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言葉という『宇宙』に魅せられて。

30分のアニメが、30分で見終わらない。

こんな摩訶不思議なことが、私の生活ではザラにある。

なぜ、30分のアニメが30分で見終わらないのか?

答えはカンタン。私が鑑賞中にちょくちょく一時停止をするからである。

例えどんなに緊迫した場面であろうと、主人公の男性がかわいいヒロインに告白するドキドキシチュエーションであろうと、関係ない。ボタンを押すわたしの指は、無慈悲にふたりのときめきシーンをぶった切る。

では、一時停止するのはなぜか?

メモを取るためだ。

ではいったい、そのメモとは?なんのメモか?もちろん、ふと思い出した買い出し用の野菜ではない。

ことば、をメモするためだ。

主人公のセリフ、登場人物だれかのセリフ、ときにはモノローグ。アニメでも、ドラマでも、言葉はいろんな形で紡がれる。鑑賞中、わたしの耳に飛び込んでくる彼らの言葉の中で、『あ、いいな』と思ったことばは、欠かさずメモをする。メモをする間、映像が流れていってしまってはストーリーを追えないので、いったん、一時停止をする。書き取り終わったら、また、再生する。また、『あ』と思ったら、止めて、メモる。再生、止める、メモ。再生、止める、メモ。その繰り返し。

私は何をやっているんだろう、と時々我に返って、バカバカしくなる。いったいわたしは、アニメを見るためにアニメを見ているのか、言葉を吸収するためにアニメを見ているのか――。

読書も同様である。私は小説を読むのが大好きなのだが、読み終えた本はもれなく全部、付箋がそこらじゅうにベタベタと貼ってある。

↑こんなかんじ。

わたしにとって付箋は、読書をするときの必需品だ。読んでいる中で、いいな、と思ったら容赦なく貼っていく。ベタベタと。たとえ、電車の中でも、読みながら、貼る。特に小説は、言葉の宝庫だ。その言葉の世界を、わたしは、一ミリも、余すことなく味わい尽くしたい。いい言葉は、忘れずに心の中に書き留めておきたいし、面白い表現は、すごい! と素直に感動したい。

言葉は、ほんとうに、そこらじゅうに散らばっていて、その巧みな言葉たちを、見つけて、拾って、それを自分の物として吸収できるかは、本当に自分次第だと、私は思う。文章力というのは、オリジナリティなんかよりも、他人からどれだけ盗めるかのほうがよほど大事で。所詮、私の文章も、過去どこかで見つけた、誰かの書き方や言葉の使い方を、真似してるに過ぎないから。でも、色んな人から盗んだレシピを見ながら、自分なりにアレンジして、料理を作る、それが文章を紡ぐということ、なのでは――? と、思うのだ。

ただ……ここまでくるとほんとに自分は度を超えた変態なのでは、と思うが……(笑)

まあ、しょうがない。言葉という素晴らしい宇宙に魅せられてしまっては、もうたまらないし、きっと、一生抜け出せないだろうから。

ちなみに、このメモ癖は、アニメや読書に限らず……漫画やYouTubeなんかでも、まったく、変わらない。いいな、と思ったら、YouTubeを一時停止して、字幕をスクショするか、メモを取る。漫画も同様。だから、漫画一冊にしろ、YouTube鑑賞にしろ、とにかく、時間がかかる。

(そのため、私のスマホの画像フォルダは、ことばのスクショか、二次元イケメンのイラストか、大抵このどちらかに分類される)

――そして、そのかかりすぎる時間を見て、『わたしは一体何をやってるんだ』と、またバカバカしくなる。そんな阿呆なことの繰り返し。

 これが、言葉という『宇宙』に魅せられたわたしの日常である。

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