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模写は「練習の為の模写」と「人に見せる模写」の2種類があるという話

私はイラスト模写が大の苦手だったのですが、最近は割とできるようになりまして、それまでに色々調べてみた中で、”模写”って色々誤解や勘違いをされてる所が多くて、その誤解が、模写が苦手になったり、模写が出来ても絵が描けるようにならない原因になってるのでは?と思ったのでまとめてみました


練習の為の模写、人に見せるための模写

タイトル通りイラスト模写って2種類あるんじゃないかと思うのです

「見せる為の模写って、そもそも模写は人に見せちゃいけない物なんじゃないの?」って思う人もいると思います、それ正解です

模写は見せてはいけないのです、だから練習のための模写は人目に触れないのです
だからネットで目にする模写はほぼ全て「見せるための模写」なんですよ

二次創作も著作権的には違反ですけど、ファン活動としておめこぼしもらってる状態ですが、模写ってそれすらもない、ある意味盗作に近いもので、わざわざ上げる人の心理は分かりませんが、自分はそういう人にお近づきにはなりたく無いです

2つの模写の違い

見せるための模写の特徴は、”キャラを全てそっくりに描き写す事”

練習の為の模写って、部分模写や暗記模写、比率を学ぶための模写など結構種類があるのですが、そっくりに描き写さなくてもいいし、全部同じくらいに丁寧に描き写す必要も無いんです

もちろん全部丁寧に描き写す模写もあります作品の魅力や作者の考えを理解しようとするなら全部全力で写す必要はあります

でも、そういう模写を出来る人は自分の絵をちゃんと描けるのでネットに上げる事はないのです

そもそも模写はなんのためのするもの?

絵の練習の定番は模写とデッサンですが、どちらも目的は”観察”です

絵を描き写す、実物を見ながら描くために意識して見て色んなことに気がつく、上手く書き写せなくて、何が違うの?と知ろうとする事で自分の見方や描き方のクセに気がついたり、目で見たものの認識と手のズレに気がついたり

描き写すことで、観察する”目”と描く”手”を鍛えるのが模写やデッサンの目的です

模写とデッサンは絵や写真、3D画像などを見て描くのが模写、実物を見ながら描くのがデッサン

写真を見ながら描くのはデッサンでは無く、写真模写になります

実物と写真って同じ様に見えますが、写真になると情報量が結構削られます、特に奥行きや立体感の情報が失われるんですよね

特に自分で撮った写真や3D画像だと、スマホやPCのデジタルで見ることになるので、デジタルの透過光だと人の脳は「細かい所を無視して、全体を把握する、ざっくり認識」のパターン認識モードになってしまうらしいので、じっくり観察するのが更に難しくなります

私はクロッキー+2という自分で考えた練習法で写真のクロッキーと模写をやってたんですが、手を描いていて、なんでこうなるのか分からなくて困ってた事が、実物の手を見たらあっさり分かった事が何回かあって、自分でも驚くくらいにスマホの写真だと奥行きに気付けなかったんですよ、練習する時は写真(特にデジタル)と実物は別物だと思っておいたほうがいいです

私のクロッキー+2、中指の見え方がさっぱり理解出来ず、実物を見たら一瞬で理解できて凄くショックだった、曲げた他の指の影響で中指の先が斜め前に前に出てる事に写真では気付けなかった

デッサン、写真模写とイラスト模写の大きな違い

デッサンと模写は本質は同じなのですが、デッサンと写真模写、イラスト模写の違いは「情報の取捨選択が必要かどうか」です

実物を見ながら描くデッサンは、観察して得る情報量が多すぎるので、全て絵に描くことは出来ません、なので情報の取捨選択が必要になり、その取捨選択具合がその人の個性になるんだそうです
写真も情報量は減っているものの、全てを描くのは難しいので取捨選択は必要

ですが、イラストの模写は既に作者が取捨選択した後の物を描き写すので、取捨選択の必要がなく、そっくりに描き写すことが可能、それゆえに”そっくりに描き写す”事に意識が行き過ぎて、観察がおろそかになりがちなんです

よく分からない線を難なく描き写せるのは実は良いことじゃない

イラストをそっくりに描き写すのって難しいけれど、やり方次第では案外出来てしまう
これがイラスト模写の難しい所

髪の毛束等の曲線を同じ様に描き写すの苦手な人結構いるんじゃないかな
でも、それでいいんです、むしろ難なく描き写せるほうが問題なんだもの

実は曲線を簡単に描き写せる方法があるんです
それはその曲線が、なぜこういう曲線になっているかを理解しようとすること、理解できれば無意識に流れを理解できるのか、すーっと思った曲線を引けるんですよ

