【創作大賞感想】「サインの価値はどこに宿る」を考えました

どうも、サインコレクターのもふもふ留学生VTuberのすずにゃんです。

ちょうどnoteを始めた際に「創作大賞2024」という素敵な催しが開催されているので、この機会に色々読み漁って、色々書いてみようと考えました。


最初に読んだ記念すべき一記事目はこちらでした。

直筆サインやアナログ原画を色々収集してますが、サインの価値について深く考えさせられたのは初めてのことでした。

ファンの視点で共感できる部分もありますが、基本は自分が持たないような思考で論じられていました。
「こういう考えもあって面白い」「これがnoteの魅力だなぁ」みたいな上辺の感想を浮かべながら、自分なりに色々考えてみました。


ただの作品やグッズとは違い、直筆サインの付くものはその人が確実に一度は触れ、それを受け取る人のために残した、この世に一つしかない、存在の証のように思います。
手慣れた人が同じように見えるサインを量産できても、精密な手作業でわざわざ瓜二つの物を作ろうとする人はそんなにいないと思います。

だから、私は「直筆」という概念に付属した「特別感」に一番の価値を見出しているかもしれません。

好きな人であればプリントサインももちろん集めたいし、メッセージ入りは尚更愛おしく感じますが、複製によって特別感が失われ、「直筆」に敵わないと、思ってしまいます。


海外出身で、実家にいた頃は国内旅行すら殆ど行ったことがないので、数多の海外の「推し」に会うことは夢にすら出てこない、限りなく不可能に近い望みだと、ずっと思ってました。
地方都市にずっと住んできたので、自国のライブやイベントに足を運ぶこと自体、とても贅沢なことでした。
そもそも日本ほどエンタメの文化が尊重され、豊かに発展している訳ではありませんでした。

なので、実際に会うよりは、サインの方がまだ色んなツテで手に入りそうでした。
今現在の海外の知人の中にも、一生会えそうにないけど、サインだけでも一度は手に入れたい、という人が結構います。

今までどんなに恋焦がれても叶えられなかった反動で、好きな人に会ったり、サインをもらったりする誘惑に非常に弱いのです。

転売はさて置き、直筆サインの入手ルートは主に特典、対面、抽選の3つです。

買えば先着、もしくは全員でもらえる特典は一番手に入りやすそうで、やはりサインが付くだけで特別感を感じてしまい、お財布の紐がついつい緩くなってしまいます。
基本好きな物しか買おうと思いませんが、本は例外です。
食べてもお腹を壊さない心の食糧なので、知らない作家のサイン本でも、手に取りたくなってしまいます。

自家通販やコロナ禍で発展したネットサイン会もありますので、普段会えない方々に自分のためのサインを書いてもらえる機会が増えました。
非常に素晴らしい文化です。

次に、対面が一番弱いのです。
即売会もサイン会も弱いのです。
好きを直接伝え、その場で返事をもらうだけでも十分贅沢で幸せな思い出になるのに、
私のためだけに何かを書き残してくれたら、眺める度に思い返して、一生その幸せを忘れられなくなってしまいます。

たまたま遭遇してサインを貰うという、一生の運を使い果たしたようなパターンもありますね。
一度はありました。
たまたますれ違い、長年の憧れだったあの方だと気付き、思わず呼び止めてしまい、ドタバタしながら適当に手持ちのペンで適当な紙にサインを書いていただきました。
「なんて勿体無いことを」と、モノクロのページに溶け込んだ紫色の筆跡を見る度に思ってしまうんですが、お相手もまた、私のことをずっと覚えてくださったので、余計好きになってしまいます。

最後は抽選ですが、誰でも参加できる無料キャンペーンだったり、札束合戦になりかねない有料フェアだったり、形式は色々ありますが、とにかく、運任せです。
基本1名から数名のみ、ここでしか手に入らない非売品、もしくは普段サインをもらえない方、いくつかの要素を組み合わせば、希少価値をいくらでも付与できます。
選ばれ者の証なんです。

愛する推しの、購入フェアの一名限定のサイン入り特注非売品という希少価値の塊当選したことがありますが、裏に書いてくださった名前が透けて見えるサプライズまでついて、数年後の今に思い返しても語彙力が皆無になってしまいます。


やはり、
どんな形でも、どういう経緯で手に入っても、
その方がサインを求められる程、
その方が成し遂げてきた何かを認められていて、
そんな素敵な方と同じ星に生まれ、ほぼ同じ時代に生きた証として、
その方が何かの思いを込めて、
それを手に取る我々のためだけに残した、
その唯一無二のサインに付属した、
その過程で産まれてしまった特別感に、
価値が宿っている、
と、
私は思いました。

余談ですが、自分も稀には、サインを書く側になってしまいます。
事実上、今の私を見てくださる方々の大半は仲間のように思ってきた、対等な友達です。
友達にサインをねだられても、おふざけとしか思えません。

私は自分に近い性質を持つクリエイターさんにとても惹かれやすいのです。
好きな作家さんが「自分のサインに価値があるの?」みたいなことを言い出す度、とても共感してしまいます。
共感はしても、私はあなたのサインが欲しい、と思ってしまいます。

有難いことに、そのような作家さんの一人が自分のサインをオプションに付けるようになり、後々自分のサイン会を商業施設で開いてもらうようになりました。
もちろん買ったし、海外旅行中にアラームセットして、国際電話で予約取ってまで駆けつけました。
とてもとても良い思い出になりました。

書く側にとっても、応援する側にとっても、サインを書くことは認められた証で、喜ばしいことだと思いました。

思い返せば、
私が今まで書いてきたサインも、
私のどこかが認められた証で、
その方のことだけを思って残した物で、
お互いにとって喜ばしいこと、
で変わりはありません。

ですが、やはり私が欲しがるようなサインではなく、文通のお手紙のように思ってしまうんです。

いつか、ちゃんとしたサインを書けるように、
ちゃんとみんなに認められるように、
これから沢山頑張りたい、いや、頑張るよー、
と、
改めて思いました。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます! スキもコメントもサポートも創作の励みになりますので、ここでいただいたものは、必ず何らかの形で皆様にお返します!