見出し画像

スズメベースの現状とこれから(前編)

以前書いていたものは、半年くらい前に全削除してしまったので、改めて始めることになります。

東京・三鷹市で、スズメベースという場所をやっているsue(ローマ字読みなので発音はスエです)と申します。

スズメベースの回顧録は後にして、まずは「私とスズメベースの現状と、12月から始めること」を、前編後編の2回に分けて書きたいと思います。これは前編になります。

自宅の転居は突然に

私は三鷹生まれの三鷹育ちで、20才までは三鷹がメインでした。20代からは北海道・富良野、京都、国立、府中、小平…と、地方や多摩地区を転々として、30代に入ってから、子育てを考えて三鷹に戻り、そこから20年住みました。

3人の子どもの保育園や幼稚園から始まり、公立小中学校を卒業するまで、1年も間を開けず、ずっとPTAやそれに準ずるものをやり続けました。

私は不登校を経験したくらいの学校嫌い。合理的じゃないことを強いられるのも、みんなと同じにしなければいけないことも、大嫌いなタイプでした。そんなな私がPTA。私の親族はびっくりしていましたね。

当然、私はPTAの中で浮いていたし、陰口的なことを言われていたのも知っています。でもPTAは人数が多いし、ちゃんと仲良くなる人や、私を認めてくれる人は出てくるもので、十数年間のPTA生活を楽しんだし、頑張りました。とても勉強にもなりました。

PTAは子どもの卒業で終わるので、それを見越して各種講座を受けたり、大学の福祉科に編入したり聴講したりして、地域活動へと綺麗にスライドして入っていく訳ですが、三鷹で活動するにあたり、やっぱり三鷹出身で三鷹在住は強かったですね。

学生ボランティアでもなし、仕事で関わっている訳でもないですから、地域活動と居住は同じ地域内に越したことはない。それなのに、今年に入って家族の状況や、住んでいたマンションの状況やらの関係で、自宅の転居を決めました。

スズメベースは建て替えが決まっているビル内で始めて、契約時には不動産屋さんから、建て替えまで5年くらいだと聞いていたので、自宅の転居をするのは、ビルの建て替えでスズメベースをやめるか、移転する時だと考えていました。

このビルの建て替えは駅前再開発事業のため、ビルを持っているUR都市公団、東京都、三鷹市でタッグを組んでいる大型事業になりますが、新型コロナの流行で思わぬ大きな支出が続いた東京都から、計画白紙の連絡がきたと私は聴きました。

スズメベースは今年の4月で契約更新で、現在4年目になりますが、当初の予定だと来年くらいに建て替えの予定だったはずでした。それと同時にスズメベースをやめようかな…、そして住居も引っ越しだなと考えていました。

その建て替え、言い替えればスズメベース終わりが、すっかり霞んでしまい、一方家族の状態は思っていたより早くに悪化してしまったため、三鷹を離れて都心に住居を移す決意をすることになりました。今年の春のことでした。

自宅を転居してわかったこと

簡単に転居といっても、かなり大変でした。都心といっても、探したのは極限定した地域だけで、その地域内でファミリー物件、ボロ過ぎず、安めなところ。1階はイヤだ、階段のみはダメ、角部屋じゃなきゃダメだ!などいろいろ注文もつけてくるので、そんな物件が出たらすぐに内見して、借りるかどうか決断しなきゃならない。

物件探し、その連絡や手配、内見などを1人でやって、物件が決まる前から物の整理やごみ捨て。そして物件が決まってからは、真剣に粗大ごみの手配や粗大ごみ運び、箱詰め作業、引越屋の選定・見積り依頼、ガス・水道・電気・wifiの連絡や立ち会い…とにかく大変でした。

家族5人で20年も住んでいると、粗大ごみの運搬やごみ出しは壮絶。とにかくスズメベースを開けられませんでした。

その間に私の手は腱鞘炎、腕はテニス肘に野球肘、ついでに左肩は元々五十肩ときて、本当にボロボロでどうにもならなかった。スズメベースのシャッターを開けるのも辛いし、服の着替えやトイレさえ大変で…。

一連の引越作業だけでも大変なのに、両腕が思い通り動かなくなった私には、引越後の作業も日々の家事もかなりゆっくりしかできず、普通に暮らせるようになったのは、8月半ばくらいになってからでした。

