人生を遠回りすることに意味はあるのか
先日、オンラインサロンのイベントで、少しだけお話する機会を頂きました。
私の経験談から、皆さんに活かせそうなギフトをシェアさせた頂きました。
そこで話したのはざっくり二つ。
・遠回りすればするほど魅力的になる。
・最短で辿り着こうとするのではなく、辿り着くまでの道のりやその景色を楽しむ。
この二つは、私自身にも強く刻み込みました。
何かを成し遂げたいとき、人は、最短でいきたいんです。誰だってそうだと思う。遠回りなんてしたくないし、他の人が最短でバーッと結果を出してると、「それに比べて自分は……」ってな感じで落ち込むし。
ただ、それでもやっぱり私はこう思う。
最短で辿り着くことだけが全てじゃないよ、と。
私の話をさせてください。
私は大学受験に失敗して、偏差値の低い滑り止めの大学に通うことになりました。
それが死ぬほど悔しくて、せめてこの大学の中ではトップでいよう!! トップになってやる!! と強く心に決めました。
まじで死ぬほど勉強したんです。
家から大学までは片道二時間半かかります。家では勉強する時間がなかったから、毎日、電車で端っこの席に座り(始発駅だったので必ず座れました)、バインダー(病院とか薬局で問診票を書くときに使うようなアレです)を取り出して、そこにルーズリーフを挟み、ひたすらガリガリと書き込みをしながら勉強してました。
で、結局前期の試験では学年3位。後期の試験で、見事学年1位になりました。
どうです? すごい最短ルートじゃありません?
でもね、しんどかったんです。すごい苦しかったんです。
それはなぜかというと、私が自分の本心から目を背けていたから。
私は勉強が大嫌いでした。
だから、毎日勉強をしながらも
やりたくない
しんどい
くるしい
そんな思いがいつも渦巻いてました。
でも私は、自分の本心を無理やり抑え込んでました。だって抑えないと、勉強しなくなっちゃうから。
毎朝、電車に乗る前に駅を歩いているとき、胸元がモヤモヤとするようなかすかな吐き気がありました。
夜眠るときは、「これで明日の朝まで勉強しなくて済む」と思っていました。
身体も心も全部が限界ギリギリでした。
そして何より……
学年1位になったとき、私は全く嬉しくなかったんです。
冗談じゃなくて、まじのまじで、嬉しくなかったんです。
成績表に書かれた『1位』の文字を見たとき、「あぁ、私ってこんなに勉強しないと1位を取れないんだな」と、自分の頭の悪さに絶望したんです。
そのときに、気づいたんです。
私は1位になりたかった。なんとしてでも1位になりたかった。
そして、1位になったら幸せになると思ってた。1位を取ることが、人生のゴールだった。
でも、実際1位を取っても、私は全然幸せじゃなかった。
そして、1位を取ってもそこはゴールではなく、むしろ通過点でしかなかった。この先もずっとずっと、このしんどい地獄があるんだと気づいて、その現実にまた絶望しました。
だからね、ゴールなんてないんです。ゴールって思ってるそれは、ただの通過点でしかないんです。
そしてゴールに辿り着けさえすれば、幸せだと思っているならば、それはただの幻想です。
だから私は目を覚ましました。
・1位を取っても幸せになれなかった
・1位を取ったらゴールだと思ってたけど、人生はその後も続いていく
この二つのことを身に沁みて実感し、生き方を変えました。
・幸せは獲得するものではなく、感じるもの
・辿り着きたい場所までの道のり、そこでの景色や出会いを楽しむこと
私はよく、人生を登山と捉えます。
登山って、山の頂上に辿り着くのが目的ですよね。
で、じゃあその頂上までのルートって色々あると思うんです。
厳しい崖を登るような「ファイト! 一発!」的なルートもあれば、なだらかにゆるやかに無理なく進めるルートもある。
私は、山の麓に立ったとき、「頂上までの道のりを楽しめる」ルートを選ぼうと決めました。
ゆるやかに、なだらかに進んでいって、風の匂いや草木の美しさを噛み締めて、同じルートを歩む人と出会って、会話して、楽しくなって、皆と一緒に笑いながら、頂上まで歩いていきたいんです。
頂上に辿り着いて、「あぁ! 楽しかった!」と心の底から思える。そんな生き方を選ぼうと決めました。
