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『友人以上』に愛してる。彼らへ

私は人間関係に対して、ものすごくズボラだ。

とにかくこまめな連絡というのが死ぬほど苦手で、LINEで繰り広げられる雑談も、返しているとだんだん苦痛になってきてしまう。

そして学校や職場など、自分の身の置かれる環境が変われば、それまで毎日顔を合わせていた人たちとぱったり連絡を取らなくなる、ということもしばしば。

ただ、そんなどマイペースでまあまあ希薄な人間関係の中で生きてきても、ぶっちゃけ、あまり、困ったことはなく、そして、加えて言うならば、そういう自分に対して「人を大事にできないなんて駄目だなぁ」みたいなダメ出しをしたこともない。

人との付き合いが長く続かないことに対して、私は、自分に劣等感を抱くこともなく、また「友達が少なくて寂しいなぁ」みたいな感情が生まれたことも、全然ない。その時々で、出会う人とそれなりの関係性を築け、毎日がそれなりに楽しければそれでじゅうぶんなんじゃないかというのが、私の持論だ。

思えば、学生時代でも、社会人になってからも、人間関係に困ったことはなかった。小学生~中学生あたりは人見知り全開の人間だったけど、なんやかんやで周りに友達はいた。

そして高校、大学、社会人と年を重ねるにつれて、陽キャな母親から受け継いだDNAのおかげなのか、人に対して積極的になれるようになった。今では初対面の人に話しかけるのがワクワクしてしまうぐらいだ。(大学時代の友達に昔は人見知りだったんだよと言っても全然信じてもらえなかった)

そうやってだんだんとコミュニケーションを積極的にとっていき、広い交友関係を築き上げる中でも、私のスタンスはやっぱり変わらない。「広く浅く」をモットーに、その場かぎりの付き合いを楽しむ。時間がくれば、さようなら。タイミングが合わなければ、それまで。そして、その気楽さが私にとってはなにより心地いいのである。

ちなみに面白いのが、私の場合、リアルではなくオンラインつながりで始まる関係だと、かなり心の距離が近く、親密になることが多い。

さて、現実世界では、そんな根無し草みたいな人間関係しか築けない私だが、実は、ずっとつながっている友人が、何人か、いる。片手でちょうどおさまりきる数の、友人が。

そのうちの三人は、私が大学時代に知り合った友人だ。

私が彼ら三人と初めて出会ったのは、大学入学前のオリエンテーリングだった。新入生が集められ、入学前に顔合わせができたり、友人関係を作れるという、ありがたい出会いの場である。

私はそのオリエンテーリングで、のちに大親友になる三人の学生と同じグループになった。このグループ分けはあいうえお順だった。私は苗字に「お」がつくのだが、この三人ももれなく「お」はじまりの苗字なのである。

ちなみに、三人のうち二人は男、一人は女だ。「お」の苗字つながりで出会った三人と、入学後も行動を共にしていった。

あいうえお順というありきたりすぎる出会いではあったものの、私はこの三人と馬が合った。というか、四人で過ごす時間が、とにかく最高に楽しかったし、四人の相性もよかったのだろう。同性同士でつるむ学生が大半な中、男2女2という、周りから見るとわりと珍しい面子ではあったが、そんなことは私にとってどうでもよかった。だって、彼らと過ごすのが、たまらなく、楽しかったから。

彼らとは、大学生はじめての夏休み、ディズニーランドに行った。私はジェットコースター恐怖症だったが、三人に無理やりスプラッシュマウンテンに連れていかれ、顔面蒼白で、どんぶらこっこと、船に乗らされた過去がある。

そもそも、私はあまりアウトドアな人間ではなかったし、大学以前まで付き合いのあった友人も、わりとひっそりめに生きるタイプの人たちが多かったせいか、遊園地とか、ディズニーランドとか、そういうアクティブな場所に、そもそも行こうという話すら出たことがなかった。

が、大学での三人は違った。彼らとつるむようになって、私は年に二回、春休みと夏休みにディズニーに行くという習慣ができた。スプラッシュマウンテンで顔面蒼白していた私だが、今では富士急のアトラクションは全部乗れるぐらいにまで成長した。これも、彼らのおかげだ。

彼ら三人が私にとって、ものすごく大切で貴重な存在だと気づけた出来事が、一つある。

大学のとき、私はダンスサークルに所属していたのだが、練習の休憩中、先輩たちと他愛もないおしゃべりをしていたとき、誰かが「ここ最近で楽しかった思い出は?」という話題を投げかけた。

