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作品について

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私の絵画作品がどのようにして生まれたのかお話する場所です。
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【Yohji Yamamoto 2020SS】個人的ルック考察!

どーも、こんにちは! Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)の2020年春夏コレクションが公開されましたね! 今回は私がコレクションを見て個人的に思ったことをピックアップして書いていこうと思います。 今回の招待状には 手と手を繋いだ絵が描かれており、 「手と手」がキーワードになりそうです。 まず、ショーは静かな雰囲気の中で始まりました。 哀愁漂う音楽の中 ヨウジヤマモトのアイコンでもある黒い服に、ぼんやりと複雑な絵柄が浮かんでいる男たちが現れました。 今

私たちは生まれる家を選べない だから生きながら生まれ変わりたい

アーティストの内田すずめです。 私は生まれ変わりたい。死んで転生するのではなく、現世で生まれ変わることができたなら。傷ついた子供の頃の自分を抱きしめて私たちは大人になっていく。  「転生」内田すずめ 紙に鉛筆、墨 2015年 子供の頃から理不尽に思っていたこととして、「産まれてきたくて産まれてきたんじゃないや」というのがある。誕生することが自らの意志で選べないならせめて、国や両親をチョイスして産まれて来られたら良いのに、そうした選択制度はおそらく用意されていない。

私たちは生まれる家を選べない だから生きながら生まれ変わりたい 続き

先日、卒業した中学高校へ行く機会があった。15年振りにお会いした副校長に「最近どう?」と聞かれたので「人生思い通りにはいかないっすね!」と返したら爆笑された。「そりゃそうよお~!まだまだ青いなあ~!」だってさ。そうっすよね。 ところで前回の記事↑に『命の誕生は奇跡である』『チャンスは平等ではなく、選ばれたものだから生まれてこられたんですよ』という内容のご感想を頂戴した。 内田の返答は以下。 おっしゃっていること、大人の今だからこそわかります。生命の誕生はすべて奇跡だと思

短歌と絵画のコラボレーション

アーティストの内田すずめです。日本橋三越で開催中の内田すずめ特集ー消えない星ーでは、歌人の野口あや子先生の短歌が絵画に添えられています。これはひとつひとつ新規に書き下ろして頂いたもので、私が完成した絵を画像でお送りして、それに野口先生が短歌を返信する、というかたちをとってきました。2019年の1年間、お互いの間を行き来するそれは季節の便りのようでした。 今回の展示では「消えない星」、つまり心の中で輝き続ける思い出といったふんわりしたものをテーマにしています。絵画は鑑賞者個人

展示が始まります。1/15〜1/20 日本橋三越 内田すずめ特集

「心臓」 パネル・油彩 2018年 内田すずめ 見て描くことを続けてきたのに、「大切なものほど目には見えない」ことに気づいてしまった。 ここ数年、飼っていた鳩の亡骸を描き続けてきた。写真にしか残せなかった身体も、絵に描くことで鳩の存在をこの世に残すことができる。そんな気がしていた。 ただ別れから数年が経った今、再現して残したいという欲求よりも、瞼の裏に浮かんでくる残像こそが描くべき真の姿であるという思いが強くなった。肉体ではなく命の重たさという目には見えないものこ

展示のお知らせ:1月15日(水)~1月20日(月) 日本橋三越本店 本館7階

久しぶりに少女と鳩の肖像画による展示が開催されますので、お知らせさせてください。 今回の展示タイトルの「消えない星」は、いつまでも心に輝く「忘れられない思い出」のイメージでつけました。 タイトルを決めた後に気づいたのですが、宇多田ヒカルさんの道という歌にも同じワードが登場します。 黒い波の向こうに朝の気配がする 消えない星が私の胸に輝き出す 悲しい歌もいつか懐かしい歌になる 見えない傷が私の魂彩る 大切なものほど目には見えなくなってしまう。だからこそ、いつまでも胸に

「Yohji Yamamoto」と「内田すずめ」のコラボ作品に魅入られてしまった話。

 フリーランスライターの狭井悠(Sai Haruka)です。  今回は「これが好き!」という熱い気持ちを込めて、noteをがむしゃらに書いてみようと思う。  このコラムで語りたいのは、ファッションブランドとして世界的に有名な「Yohji Yamamoto」と「内田すずめ」という画家のコラボ作品との出会いについて。  一言で言えば、僕は作品に魂を射抜かれ、魅入られてしまったのだ。 はじまり 2018年1月18日。  いつものように、Twitterを開いてタイムラインを

うつくしいひかり 1

今年はヨウジヤマモトさんとの仕事が一段落してから、ずっと少女を描いている。一足早く歌人の野口あや子氏と画商さんにお見せしたところ、ふたりとも「思ったより幼い!」「若い!」という反応だった。まあそうだよね。こうまであどけない少女は描いてこなかったもんね。 話は変わるが、私が生まれて初めて感動した絵画はルノワールのルグラン嬢という肖像画だ。 8歳の時に母に連れられて行ったブリヂストン美術館で対面した作品。あまりの愛らしさになんで絵の具とキャンバスだけでこんなに人を可愛く描けて

描き分けてなんかいないよ

がっかりすることがあるので書いておく。 たまに「(明るい絵と暗い絵とを)よく描き分けられますね」と言われる。それは見当違いだ。描き分けてるんじゃなくて、自然とそうなっちゃうのである。 私の描く女性画には ・自分を描いた絵 ・モデルさんを描いた絵 のふたつがある。登場する人物への心の寄り添い方が違うから、自然と出てくる絵も違ってきちゃう。 <自分> <モデルさん> 極端だという自覚はあるけれど、断じて描き分けてはいない。まず描きたい絵が自分の中で出来て、その後その絵に

拒食症だった私へ

彼氏に「デブ」と言われたことがきっかけで、過度なダイエットにのめりこんだ大学 2年の夏。私は拒食症という心の病にかかっていた。死ぬほど食べたいのに太るのが怖くて食べられない。一日の食事は拳より小さな鳥のささみ肉と少しの野菜だけ。体重計の 100グラム増えた減ったに一喜一憂する毎日。食べたい、食べちゃいけない、その思考で覆い尽くされ、食べ物のこと以外何も考えられなくなってしまった。 街では知らない人から痩せすぎと振り返られる。気味悪がられていたのだろうが、私は嬉しかった。彼の

動物を亡くすこと、描くこと

飼っていた白い鳩が亡くなった。夏の暑い日だった。ケージの中で苦しみのた打ち回っていたのに最後はその気力も無くなったのだろう、穏やかに息をひきとった。 軽くなった亡骸をそっと両手で抱えて、カメラのシャッターを切る。描き残すためだ。描き残す。何故そうするのか。 「亡くなったものをモチーフにすることは、罪ではないのか?」 庭に鳩を埋めた後、撮影した写真を確認しながら私は自問していた。自分が描きたいからという欲求だけで絵にしていいのか。相手は鳩の死体で何も感じないことはわかって