逆に曲線がきれいに引けない時は、線の意味が理解できてないなって判断して、自分は元絵の上から指でなぞってみたり、しっかり観察しなおしたりすることにしています

模写もデッサンも”観察”ですが、何故観察するかというと”理解するため”だと私は思っています

なんなくよくわからない曲線を書き写せるということは、理解する機会が失われてしまう

イラスト模写で立体は理解しづらい

イラストの練習は”理解’だと私は思ってます
ただこの”理解”って「平面的な絵に見えてる部分」ではなく「絵に映ってない所を含めた立体そのものや仕組みや動き」を理解することなんですよね
これを模写だけでやるのは相当厳しいです

これをするには観察力と空間認識能力が必要になるんですが、模写ではこれを鍛えられないし、使わなくても絵が写せるんです

だから、模写で絵をそっくりに写せても、それ以外の絵が描けない

偏見ですが、空間認識能力が低い人程、模写やスケッチを頑張ろうとする傾向がある気がします

でもいくら頑張っても必要な能力が身につかないんじゃ上手くならないのは当然ですよね

イラスト模写では”観察力”は上がらない

そもそも観察力ってなんですか、って話ですが、私は意識して物を見て、得られる情報の数の多さを示すものだと思ってます

物をしっかり見てるつもりでも意外と見えていないもので、絵を学び始めたばかりの人はこの”見て得られる情報”がちょびっとだけの人がほとんどだそうで、見て得られる情報の量を増やすために”目を鍛える”事が必要で、デッサン等の絵の練習はその目と描く手を鍛えるための練習です

私は意識して見る”観察”をして、多くの情報を得る能力がある人が「観察力が高い」という認識してます

でも、イラスト模写ってだたやってるだけだと、観察力が上がらないのではと思っています

自分はデッサンや写真模写はそうでもないのにイラスト模写だけが大の苦手で、今はできるようになったんですが、出来るようになった理由が自分の苦手克服の為に考えた「クロッキー+2」という練習法でした

私はそれまでしてきた経験のお陰で、最初から「観察力」と「空間認識能力」がそれなりにある状態で

観察力が高いとより多くの情報を得ることができるのですが、それだけじゃ絵が描けない
逆にただ多い情報に惑わされて、上手く描けないんです

絵を描く為には「情報を得る」だけでなく「得た情報を整理し、理解やイメージを固める」事が必要

さらにいうと、情報は多ければ良いってわけではなく、重要度の高いものとそうでないものを最初から取捨選択して制限する必要があるんです、私はこれが出来ないから「形を取る」ってのが出来なかった

制限時間を設けたり、思い出し描きをしたりして取捨選択と情報の整理をし易い状況を作るための練習がクロッキー+2だったのですが

で、この練習法が効果ですぎて、たった12回程で「これ以上やったらやりすぎだ」という所まで来てしまい、その時はじめて「形を取る」って言葉の意味を理解しました

「形を取る」事が出来ると「素早く形を描ける、狂いを見つけやすくなる」ので絵は描きやすくなるんですが

そのためには立体感や奥行き、質感等の惑わすような情報を排除しまくって、認識できる情報を最低限に抑える事で本来は存在しない”輪郭線”を知覚できるようになる、物を線で捉えるモードになるということなんです

情報が最低限で惑わすものがないから、素早く捉えられて、狂いが見つけやすいのです

もちろんそこで排除される奥行きや立体感、質感などの情報は絵を描くために必要です、そのために「形を取る」モードとは別に、立体的に物を見て理解するための「面を捉える」「構造理解や知識を活用する」モードを使い分ける必要があります

要するに「形を取る」為には観察で得る情報量を最低限に抑える必要がある、ということは観察で得る情報が少ない観察力の低い人でも形を取る事は案外出来るのではということ

絵というのは既に描き手によって、情報の取捨選択が行われた後なので、もともとの情報量が少なく、絵の表面的な部分を観察しようとした所で得られる情報は少なく、観察力は上がらないのではと思ってます

絵が上達する模写とは

じゃぁ、どういう模写をすれば上達するんだよ、否定だけは誰でもできんだよってなるので、ちゃんと絵が上達する模写について考えてみましょう

自分の絵を描いて、出来ない事、なぜうまく描けないか学ぶために模写をする

自分の絵を描こうとしても上手く描けないのが嫌だから最初に模写で上手くなってから描きたい、気持ちは分かるけど、これがダメなんです、まず自分が出来ないことを自覚して、その為に何が必要かを考えて、実行する、これは絵に限らず何でもそうです

