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ずっと、怖くて行けなかった。でも今は、もう、大丈夫。

本屋にある『薬学』のコーナーの前で立ち止まった。

ずらりと並ぶ専門書。現役の薬剤師のための資料集やテキストに混じって、薬学部の学生用の教科書も、少しだけ置いてあった。

私はそれを見渡しながら、思った。

「あぁ、やっと立てるようになった」

薬学部を中退したのは、5年前。

そこでの勉強量の多さと(まじで多すぎた。あれは人間のこなす量じゃない)、私の頑張り癖がいい感じに絡み合って悪循環が起き、私はある日からいっさい勉強できなくなった。心の調子も崩してしまった。

中退してから、私は本屋の『薬学』コーナーに行けなくなった。というか、通ろうとすると動悸がやばくて、いつも逃げるように素通りしてた。(薬局にすら、動悸がすごくて、入れなくなった。)そして、意識的に避けるようになった。『薬学』みたいな専門分野の本は、本屋の中でも大体は奥まったところに置いてあるから、行こうと思わなければ視界にすら入らない。

――そんなこんなで、5年。

久しぶりに『薬学』の前に立った。動悸はしない。嫌悪感も沸き上がらない。ただ、『薬学』がそこにあるだけで、私も、『薬学』の前に立っているだけだった。

適当に本を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「あーこんなことやったなー」「つーか文字多いしクソつまんねぇなおい」「これ全部を覚えて理解して、知識として活かせたらきっとすごく楽しいんだろうなぁ」

色んな考えが頭に浮かぶ。

私の薬学部時代の教科書やノートは中退と同時に全部捨ててしまったので、(今となっては取っておけばよかったなぁと思う。でもその時は、見るのも辛かったんだから、しょうがない。)私が『薬学』に触れるには、ネットで検索するか、こうして本屋や図書館に足を運んで専門書を眺めるしかない。

薬学部時代に学んだことはほぼ全部忘れている自信がある。だけど、人から聞かれたり、たまに、自分で調べていたり、はたまたこんなふうにテキストを開いてみたりすると、脳の隅の隅に追いやられていた、学生時代に頑張って詰め込んだ化学物質の名前とか作用機序とかが、ちょっとずつ浮き上がってくる。

――不思議だ。

中退してから、私は『薬学』といっさい関わらなくなった。だから、それこそ、脳味噌の中を綺麗に漂白したみたいに、ぜーんぶ完全に忘れているのかと思っていたけれど、どうも、そうではないらしい。

一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで

『千と千尋の神隠し』より引用

千と千尋の神隠しのこの台詞を思い出す。

意味分からんうえに死ぬほど覚えにくい&長いカタカナの薬名とか(しかもそれがたくさんある。ただの地獄)、複雑すぎる免疫機能の構造とか、交感神経と副交感神経がどーちゃこーちゃらとか、ノルアドレナリンがどうだとか、アルファ受容体ベータ受容体とか。

あーーー。

めっちゃ勉強して、覚えようと何度も何度も脳味噌に刻み込むように暗記していた。土曜日は午前で授業が終わりだから、午後は食堂で夕方まで勉強してた。大学までは片道二時間半かかるから、家で勉強する時間がまじでなくて(睡眠が最優先の女だった)、毎日、行きと帰りの電車の中でノートとテキスト開いて、バインダーにルーズリーフ挟んでガリガリペンの音立てながら電車の中で勉強してた。

そーゆー、ガリガリでガツガツの日々。

でもその全身全霊の頑張りには、やっぱり無理があった。結局、反動が来て、私はある日突然プツンと勉強できなくなった。結局、色々あって、薬学部を辞めた。『薬学』に触れられなくなった。『薬学』は、あの頃の私のトラウマだった。

――そして、今

私の目の前に『薬学』がある。

参考書、専門書、国試対策の本。見慣れた背表紙、何度も暗記した専門用語。

ずっと、怖くて行けなかった。
でも今は、もう、大丈夫。

本を手に取る。めくる。大量の文字と、化学式と、つまんなそうな表とグラフがそこにある。

「ただいま」とはさすがに言えないけど

でも

「あぁ、君たちまだそこにいたんだね」

そんなふうには思えるようになっていた。
そういう自分に、いつの間にかなっていた。

相変わらず、クソ長いカタカナの薬品名にはうんざりするし、たぶん私は永久に物理化学を理解できない。暗記で頑張っていた生理学や薬理学はまあまあ好きだった。作用機序は理論が複雑すぎて覚えるのはめちゃ大変だったけど、知識と知識が繋がる瞬間は、ビビッと何かが私の体の中を駆け巡った。点(知識)と点(知識)が繋がった瞬間、興奮して、発狂しかけて、嬉しかった。
全体を見渡したときに今までの学んだ知識が全部繋がっていったあの感動は、今でも覚えてる。

