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ファッションに疎い女子が、数年ぶりに新しい服を自分で買った話

――うわぁ、2万かぁ、高いな……。この服一着で、本10冊買えるじゃん。

店頭でマネキンが着ているイチオシのセットアップ。その洋服の値札をちらりと見て、わたしはそんなことを考える。

わたしは自分で服を買わない。自分の意思で服を買わない。何故かというと、自分の中で、ファッションの項目は優先順位が低いからだ。街中や電車で見かける同年代の女の子は、わたしなんかより、もっともっと可愛くてお洒落な格好をしている。

――いいなぁ、と思いつつも、今の自分にそこまでの余裕はない。

去年の夏に大きく体調を崩して、半年ちょっとが経過した。少しずつ回復傾向は見られるものの、まだ完全回復には至ってない。

健康を害すると、身の回りのさまざまなことに気を遣う余裕がなくなる。文字通り、生きてるだけで精一杯。寝込んでばかりなので美容院には行けず、毛先はボサボサ。療養中、出かけるのは病院の予約日だけ。その日だって、最低限外に出ても恥ずかしくない格好をするだけだ。

服を選んだりメイクを楽しんだりする余裕なんてない。そんな気持ちの余裕、今のわたしには存在しない。

身なりに気を遣わない(というか遣えない)と、自分がどんどん醜くなっているような感覚に陥っていく。だんだんと、鏡を見るのも憂鬱になる。

美容やファッションというのは、ある程度精神的に余裕があるからこそ楽しめるものなんだと思う。

ベッドに寝転がりながら、いつまでこんな生活が続くのだろうと不安が押し寄せる。でもその不安に対する答えはなくて、布団に潜り込んで、目をぎゅっとつむって、早く時間が過ぎていくことを祈ることしかできない。

そして、時が経った。

二月末の診察。主治医の先生に『少しずつ将来のこととか、働き方とかについて考えるフェーズに来ていると思うよ』と言われた。

そのときは、正直あまりピンとこなかった。仕事を休職してはや半年以上。自宅と病院の往復。ベッドで寝込む毎日。将来のことなんて……考える余裕はなかった。

その日の帰り道、病院の最寄り駅に直結している駅ナカのビルに立ち寄ったとき、とある店の前でわたしの足が止まった。

ハンガーにかかった、ピンクのスカート。色が、可愛い。スカートのひだごとに、色の濃淡ができているデザイン。今まで履いたことのないようなお洒落な形のスカートだった。

いいなぁ、と思いつつも、その日は買わずに帰宅した。

そして、毎日体調に波がある日々の中、ゆっくりとだが希望が見えてきた。三月に入る頃から、体調がかなり良い状態で安定するようになったのだ。

やった、と思いつつも、でもここで調子に乗ってはいけない。今まで動けなかったぶんを発散しようとしてはしゃぐと、大抵しっぺ返しを食らって後々寝込むことになる。

日々を慎重に暮らす中で、ふと思い出すのはあのスカート。

そもそもファッションに疎いわたしが、服に興味を唆られること自体、ひどく珍しい。次の診察は二週間後。もし、そのときまだお店にあのスカートがあったら、買おうかな。そう、ぼんやり決めた。

そして二週間後。病院の日がやってきた。体調は安定していて、主治医の先生にも『良い傾向だね』と言われた。実際、体感としてもここ最近はかなりいい感じで、健康に過ごせてる。ありがたい限りだ。

病院の帰り、あのスカートが売っているお店に向かった。

あのスカートは、まだ、あった。

――あぁ、よかった。

すこおし安堵して、手に取る。そして値札を見てびっくりした。12000円だった。

えっ、スカートってこんな値段するの?

