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ここから先へと

2019.8.9

鴨川で飲酒、そうですね、はじめては京都に来て、大学にはいって、新人歓迎コンパでした。
べろべろに酔った。
大声で笑っていた。
お酒との付き合いなんてわかってなくって、
ただ陽気になれる魔法の飲み物。
だった。

飲食それ自体がわたし(の肉体)をつくると自覚した時、明確に、つくるごはんやのむものへの意識が変わった。
やさしいのがいい
甘やかすのもいい
いただくいのちがわたしになる
だから、だいじにしよう
毎日食べて飲んで
それでつくられたわたしが世界に存在している。

有り余るほどのおかねはないけど
だれかがだれかの幸せを願って作ったものを買ってたべよう。
上手に料理して。

大事であればあるほど、お塩だけでいい。
最適解はいつもそれだ。
けれどいつも、それだけでいいと、肉体は言わない。
スパイスいっぱいがいいな、
トマトで煮込んで欲しいな、
僕は淡白だから、チーズやオイルと合わせて欲しいよ。
なんてなんて。

手を加えれば加えるほど、だいじなそれから乖離していくのでないかな、という恐れがいつでもあって、だからわたしはノートをつくる。
使って、育ててもらえるもの。
そうでなければ始まらない物語をもつ本を。
あなたを大事にしたいから。

いま、つくるそれだけでなく、表現に意識がいっていて、はじめはそれをエゴだと思ったのです。
でもそれぞれ千差万別に世界の見方やフィルターがある。
そのことに向き合って傷をおえば
わたしの見方を伝えることで
それを手に入れてもらうことで
それを使っていただくことで
なにかが変わることを、不変はないということを
それでも肯定したいと思う人間がいることを
きちんと伝え切れるのでないかしら。

鼓舞です、これは。

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