結果が欲しいとき、人はどうしても焦ります。どうしても、最短でいきたくなるんです。私もそうです。だって欲しいんだもん。
でもそうやって心が揺らいだとき、私は大学時代のことを思い出すんです。『1位を取れても幸せじゃなかった』あの経験を思い出して、ブレていた軸を整えるんです。
人生という旅路、その道のりを楽しむこと。
そこで出会う人たちを大切にして、皆で楽しく笑いながら前へと進んでいくこと。
それが私の生き方なんだと。そういう生き方で生きるんだと、何度も何度も自分に刻み込むんです。
――とは言っても。
遠回りしているとつらいし怖いし不安だししんどい。その気持ちも死ぬほど分かります。
だけど、だけど、だけどね……。
それでいいんです。
それがいいんです。
投げやりな言葉に聞こえたらごめんなさい。
私は今のあなたのつらさの全てを感じ取ることはできません。想像はできるけど、でも全てを同じように噛み締めることはできません。
だけど。
信じてください。
自分を信じられないなら、私を信じてください。
1位を取っても幸せになれなかった、アホな私のことを思い出してください。
1位の成績表を見て、どんよりと暗い顔して、自分の頭の悪さに絶望してる私のことを思い出してください。
私という人間を思い出して、ぜひ私の経験を、あなたの人生に活かしてください。
何度でもいいます。
最短で辿り着くことが全てじゃないです。
ゴールに辿り着けば幸せになれると思ったらそれは幻想です。
ゴールはゴールではなく、ただの通過点でしかないです。その後も人生は続いていきます。
それを踏まえた上で、今のあなたの状況を考えてみて下さい。
きっと、まだあなたはゴールに辿り着いていないと思うんです。もっと手前でお休みしているか、もしくは直前で立ち止まっているか。
そのゴールは本当にゴールですか?
あなたが目指すそこに、幸せはありますか?
それを、ぜひ自分に聞いてみてください。
そして、もしよければ、ゴールまでの景色や出会いを楽しむ――そんな生き方もあるということを、思い出してほしいです。
あなたという人間は、どんなときでも価値は揺らぎません。
どれだけ休んでも、どけだけ遠回りしても、あなたの価値は下がりません。絶対に下がりません。
そんなちっぽけなことで、あなたの価値は揺らぎません。
だから、大丈夫です。
私が保証します。あなたが自分を信じられないなら、私があなたを信じます。というか、もう既に信じてます。
不安になったら、私のことを思い出して下さい。あなたのことを信じる人間が、ここにいることを、思い出して下さい。
大丈夫。
私はここにいます。
私も、つらいし、苦しいし、しんどいし、不安でいっぱいです。
だから、共に生きましょう。
泣きたくなったら、どうぞ来てください。不安になったら、どうぞ思い出してください。
苦しいとき、悲しいとき、ひとりぼっちのとき
よかったら私のことを考えてみて下さい。
同じ空の下で、同じように悩み、同じように苦しみ、同じように泣きたい人間がここにいます。
どれだけ遠く離れていても、手と手を繋いで、温かさと優しさを噛み締めて、一緒に前に進みましょう。
怖くても、大丈夫。
一緒に生きて、一緒に笑って、一緒に幸せになりましょう。
そういう人生が、あなたにはふさわしいから。
泣きたい日も、笑えない日も、全部全部抱き締めて
今の、そのままの自分をそっと受け入れて
明日を迎えてみませんか?
すぐには変わらないかもしれない。
そんな日常に、嫌気が差すかもしれない。
だけど、そんなあなたのしんどい日々は
未来のあなたを救っているんです。
だから、大丈夫。
苦しくても、しんどくても
生きてさえいれば
明日は必ずやってきます。
そして
数え切れないほどの明日を迎えた先には
あなたが笑える日々が、必ず待っているから。
だから、ゆっくり目を閉じて
そっと自分を抱き締めて
大丈夫だよと、
自分に、声を、かけてあげてください。
そのままでいい。
あるがままの自分で大丈夫。
未来のあなたは、必ず、笑っているから。
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