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深夜の公園でカップラーメンを食べる

夏から秋へと、季節移り変わるある夜。家でひとしきり酒を飲んだ俺は、そろそろオニギリでも食べてシメようかと冷凍庫を開いた。だが、そこにあると思っていた冷凍のご飯がない。

さて困った。今から米を炊く訳にはいかないし、かと言って他に買い置きもない。どうしたもんかと一瞬考慮したが、すぐに、コンビニで買えばよいのだと思い返す。

財布を持って、それじゃあカップラーメンでも買ってくるかと家を出ると、思いの外、夜の空気が温かい。風も穏やかで、暑すぎず寒すぎず。ふらりと外を歩くにはちょうどいい真夜中だ。……ふと、思った。

そうだ。外でカップラーメンを食べよう。

我が家は徒歩圏内にそれなりに大きな公園があり、近くにはコンビニもある。せっかくなら、夜の公園でカップラーメンを食べるというのも悪くない。

いや、正直なところ、ちょっと前からやってみたいと思っていたことだった。やってみたかったのだが、天候や気分が噛み合うタイミングが無かった。

今日が、その時だった。

決断してからの行動は早い。俺は早速コンビニに行くと、カップラーメンを買い、レジ横のポットでお湯を注いだ。


もうこの時点で旨い。食べていないが、香りと雰囲気だけで、数分後の旨いが約束された「前旨い」の味がした。

コンビニを出たら公園をふらふらと歩き、いい感じのベンチを探す。どうせ3分でたどり着けないことは明白だ。夜の公園の静寂に身を任せ、時間など気にせず歩く。

暫く歩くと、いい雰囲気のベンチが見つかる。日中は晴れていたので、ベンチはよく乾いていた。そこまで考慮すると、夜の公園でカップラーメンを食べるという行為が、天候に恵まれなければ不可能な贅沢にも思えてくる。

ベンチに座り、カップラーメンの蓋を開ける。穏やかな夜風に運ばれてくる晩夏の香りに、カップラーメンの香りが交じる。


せっかくなら、公園の池を背景に写真を取ってみようと思った。

我ながら、よく取れている。最近のスマホはここまできれいに写真が取れるのかと関心した。

真夜中の空は、街の光に照らされて、夜なれど薄明かり。波一つない池は、街灯と森を映して、目に映る世界を広げる。静かに黙する夜の公園が、ここまで雄弁だったとは。実際に体感して初めて理解できるものだった。

写真に満足したところで、カップラーメンを食べる。いつもの味だ。食べ慣れた安心感。程よく涼しい空気に晒された身体に、温かい麺とスープが染み渡る。

食べるのはもう、それはもう早かった。話し相手もいないので、黙々と食べるのだ。麺をすすっては池を見て、小さな具を噛み締めては森を見て、スープを飲んでは空を見て、たった一人で、夜の公園でカップラーメンを食べる。

食べ終わった後、ベンチに横になったら、星が見えた。薄雲に覆われた夜空とはいえ、隙間から姿を見せる星はあるものだ。

星を見ていたら、幼い頃のキャンプを思い出した。外でご飯を食べて、静かな星空を見上げた記憶。……それは、実在する記憶なのか、あるいは、酔いも相まって脳が作り上げた、存在しない記憶なのか。今となっては判断することはできない。だが、そのような情景が思い起こされたという事実は、事実であった。

「キャンプの上澄みだな」

思わず独り言が出てしまった。テントなどの道具も用意せず、移動や設営の苦労もせず、寝床の心配もせず、ただ、夜に外で飯を食べるという上澄みだけを掬い取ったような体験。そう感じた俺の口から自然に出てきた言葉だった。

……しばらく星を見てから、俺はカップラーメンのカラを持ち、家に向かって歩き出した。家に帰ればいつもの部屋と寝床が待っている。安心感だ。

これから冬に向かって寒くなっていくだろう。また夜の公園でカップラーメンを食べることはあるだろうか。……そればっかりは、天候と気分しだいといったところか。

俺は公園を後にした。誰もいなくなった公園には、秋の虫の声だけが、静かに響き渡っていた。


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