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結局私は、積み上げることしかできない。

あぁ、結局私は『積み上げる』ことしかできないんだ、と、気づいたのは、Zoom会の前日の夜だった。

Zoom会で私が伝えたいことは何だろう? と、ここのところずっと考えていた。考えながら、生活をしていた。

私はZoom会で『言語化は才能じゃない』と言った。言い切った。才能やセンスではなく、どれだけ訓練して磨いてきたのか、ただそれだけだと。

『積み重ねること』

これは、自分の生き方に通ずることだった。才能もセンスも関係なく、ただ、続ける。ただ、取り組む。私はそうやって生きてきたし、たぶん、これからもずっとそうやって、生き続けるのだと思う。

――我ながら、地味だな、と思う。昔から、私はウサギと亀に例えるなら、確実に亀側の人間だったから、何度、ウサギ側の人間を羨ましいと思ったことか。

才能も、センスも、運も、あればそれに超したことはない。あればあるだけ、物事の実現スピードの加速度が高まる。

でも、ときに、才能も、センスも、運でさえも超えていけるのが『努力』の真髄だと思うのだ。努力と、そこにかけた時間と、かけた想いは、それが例え結果に繋がらなくとも、自分の身体の中で、経験として積み上がって行く。そしてその経験は、未来の自分の背中を押してくれる。

勉強も、小説も、ダンスも、表現力も、心のことだって、全部全部、そう。私は、積み上げてきた。積み上げてきたんだ。小さなことから、大きなことまで、色んなことを。そういう大小様々な積み重ねが、今の私という人間の根底を支えてくれている。積み上げてきたから、大丈夫だと、安心して――と。過去の自分が、いつも隣に居てくれて、エールと安心を送ってくれる。

これからも、私は、積み上げ続ける。積み上げた先に何があるのかは知らない。でもいつか、何か、自分の中で成し得たときに、過去を振り返り、積み上げてきた自分を誇れる瞬間があると――私は、信じてる。

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