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原節子の華

あまり誰も言わない事だけど、原節子は決して日本人っぽくない顔立ちである。彫りが深く、目鼻立ちが整い、何と言っても大きな口。そもそも顔が大きいので、スクリーン中ではまるで小振りの花の後ろに大輪の百合の花が咲いているようだった。しかしながら、不思議と目立ちすぎることはなかった。そこが、原節子の秘密だと思う。

彼女はいつも、目立つ面貌をはにかむように控え、大柄な体躯を折っていそいそと立ち振る舞った。彼女が登場すると、目を向けざるを得なかった。また彼女が喜ぶ瞬間、愁い顔が開き、パーっと輝くと、本当に華があった。「東京物語」のアパートの自室で義母と語らうシーンでは、彼女自体の存在の中からオーラが光り、暗い室内を照らしているかのように感じた。

原節子は、小津監督の死後すぐ、絶頂期に引退した。私が生まれた年である。私の勝手な推測だが、小津映画の中の「原節子」という存在は原節子に取ってとても大きかったのではないだろうか。自分で作り上げた「原節子」を自分では壊すことも終わりにすることもできなかったのでは、と思っている。映画が人生を模倣するのではなく、人生が映画を反復する。そんなことだってあるかもしれない。

そんなことを考えながら、心から冥福を祈っている。


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