一瞬、硬直した。普段、ブランドの服を買うことが滅多にないわたしは、てっきり5000円、高くても7000円ぐらいだと勝手に思い込んでた。

――でも、うーん。やっぱり……。

わたしは意を決して、そのスカートと、あともう一つ、シフォン素材の上品で可愛らしい黒の服(上半身用)を手に、店員さんに声をかけた。

「試着したいのですが」

店員さんに案内され、試着室に入って着替え始める。

もそもぞと服を脱ぎながら、ほんと、ショップで服を試着するなんて何年ぶりだろう? と考える。

普段、服を買わないわたしが服をどこから入手しているのかというと、わたしと違ってお洒落でファッション好きな母が買った服を、拝借させてもらってる。母は若者向けのファストファッションが好きなので、20代半ばのわたしでも、十分着れる。

フェイスカバーを被り、すぽんと頭を通す。元々履いてたユニクロのズボンを脱ぎ、お目当てのスカートをどきどきしながら、着てみる。

少しだけ、少しだけ期待しながら、鏡に映る自分を見た。

――あ。

ドキン、と、胸が鳴った。

――わたし、この服、好きだ。

黒のシフォン素材の服を着、ピンクのスカートを履いたわたしは、たぶん、いや、きっと、全然、いつもより、可愛かった。

――この服、可愛い。

トクトクと、胸がときめく感覚。

――あぁ、なんか久しぶりだ。この感じ。

服にときめくなんて、いつぶりだろう。もう全然、思い出せないぐらい、昔のことだ。

服自体にそこまで興味がないのに加え、療養中だったわたしに、ファッションを楽しむ気持ちなんて、どこにもなかった。

寝込んでばかりの日々で、何かにときめくことなんて、できなかった。

だけど、今のわたしは、確かに、ときめいている。


予算オーバーだったが、結局、二着とも買うことに決めた。

「ありがとうございました」

丁寧に包装されたショップバックを受け取り、店を出た。駅までの通路を歩きながら、バックのリボン紐をぎゅっと握る。

――あぁ、ようやく、ここまで来たんだ。ここまで、『取り戻せた』んだ。

まだ完全ではないけど、今のわたしは、ようやく、ようやく、元気になりつつある。

その中で、こうして、いいなと思った服を試着すること、そして、ショップで服を買うこと自体、奇跡だった。

――いや。

そもそも、あのスカートをいいな、と思ったこと自体、ある意味、奇跡だった。

だって、本当に大変なときは、服なんて目が行かないから。本当に苦しいときは、ファッションのことを考える余裕なんてないから。

身体だけじゃない。回復しているのは、わたしの心も、同じだった。

日々を楽しむ余裕。何かにときめく心。感情が動く瞬間。

そんな当たり前のことが、ようやく、戻ってきた。少しずつ、何かを、感じられるようになった。

心が、身体が、いろんなものを取り戻していく感覚。

時間はかかった。けれど、ここまで来た。

もちろん、まだ、すべてが解決したわけじゃない。療養の日々は、まだ、もう少し続くだろう。

しかしその中で、わたしは、洋服にときめく心を取り戻した。ファッションを楽しむ余裕が、蘇ってきた。

不安の大きい日々の中で、わたしの支えになってくれるのは、大好きな本たち、それと、今日から新しく仲間入りした、ときめく洋服たち。

いつか、あの服を着て、大好きなあの人たちに、会いに行こう。

そう決めただけで、未来がふわあっと輝き出す。暗かった将来が、キラキラと、明るいものになる。

――服を買う。

たったそれだけのこと。人によっては、ごくごく当たり前のこと。だけど、今のわたしには、やっぱりすごいことだ。

――服って、すごい。手元に一つ、あるだけで、こんなに心がわくわくする。

服が好きな人って、毎日こんなふうにときめいているんだろうな。

わたしは、服に、詳しくない。だけど、今日感じたあのときめきは、きっとこれからのわたしの大事な指針になる。

本当の本当に、元気になったら、もっとおしゃれを楽しみたいな。

自然と上がる口角。楽しい未来を想像し、わたしはその夜、あたたかい眠りについた。

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