その場にいたサークルメンバーは「旅行に行った思い出」とか「イベントに行った話」とか、たしか、そんなエピソードを語っていた。が、私は違った。「楽しかった思い出」と聞かれた瞬間、私の頭の中に思い浮かんだのは、毎日毎日、彼ら三人と顔を合わせて、くだらないおしゃべりをしている映像だった。

他の人たちが特徴的なエピソードを述べる中、私は彼らと過ごすなんでもない瞬間が、たまらなく楽しいんだと、気づいてしまった。そして、心から大好きな彼らと過ごすからこそ、いろんな日常を楽しんで生きていけるのだと。

私は彼らからどれだけ幸せな気持ちを毎日受け取っていたのか。私にとって彼らの存在がどれだけ大きく、そして私をどれだけ笑顔に導いてくれたのか。そのとき、私は思い知らされたのだった。

その後、私は大学を中退してしまった。薬学部という特殊な学部で、私は日々出される課題や大量の試験勉強にうまく向き合うことができず、四年生のときに、やめた。

もしかしたらこれで彼らとは縁が切れてしまうかもしれない。私は覚悟した。しかし付き合いは続いた。彼らは学生生活の後、薬剤師になった。私は中退した後、いろんな会社に勤め、その業界やスキルについて学ぶ傍ら、起業やビジネス、そしてメンタルヘルスや自己啓発を学んでいた。

私は彼らと行く人生は違う。しかし今でも、たまに、ほんのたまに、それこそ半年に一回のペースぐらいで、彼ら三人とのグループラインが動く。そのときに交わされるやりとりは、大学時代のときと、なにも、変わらない。くだらない話。中身のない会話。でもそれを私はなにより愛してる。

私は彼らを表す関係性が、分からない。友人、と言ってしまえば、確かにそうだけど、この溢れだす思いや愛は、『友人』という肩書きには、絶対におさまりきらない。

神様が私に与えてくれたギフトは、彼らなのでは、と私はときおり思う。大学の入学前のオリエンテーリング。あいうえお順で出会った三人が、今もまだつながっていて、そしてこれからも、きっと四人がおじいちゃんおばあちゃんになるまで、繋がり続けるであろう。

これから私たち四人がどんな人生を生きようとも、たとえそれだけ長い期間、顔を合わせられなくとも。きっと、次に出会った時には、懐かしい、なんて一ミリも感じさせることなく、また大学時代の続きのように、軽やかで、中身のない、くだらない会話を交わし続けるのだろう。

それでいい。それがいい。そして、そんな三人と過ごす瞬間が何より好きで、私は彼らと過ごすときの私が、人生の中で一番たくさん笑っていると思う。

サムネイルの写真は、四人で遊びに行ったときに撮ってもらったもの。私のこういう笑顔を引き出せるのは、この世で、きっと彼らだけだ。

彼らはただの薬剤師で、ただの一般人。しかし彼らは私にとって、この世の誰よりも特別な人間だ。彼ら三人がいるからこそ、私は笑顔の私を思い出せる。彼らと過ごす時間で、笑顔と幸福を、満タン以上にチャージできる。

どうか、これからも。こんな三人と、永久に共に生きていきたい。

私にとって、一番楽しい時間は、講義前の休み時間に彼らとおしゃべりしていた時間。

何をするかではなく、誰と過ごすか。

それが自分の人生にどれだけの幸福をもたらすのかを教えてくれたのは彼らだった。

そして、そんな彼らのうちの二人は、学生時代にめでたく結ばれ、来年結婚式を挙げる。

私は子供の頃、親戚の結婚式に出て以来、誰の結婚式にも参列したことない。彼らの結婚式が、私にとっては初めての結婚式になるだろう。

たぶん泣く。絶対泣く。

――ありがとう。あいうえお順の神様。

彼らと出会わせてくれて。他人に興味のなかった私に、人間関係に希薄だった私に、人を愛するということを教えてくれて。

私が私として生まれてきたのは、きっと、彼ら三人と出会うため。

そう思ってもいいぐらいの、私にとっては、大切で、大切で、大切な、かけがえのないギフトだから。

三人へ

私と出会ってくれてありがとう。これからも、ずっとずっと、愛してる。


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