自分絵を描く→課題を見つける→課題を解決する為の模写をする→もう一回絵を描く

のサイクルにすれば、上達できる模写になるかと思います

何故似ないのか考えると、自分のクセが見えてくる

模写は正確に似せなくてもいいのですが、顔は頑張って似せたほうが良いです、顔は1mmずれると大分表情が変わるので、違いを意識しないと、学びになりにくい、というより違和感の理由に気が付かないと学びにならないんです

むしろ違和感の理由が分からない事が多いなら、模写は後回しにした方がいいです、その状態でやっても意味ないです

私はイラスト模写が苦手で後回しにしたけど、今は後悔どころか、その判断が正解だったと思ってます

学びにならないのに無理やりやっても時間の無駄だし、目的見失って上達の機会を見失うので後回しにしても問題ないです

で、似ない理由を考えてると、自分の認識のズレやクセが分かったりします「そういや前も目を大きく描きすぎてたよね」みたいな、それに気がついて修正出来れば自分の絵も良くなって前進できます

とはいいえ、似ないのとイライラするし、似せることに気が行き過ぎて学びになりにくいのがイラスト模写の難しい所

ピンポイントに学ぶ部分模写や比率模写をやろう

自分は苦手なイラスト模写が出来るようになって今は部分模写をやっています

絵が難しいのって、あれもこれもと複数の学びを同時にこなさないといけないことだと思います

人間の脳ってマルチタスクが苦手なんですよ、マルチタスクをすると脳の処理に大きく遅れがでたり、ミスも増えるのですが、ただ本人がそれを自覚出来ないので出来ると思ってるだけなんだそうです

全部覚えようとするから、学びの効率が落ちるんだと思って、自分は覚えたい部分を絞ってそこだけ模写したり、覚えたい部分以外はざっくり形を取るのみの”部分模写”をしています

比率模写は定規でパーツの大きさや位置関係を計ったりしながらする模写です
これはデッサンのやり方の応用なのかな、デッサンは結構比率を重視してて、デッサンする人が鉛筆や棒を縦にして手を伸ばしてるのは比率を計っているんですよ

で、私の話をすると、今は目とパーツのバランスを覚えたいので、輪郭描かずにパーツだけ描いたりしてるんですが、自分はやっぱり模写が楽しいと思えないので、部分模写を何個かしつつ「この間見たアニメの眼の描き方こうだったかな」と思い出し描きしてみたり、こう描いたらいいのではみたいなのが思いついたら描いてみたりと、かなりフリーダムにやってます

描いてみたけど、やっぱり変だなぁ…あ、ここがおかしいのか!って気がつく方が学びになるのと、あとそっちのほうが自分は楽しいからです

結局イラスト模写は苦手でしたけど、嫌いでもあるんですよね自分は。だって面倒くさいんだもん!

模写で観察力を上げたいなら、表面的でない部分を意識して見よう

イラストは情報量が少ないので観察で多くの情報を得ようとするのは難しいので、観察力は上がりにくい

それは表面的なものだけを見てるからで、本当に上達する為の模写は、表面的な所だけじゃない所を理解しようとする事にあると思います

表面的なものっていう言い方にちょっと問題があるかな、見えてるそのままの絵、ではなく、平面のイラストを立体的に意識してみる、とか作者が表現したいことを理解しようとする、描かれている線の意味を理解しようとする事、これができてるか否かで模写が絵の練習として効果が大きく変わるんじゃないかな

絵の練習は描くものの”理解”だと思います、理解するために”観察するんです

実はこの理解をするためには、イラスト模写だけじゃ不十分な所が多くて、効率が悪いんです

自分の中ではイラスト模写は出来なきゃいけないものではないけど、コミックイラストのセオリーや魅力的な描き方を手っ取り早く
学べるものという位置づけで、基礎を上げる練習とは別に考えています

イラスト模写だけでは絵は上手くならないと割り切ろう

身も蓋もないですけど、割り切って模写で学べる物そうでないものを理解して、摸写以外の練習もちゃんとやることが大事だと思います

イラスト模写をやり続けて、そっくりにかけても自分の絵が描けない人は多いですけど

イラスト模写をあんまりしなくても絵が上手い人って普通に結構います

私は練習嫌いですが、その分、意識して物を見る観察を日常的にしてます(そのせいで初心者なのに観察力がそれなりにある)