それでも、じゃあ『薬学』が好きか? と言われたら、たぶん私は頷けない。

ただ。

テストのために、国試のために、点数を取るために。

じゃなくて。

生きる上での知恵として、人生に活かせる知識として、能動的に学ぶことができたのなら

私が『薬学』を好きになっていた未来が、もしかしたらあるのかもしれない。

綺麗事かもしれないけれど、大学にいる教授や飛び抜けて賢い学生は、皆、学ぶことを心底楽しんでいた。一時の暗記で終わらせるのではなく、「なぜ?」「どうして?」を徹底的に追求し、一生ものの知恵知識として、与えられる情報を美味しそうに噛み砕きながら、確かに自分を支える血肉に変えていた。

私は、彼らが羨ましかった。私には苦行にしか見えないこの文字がびっしり書かれた専門書を、彼らは美味しそうに眺めていた。

羨ましかったし、そうなりたかった。

彼らと同じように世界を見渡せたら――きっと、そこに広がる世界は、私には想像のつかないような、豊かさと楽しさでつまった、とても美しく魅力的なものなのだろう。

――でも、どうあがいても、それは無理だった。

私は彼らと違う人間で、彼らが美味しそうに食べる料理を、私は美味しいと思えなかった。思える努力もしてみたけど、やっぱり無理だった。私の細胞は、『お勉強』が嫌いなのだ。

――ぱらぱらとめくる。閉じる。また次の本を手に取り、めくる。

ああ、やっぱりややこしい。こんなにパラパラと短時間見てるだけなのにシンプルにつまんない。よくこんなクソつまんない勉強を、過去の私はこなしていたものだ。今の私がトライしようとしたら開始5秒で吐く。

――ローカル線に揺られながら、電車で一番端の席に座って、バインダーを開き、ガリガリとペンの音を立てている自分が、そこにいる。

あのとき以上に、私が、何かに明け暮れることはない。そしてもう二度と、あんなふうにがむしゃらを超えて自分の心を脅かすような努力はしない。

――だけど。

あの日の自分は、いつも私の中にいて。あの日の自分は、いつもこんな風に言っている。

『このとき以上に大変なことは、もう、起こらないでしょ?』

って。

己の限界を超えた私は、自分がどこまで出来るのかを知っている。どこまでやったらセーフで、どこまでのめり込んだらアウトなのか。

あの日の自分は、今、別人のように変化した私の心の土台になって、強く、逞しく、いつまでも優しく見守っているのだと思う。

もうきっかけがなければ思い出せない過去も、記憶も、思い出も、言葉も、他人も、きっと今のあなたをそっと支えてくれているのだろう。

その過去に、例えば悲しさや苦しさがあったとしても、その気持ちはゆるやかに昇華して、いつか笑い話にできるかもしれない。今は、そう、思えなくても。

『今』が苦しくとも、私が薬学部時代のあの苦しさを、懐かしく眺められるように、そういう未来が、いつか、来るのかもしれない。

――そうだといい。

今、暗闇の中にいるあなたへ。

必ず夜が明けるから大丈夫だなんて私は言わない。だってその待ってる間が一番きついんだもんね。つらいもんね。終わりなんて見えないし、誰にも言えないし、自分の人生お先真っ暗すぎてどうしたらいいのか分からなくて、毎晩、怖いのと不安で震えて泣きながら寝てる。明日が来なければいいのに、と祈りながら眠る。そして朝、ああ、また始まってしまうんだ、と憂鬱になる。

いつか終わるのか。それはいつなのか、終わりなんて分かんない。

――でも、ひとつだけ。

私は、その苦しみを知っている。今のあなたの抱える孤独を知っている。痛いほど、痛いほど、分かる。絶望と恐怖でいっぱいのこの心と身体が今にもどうにかなってしまいそうで、泣いて、ときに泣くことすらできなくて、心が半分欠けたように、何も感じなくなったり、ふと、色んな嫌なことを妄想したりする。そういう、ぐちゃぐちゃな恐怖でいっぱいな、先の見えない苦しさを。

あなたの全てを、私も知っているから。

それだけ。忘れないでいてね。

私もあなたと同じ。孤独な人間だから。

大丈夫。そばにいるから。

あなたが泣き止むまで、そばにいるから。

――だから、今だけ。

今だけ。

その気持ちを、下ろしていいから。吐き出していいから。汚くても気持ち悪くても醜くてもどうでもいいから。全部、私に寄りかかっていい。

そして泣いているあなたを私が抱きしめるよ。実際には抱きしめられないけど、抱きしめたいほど、今のあなたの気持ちがよく分かるから。

そして、夜が明けるまで――ずっと、あなたのそばにいる。


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