状況が落ち着いてくると、視界がパーっと拡がるものです。遠くから見る三鷹、そしてスズメベース。そして東京全体。家族以外は誰も知る人がいない土地にいる自分。

私自身はかなり身軽になった気がしました。それはスズメベースを開けなきゃ!開けなきゃ!!と思わなくなったからなのか、三鷹から離れたからなのかわかりません。

ただ三鷹から離れてみて感じたこと、思ったことは確実にありました。

それは、

①スズメベースは大事な場所
②三鷹は地域活動が豊か
③これまでやってきたことは無駄ではない
④無料でスズメベースはやれない
⑤三鷹にこだわることない

です。

①スズメベースは大事な場所

私はスズメベースをやめるか迷っていたし、やる気がなくなっていたのも事実で、週に1,2回しかスズメベースを開けていないのに大事も何もあるかい!と、思う人もいるかもしれないですね。

でも回数を開けているからって、大事に思っているとは限らないし、そういうことは人それぞれ、状況もそれぞれなので、単にいえることではないと思います。

私としても大事だけど、スズメベースで営業してきたゴーゴーリフレさんや、その常連さんたちにとっても大事、スズメベースやスズメベースの本を好きな人や、雀文庫みたかを気に入ってくれた人たち、スズメベースに立ち寄る人たち、遠くから応援してくれてる人たち…その大事に思う気持ちや、人との縁を考えると、スズメベースをやめるのは惜しい、私にとって大事な場所なんだと思ったことに、間違いはありません。

②三鷹は地域活動が豊か

体調も微妙だし、家のこともあるし、私自身が働くかどうかということもあって、三鷹にどれくらい行けるかわからなくなってきた時に、転居先に誰1人として知り合いがいないことに気づきました。

店に行っても必要以上に話すこともないし、子どもは全員社会人で学校とかも関係ないし、自分から動かないことには、知り合いはできないものなんだ!と気づきました。(そこが①にも繋がっていくのですが)

居住地付近で探してみても、あるのは子ども食堂くらいで、三鷹のように活動や集まりがありませんでした。三鷹をなめていたな~と感じたと共に、店っぽいのに店でもない、コミュニティ重視の場所が、駅前の商店街の中にあるのって、便利で最高だね!と、スズメベースを思いました。

③これまでやってきたことは無駄ではない

①②を考えると、③と思わずにはいられません。ローマは1日にしてならず。やっぱりそうなのか~と思いました。

勘のいい人や、運がいい人ならば、1発でうまくいく人もいるのかもしれないけど、失敗の経験も成功の経験も、あの経験がここで活きた!ということが私の場合は特に多いので、今までのことは無駄ではなかったと思いました。

④無料でスズメベースはやれない

これは私が転居しなくても…ではあるけれど、私が三鷹から離れたことで、なおさらに、確実に、無料奉仕はできなくなりました。

引っ越す前までは、引っ越してからも週2回、なんなら週3回はスズメベースに行くと、私は本気で思っていましたが、自宅の家賃は2倍になり、スズメベースに行くには絶対に交通費が必要で、時間もかかる。子どもたちが昼食を自宅で食べるようになった。そんな日々に実際に身を置くと、週に1回行くのが限界でした。

週5日も閉めている。数少ない会員さんたちには、もう鍵を預けてしまっているし、私の場合スズメベースを開けたからといって、何かを販売している訳じゃないから、行くだけ赤字な気持ちが強くなる。趣味でやるにしては月々の支払いがあまりにも高額で、考えるだけで顔が歪むようになりました。

とにかくこれ以上放置するのも、無料で何かするのも無理なんだ!と心底思いました。

⑤三鷹の人にこだわることはない

先程書きましたが、地域活動は地域に居住している人がやるのが、やっぱりいいと思うんです。そう思っている人が多いからこそ、私が三鷹から引っ越す話をした時に驚かれ、無言になる人までいたんだと思います。

会社の同僚が引っ越したって、多少の距離では驚かないし驚かれない。でも私の引っ越しの報告は、私にとって重いものになりました。疎遠になる人もいるような気配がしたし、以前よりやりづらくなるかもな…とも感じました。

そんな中でいくつかの希望の光はありました。

①「経済の視点を持てば見える、地方の『幻想』をぶっ壊そう!!」「街づくりの幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか」刊行記念講演で聴いたこと
②夏にできた同ビル3階のビストロ店
③今年1月に開催した手帳の会での話
④三鷹居住じゃないメンバーが増えたこと

この4つです。

4つの詳細や、スズメベースをどう変えることにしたのかは、また明日書きたいと思います。

東京三鷹生まれの三鷹育ち。自分の居場所を求めて富良野、京都、東京多摩地区を転々としたのち三鷹に戻り、以降ずっと三鷹に在住。2016年2月、本好きと、長く続いた居場所探しの経験を活かし、地元でゆるい感覚のまちライブラリーをスタート。ひっそり人好き。地域クリエイター。