自分の実感としては2次元の絵だけより実物などの3次元を見た方が学びやすいんですよ

私はつい最近まで目の描き方を勘違いしてたんですが、それはコミックイラストと実際の人の目の描き方は違うという思い込みでした

コミックイラストの目は人間の目をデフォルメしたものだと分かれば、この線はこれを表してるのか、なるほどなーと、かなり理解がしやすくなりました

絵を描くためには描くものの理解が必要だけど、それには立体を理解する必要がある、でも平面で描かれた絵を見て立体を想像する、って誰でも簡単に出来ることじゃないよね

だから平面を平面のまま写すだけになって、絵を描くのに必要な”観察力”や”空間認識能力”が育たない、理解をするための能力が足りないから、上手く描けるようにならないんです

模写しなくても絵が上手い人は、観察力が高くて、理解することが出来てる人

私が絵が下手だった学生時代、絵がうまい友達がいて、その子は少女漫画的じゃない、面長で目の小さいイケメンだったりリアルよりの絵を描いてる子で「その子にどんな練習したらそんなに絵が上手くなるの?」て聞いた事があって、その子の答えが「別に練習とかしていないな、観察してた位かな」だったんですよね、当時の自分は意味が理解できず、二度とその手の話をすることはなくなったわけですが、それから数十年経ってやっと彼女の言葉の意味が理解できた

絵がうまい彼女と自分の差
私に絵の才能が無かったというより、絵に必要な「観察力」と「空間認識能力」を鍛える事をしなかったんだ、彼女はそれを自然に鍛えることが出来たから、努力して上達していけたんだという事

私は違う趣味や経験でその能力を鍛えることが出来たから気がつけたけど、これが理解できなくて、過去の私みたいに自分には才能がないと劣等感を抱いてる人は沢山いるんだろうと思う

イラスト模写とクロッキーをひたすら数こなしても上達しないのは仕方ないんですよ

30秒ドローイングがなんでそんな短時間なのかは、短い制限時間でなんとか形を取ろうと、余計な情報を排除しまくるモードを強制的に発動するからです、まぁそれだけで形を取れるようにはならないので、私のクロッキー+2は計3回同じものを描く練習法になってるんですけどね

表面的な物だけを見て描き写すイラスト模写とクロッキーは、観察力や空間認識能力があまり必要なく、絵に必要な能力が育たないので、数に反比例して上達しにくいんだと思います

模写絵をネット公開するデメリット

そもそも模写絵をネットに上げるのは、自分の絵が描けないからだと思います、自分の絵を描ける人は上げるメリットが無いどころかデメリットの方が大きいです

そもそも、人気漫画のそっくりな模写絵を公開したら「凄いね」と褒めてくれる人が一定数いるだろうという事は多くの人が気づいてると思います、それでもしないのは、それをしちゃいけない事を知っているから

そして多くの絵描きは模写だけし続けても絵が上達しない事を知っています

ダメだと分かっててネットに模写絵を公開するのは、倫理観に問題あるというか…そういう人を人間的に信用しづらい

そんな人が急にめっちゃ上手いイラストを公開したら、素直に凄いと思えるかというと…もしかしたらトレパクなんじゃなかろうか…と疑っちゃいません?

実際、自分が過去に絵の練習し始めて模写絵を上げまくってる人と繋がったことがあるんだけど、その人、ある時急に「模写」という事を一切描かずに絵を上げ始めて、その絵がアナログなんだけど、迷い線も消し跡もなく、人気アニメの絵に激似なんだけど、線がすごく不自然で、強弱が無かったんですよね
…もしかしてこれトレスなの?って疑惑が出て困ったので、その時から絶対模写絵上げてる人とは繋がらないって決めました、付き合いでも模写絵にイイねとかスキとかするの内心嫌だったので縁が切れて良かったんですけどね

模写絵をネットに上げてたら、もし絵が上達できても信用されないので、絵が上手くなりたいと思うなら著作権の問題以前にやっちゃいけないと思います

結局のところ、イラスト模写が出来ないと絵が上手くならない事もないし、全部ていねいに描き写す必要も、そっくりに似せる必要もない

模写だけでは絵が上手くならないから別の練習も必要だし、模写が苦手なら後回しにしても良いです

結論としては、模写が苦手な人は、模写を無理やり出来るようにならなくていいよ、かな

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