藤井風と二度の出会い「ファンになった日」〜何なんwのイメチェン〜
■ファンになった日
2020夏、水溜りボンドのオールナイトニッポン0であのヒゲダンボーカル藤原聡直々のおすすめの一曲として聴いた「何なんw」。
その感想は、
「かっこいいけど恋人へ別れを告げる失恋ソング」
だった。
時は過ぎ2021冬、虹色カルテ最終回の余韻に浸るため再生した「旅路」に惚れた夜、
思いもよらず「何なんw」と再会することになった。
改めて、藤井風 何なんwを聴くことになるとは。
前は気に留めなかった「藤井風」という文字が一番目に入る。
再生ボタンを押す。
藤井風のデビュー曲 何なんw
すっかりメロディもMVも忘れ、脳の中では「こんな曲知らないぞ」状態だ。
旅路、帰ろうで歌詞に感動してしまったため、一節一節、藤井風は何を伝えようとしているんだろう、と巡らせながら聴く。
やっぱり旅路、帰ろうに通ずるものがある気がする。人々の心の中にいる温かく見守ってくれる存在、
憧れの存在
時には希望や神様
自分にとっては心の奥でいつも見守ってくれる
生まれたばかりのように輝く本来の自分
とすると、何なんwはその見守ってくれている存在からみた歌っぽい?
自分はおっちょこちょいで、いつも必ず何か抜けてしまう。そんな自分を恥じて来た。
しばらくして気づく。ああ、本来の自分を目指しているのに、笑顔、感謝、穏やかさ、優しさ、本当の愛で満ちた自分になりたいのに。
まさに泥の中に自らダイブするように一瞬一瞬を軽んじてネガティブの渦に飲まれて勝手に恥じて焦って心配して生きている、ということを。
自分を見守ってくれる存在が「何なんw」「それ目指してたん?」と叱って気づかせてくれるのか。
確かに、心の声を聞かないふりをしている。ネガティブムードに入っている時、失敗を思い出し恥ずかしく思うばかりでどうしても前を向くことができない自分が浮かんだ。
「もう前を向く!」と何度決めただろう。
気づけば、
もう笑ってしまう。情けない自分の姿、そんな人生目指してないはずなのに。と思ってしまうその気持ちを鮮やかに感じさせる歌
いや凄すぎじゃん!
初めて聞いた夜「なんだ恋人への別れの歌か」
と解釈した自分が恥ずかしくなった。藤井風さん大変申し訳ございませんでした。
自分を見つめ直す深すぎる応援ソング
しかもいつ聴いても必ず前を向ける魔法の決意ソング
自分の中ではこんな解釈でしっくり来た。
(個人的な解釈です。皆さんの色々な解釈も知りたい…)
今まで聴いた「音楽」の中でここまで印象が真逆になったのは初めてだ。
と同時に藤井風のファンになった。
■人生は一度きり
今も一秒先も一秒後も 一度きり
タイムスリップであの時こうしていたらどうなっていたんだろうと世界を変えていく物語がたくさんある。
でも、そんなことは起こらない。
(体験したっていうミステリー話は信じちゃうけど)
この一呼吸を楽しいで満たしても、悲しい気持ちやぷんすか気分で満たしても すべて一度きり
それならば、人生で一度きりのこの一呼吸を、そう今している一呼吸の間で、どれだけたくさん楽しい、嬉しい、温かい幸せを選ぶことができるのか
それを目指して生きていきたい。
この人生を去るときに元気いっぱい「人生100%幸せを選びました!」と言えないのがちょっと悔しいけど、
だからこそ
のだと思う。
きっと人生を100%幸せで満たせる、存在が心の奥にいて、本当に困ったときや自分が肥溜めへダイブしたところを気づかせてくれる。そのれなのにまた調子に乗って肥溜めへとダイブする。ほんとなんて情けな…いやまだまだ伸びしろがあるのかもしれない。すぐに差し伸べてくれる手をつかめるように、肥溜めを飛び越えて進めるようになるんだ。
と、今の自分はこんなところで、だからこそ藤井風の言葉が刺さりまくるようだ。
ぼちぼち、少しでもたくさんの嬉しいで溢れた人生で一度きりの美しい「今」を確かに進んで生きたい。
あなたへ
読んでくれて、ありがとうございます
良ければ感想も待ってます(ӦvӦ。)
あなたの今日が素敵な一日になりますように
篶麦より
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