したヘンデル以外の大音楽家がいなかった。
そんな中、19世紀末に「イギリス音楽ルネサンス」による復興を牽引したのがエルガーであった。
「威風堂々」など現代も演奏される名曲が生まれ、この曲はイギリスの第二の国歌とも言われている。
「愛の挨拶」も有名である。

・カラヤン
1970年代に日本では「クラシックの代名詞」と言えるほど活躍した。
レパートリーは、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、チャイコフスキーがメイン。
1954年にベルリンフィルの指揮者となり、ウィーン国立歌劇場等の監督も務める。
絶大な力を背景に、EMIなど世界3大大手レーベルに自分のレパートリーを録音させ、500枚近いCDを出す。
飛行機の発達で世界中で公演ができるようになったことも大きく、クラシック音楽の商業化の波に完全に乗り成功した音楽家。