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4時間の大作映画「ニンフォマニアック(色情狂)」が絶対面白い理由!


 人は、他人の性行為を見て性的な興奮を憶える動物です。初めから「窃視(覗き見)」という性癖がある、ということ。性行為そのものは、単調な動作にすぎないのに、それを見て興奮するのは人間がそれぞれどこかに自分が興奮するツボや性向をもっているからです。ある男性は女性の胸であり、ある女性は男性から少々乱暴にされるのが好きであったり。性行為の真ん中に性はなく、「性癖」という形で、人間の個々に性があるのです。主人公の性的体験の中に必ず自分のツボがあり、身を乗り出してしまうことは間違いないです。それが、まずは理由その一。

 そして、社会の中で性に関することは抑圧されています。性は、個人的な生活の奥、閨房の中にこじんまりしまっておくのが良く、昼間は無い物であるかのように振る舞うのが道徳的。だから、男性はグラビアを見、こっそりAVを見ます。女性はちょっとエッチなドラマを録画します。抑圧は悪いことばかりではなく、抑圧されているから子供だましのもので興奮できるわけ。なんと効率的! でもそれだけでは、やっぱり飽き飽きするので、たまにこんな映画が登場して、退屈な日常を吹き飛ばしてくれます。そのタイミングだって、神様が考えてくださっているんです。神様公認なのです。だから面白い。それが、理由その二。神様がこれをビデオ屋で堂々と借りれるような段取りまでつけてもらっているのが嬉しい。何たって、「デンマークの鬼才ラース・フォン・トリアーが、人間の性に真正面から取り組んだ4時間の問題作」だから。「問題」は、知らん振りはできないので、借りて目を通さないと! ただ、かなり過激。見る時と場所は選ぶべきだけど、借りる時はVol.1とVol.2を同時に借りる事。絶対に、一気に見通してしまうので。

 さあ、映画は始まりますよ!

 ある霙まじりの夜に、学者のセリグマンが小路に倒れているジョーという女性を拾います。この女性は明らかに殴打乱暴されている様子で、介抱すると意識を取り戻します。セリグマンは人文学・数学・科学に驚くほど学識の深い学者で、初老の独身男です。彼はジョーに興味を持ち、何故あのような入り組んだ小路の奥に倒れていたかを尋ね、ジョーは少しずつ語り始めます。ジョーの話はあまりに奇異であったけれど、セリグマンはその一つ一つを理由があるものとし、学問や見識の中の洞察を引用して裏付けようとしていきます。ジョーはそこに紛れた微かな欺瞞に時折反発しながらも語り続けます。(言葉とエロスは敵対しながら相乗するものです。言葉の無い所にエロスはないのです。檀密・黒木香など)そして、話の途中で、ジョーはセリグマンを童貞であると見抜きます。この映画は、童貞と色情狂の語らいという構図をようやく見せてきます・・・。

 この映画は、8章の物語からなっていて、ペトラルカ「デカメロン」のような艶笑譚の形式を取っています。一章一章、章題がつき、(滑稽な)オチがついています。何故、セックスに関する事を真面目に語ると、可笑しいのか。シェイクスピアが、「四本の手と四本の足」と揶揄した、性交の格好と動作そのものの滑稽さ。それと、全く滑稽に思える他人の性の趣味趣向。それもそうですが、人間は社会から抑圧を受けて、自分の性に対して欺瞞を働くのです。うろたえ、隠そうとし、無いものとしようとする。だから、滑稽です。これも、4時間ある映画を一気に見てしまう絶対的な理由です。

 内容については、あまり語らないこととします。章立てと、そこで取り上げられる性癖についてだけ、書いておきましょう。放置プレイ、ですね。

第一章 釣魚大全

 男性の狩猟。フライフィッシングに例えて。

第二章 ジェローム

 処女喪失の思い出。フィナボッチ数。

第三章 マダムH

 不倫。修羅場。(ユマ・サーマンがもの凄い)

第四章 譫妄

 父の苦悶の死と、オルガスムス。

第五章 リトル・オルガン・スクール

 ジェロームとの再会。「悪魔の三声」の消失。

第六章 東洋と西洋の教会

 過激なSMとそれから・・・。(ああ、さすがに書けない!)

 黒人二人が・・・。(ああ、とても書けない(笑))

第七章 鏡

 セックスセラピストとの闘い。

第八章 銃

 ペドフィリア(小児愛性向)、同性愛、ペニスとしての銃。

 スカトロジーちょっと。

このうち、女性には第六章のSMの場面だけでも見て欲しい。これ、本物です。淡々とひどいことをします。これを見ると、女性は根本的に嗜虐性を持っているのではないか、と思ってしまう。うわ、思い出しただけでも、ひりつくような怖さと痛さで飛び上がりそう!(笑)

 「エロスはイエス、だけど、愛はキライ。」と、ジョー。「愛は、不誠実なものだから。愛は盲目どころか、もっとひどい。愛は物事の本質をゆがめるわ。嘘を纏い、最も低俗な本能に訴える。」ジョーは、色情狂である自分を取り巻く人間たちの偽善・欺瞞をイヤというほど見ている。「逆から」人間を見ているのです。一方、セリグマンは「上から」見ています。何故ここにいるか、まで語り終わったジョーと、聞き役としておそらく最もふさわしかったセリグマンはそこで、やっとお互いに共感を得ます。そこから、果たしてジョーの「救済」は可能なのか、という最後のテーマに入ってきます・・・。

 なかなか、生活の中で、4時間もDVDを見る暇があるかどうか難しいとは思うものの、以上の理由により「絶対面白い」と断言できます! DVDされたばかりで、ビデオ屋に並んでいるはず。神様公認でもあるので、是非もなく見て「問題作」をやっつけて欲しいです。

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