お絵かき練習法の情報過多問題について考えてみる
絵の練習を始める為に情報収集やモチベーションの為にnoteを解説して一ヶ月以上経つけど、正直他人の記事や調べ物をするのが楽しかったのは1週間ほどで、2週間程経つと他人のブログなどを読むのが辛くなってきたんですよね
お絵かきの練習法についていろいろ公開されてるのはありがたい、ありがたいのだけども
むしろ情報過多過ぎる上に、解釈や考え方がぜんぜん違うバラバラなものが同時に出回るカオスなんですよ、これがツライ
考え方や解釈の全く違う膨大な記事が目に入るから、混乱するし、自分に都合のいい選択を選んでるうちに思い込みが強化されて、ズレた方向に進んで時間と労力に対して成果が出なくても、どこか間違えたかも?なんて振り返ることなく突き進んだりする
言葉だけが独り歩きして、解釈が大きく変わってたり
何の為にその練習をするのかを理解せずに、ひたすら数をこなす練習をひたすら続けたり、という姿を目にしまくって、ぐっと疲れる
自分と考えが合わないのはもう仕方ないし、考え方の違いを知ろうとすれば、自分に足りない物も見えてくるかも知れないけど
ただ、驚くほどに”話の前提がおかしい””目的がズレている、練習に対して学びたい事がズレている”意見が多く見えて、「どうしてそうなる?」と脳内でツッコんでたら疲労とストレスで絵を描く意欲すら失せてくる
方法論はやる人次第だし、情報多すぎて逆に探しづらい、むしろ見つけるべきは”考え方”なのでは
もうむしろ絵の上達法なんかの本読むより、”目的意識を持ってそこに至るまでのビジョンを明確にする”為のビジネス啓発本や勉強法等の本を読んだほうが絵は上達しやすいのじゃなかろうか、とすら思えてきた次第です
目的意識や自己分析が足りないのもあるけど、なぜか世の勉強法と逆の考えが何故かイラスト界ではまかり通るのが不思議です
芸術だから勉強と違うって、学びの本質はそこまで変わらないのになぁ…
(デジタルでもアナログでも描く練習の効果は変わらないのだから、最初からデジタルで描くべき論をドヤ顔気味に言ってる人が多いの謎すぎる、効果はデジアナ関係なく同じという発想が…ねぇ…)
それだけでなく絵の上達の為に修行じみた練習しなきゃいけないって風潮は、こういうのが絵の練習法の情報過多の弊害なのではと思い始めています
だって、子供時代に(特にネットの普及してない昭和終期や平成初期の人)絵がめっちゃ上手かった友達、そんな修行みたいな事しなくて楽しく絵を描いて更に上達してたよ。
別に修行しなくても上手くなる人はなる
その差が”才能”だから才能のない凡人は修行のような圧倒的な練習の数をこなさないといけない
絵描きの練習法などを見てると、この考え方が常識になっているけど、本当にそうなのかな?
ネットが普及してない時代は絵の練習法なんかが出回ってなかったから、上手い人と自分の違いも、練習の仕方も何も分からなくて、やっぱり才能なのかなと思ってたけど、情報が多くても同じ結果になるのなんだかなぁ…
この間、空間認識能力の高い人が絵の上達早い理由考えて思ったけど、楽しく描きまくって、足りない所だけ練習したりしてるうちに凄い速さで上達する人と修行のようにひらすら練習しまくってもなかなか成果が出にくい人の差って才能より、考え方の差が大きいように思う
要するに”上達が早い人”って言うのは上達の為に自分に必要なものとそのためにすべき事を、きちんと選択、実行出来てる人だと思う
空間認識能力が高いと、その能力が低い人より立体を理解しやすくなる、立体を理解出来ると、多少の角度を変えても描けるようになるし、同時に陰影がある程度想像つきやすくなるので絵が描きやすい
立体を理解するために意識して物もみて、どうしたら立体的に見えるのかを考える
”どこを、何を見る”かを意識して物を見る習慣がつくと、模写をしなくても、普段の些細な瞬間でも観察して学びを得ることができる
それ故に、模写しないと学べない人より、圧倒的な観察回数の多さでより多くの学びを得ることができる
自然に必要な学びを得やすい環境や状況になってる人はそこから、実践(絵を描く)→上手く描けなかったなら原因をさがして、そのための練習をする→実践を繰り返して、どんどん上手くなっていける
もちろん、そこで実践や自己解析や足りないものを補う練習を怠れば上達しないし(自分がわりとそれ、情熱が足りなくて実践ができない)、結局はその人次第
確かにね、空間認識能力が低いと、立体を理解するのが大変だから、ひたすら模写して暗記するという練習になりがちで、”どこを、何を見るか”を意識せず、模写をして、理解せず暗記をするから、練習にかける時間や労力に反比例して中々成果が出ない
絵は暗記!と思い込んでる人結構多いけど、これを学校や仕事の勉強に置き換えたら、これが成績の上がる良い勉強法です!と言い切れる人はどれ位いるんだろうか
必要な学びを得やすいという事を考えると”空間認識能力の高さ”はある意味才能とは言えるんだけども、素質が大きいと言われていても、ちゃんと鍛えられる力だし、暗記を辞めて、たとえ能力が低くても理解をしようとすることは出来る
要は効率の悪い”練習のための練習”をせず、学びの本質を見極め、今の自分に必要な事を考え、実行し続ければ、修行なんかせずに上達は出来るのではということ
一番大切なのは、人気の練習法などではなく
自分に何が必要なのか、そのためにすべきことを考え選択できるようになる事じゃないかなと私は思う
頑張って数をこなしても思った以上に成果ができてる気がしないと思うなら
自分が何を求めてこの練習をしてるのか、今の練習は求めてる事に合っているか、を考えてみてくださいという話でした
自分は絵に対する情熱が足りなさ過ぎる、描きたいものがない問題を抱えてるので、今は自分の世界を広げる事を優先させるようにしてます
絵だけでなく、小説を書けるように色々話を考えたり、調べたりとか、まさか絵の勉強しようと思ったら小説書こうって話になるとは自分でも思わなかったです
今自分が一番優先すべきは体力づくりなんですけど、お絵描き意外と体力や筋力いる
デッサンの姿勢の維持とか、体の動きの理解やらスポーツやってた人って絵の上達に有利なもの結構持ってるよね、それだって結構な武器だよね
絵に関係ないと思うスキルや能力が案外絵の上達に力を発揮するので本当に才能がないって人なんてほとんどいないと思うよ
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