ネガティブとのおつきあい。
ネガティブがイケナイことだと決めつけてしまったのはいつからだろう。
私は、薬学部をやめるより前、長らく他人の前で愚痴や悩みの類を吐き出したことはなかった。
もちろん、軽い愚痴はこぼしたりもしていた。冗談めかしに、軽口を叩く程度に。めんどいとか、やる気でないとか、あぁ疲れたとか。けれど、そうではなく、心の奥深くに蓄積される、鬱屈とした気持ちやネガティブな感情たちを表に出すことはほとんど、なかった。
そんなものに時間を使うなら、そのぶん勉強していたほうがましだ、と本気で思っていたし、そうやってグチグチしている人を見ると『とっとと勉強せい!』と、思ってた。今考えると、かなり手厳しい人間だ。他人にはもちろん自分にも。とにかく厳しい人間だったと言えよう。学生時代は、薬剤師になることが私にとっての人生の目的だったので、勉強を頑張る以外、私にとってやるべきことがなかった、とも言える。(唯一、小学生の頃からずっと続けていたダンスは、そんな窮屈な私の、唯一こ心の拠り所というか、勉強以外での私の居場所、ステイタス、みたいに思っていたところはあるけれど)
そんな私は、薬学部時代、頑張りすぎてぶっ壊れた。それまでも大変だったけど、それからも大変だった。自分の中から無限と湧き上がってくる負の感情。その受け止め方や対処の仕方がまったく分からなかったのだ。
それも当然であって。勉強を頑張るという名の元、そういう負の感情たちは心の奥底の、底の底にしまって、隠して、ギュウギュウに詰め込んで、知らないふりをしていたのだから。それが一気に吹き上がって来たというわけだ。
正直、今でも分からない。なぜこんなにわたしの中では負の感情が渦巻いているんだろう。こんなに感情に振り回されて、快と不快をぎゅんぎゅん、行ったり来たりして、それらがときに自分の器からこぼれて、落ちて、動けなくなって、対処できなくなって、ぼうっとして、泣いて、不安になって、疲れて、眠って。
これが本来の私の姿だと思うと、それはそれでとても恐ろしい。これから先、今のようにこんなに感情に揺さぶられながら生きねばならないと思うと、途方に暮れてしまう。
ただ、この内から湧き上がる感情たちとのお付き合いに、振り回され続けるのは正直かんべん、で、そんな中で、私は小さく小さく、データ集めを続ける。何をすれば私は心が穏やかになるのか、どんな状況だと不安になりやすいのか。
もっと生きているその瞬間瞬間を、味わって、素直に笑って、笑って、生きたい、と思う。けれど、私の中で渦巻く負の感情たちが、それを許してくれないときもある。
動きたいのに動けない。笑いたいのに、笑えない。そんなとき、私はどうしたらいいのか分からなくなる。ただ、そんな途方に暮れながらも、私はなんとかもがこうとする。絶望の淵に立つときも、悲しみに暮れているときも。この辛い気持ちはどうしたらなくなるんだろう。この不安は、どうやったら消えるのだろう――と、考える。考えまくる。
考えては、試して、うまくいったり、いかなかったり。感情はコントロールできるときもあればできないときもあって。そういうことを頭では分かっているのに、100%完璧にコントロールしたくなるのが、私の悪い癖だ。
いい加減、この完璧主義と自分の欠点を見つける天才性からどうかおさらばしたいと常日頃からと強く強く願うが、これまた中々むずかしい。渦巻く感情も、くそ面倒な自身の思考回路も。こんな取り留めのない言葉たちに載せて、今日は書きたくなってしまった。特にオチは、ない。
――願わくば、もっと穏やかに暮らせますように。
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