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【小説】#4 怪奇探偵 白澤探偵事務所|何かがいる家

あらすじ:街はクリスマスムード一色だが事務所は年末に向け忙しい日々が続いている。家に人が居つかないので調査をしてほしいという依頼を受け、依頼人と共に向かった家で野田の見たものは……?
※いつもよりホラー色がちょっと強めです。

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 探偵事務所も年の瀬が近づくとさすがに忙しくなるものらしい。外は赤と緑の装飾で彩られクリスマスムードに溢れているというのに、事務所はと言えば赤はハンコで緑はタイムカードの色だ。
 オーナーの机にあるタイムカードを切り、まずやることは玄関にたまった荷物の仕分けだ。このところはご家庭の大掃除で出てきたよくわからないものの調査依頼が多く、今日届いた荷物以外にも三階の倉庫に依頼を受けたモノたちで山ができてしまっている。
「野田くん、野田くん? お話があるからちょっと来て」
 書類の山からオーナーが手招きをしている。倉庫の荷物も増えるが、オーナーの机にある書類の山もどんどん増えている。昼すぎにはすっきりと片付くのだが、毎日増えていく不思議な書類だ。このままではオーナーが書類の山に埋まってしまいそうなのだが、本人曰く年内に片付くから大丈夫らしい。事務仕事に慣れない身としては、少々不安を感じる量だ。
 開封作業の手を止め、オーナーの机に向かう。倉庫の大掃除を終えてからはオーナーの使う資料を刷ったり、使い終わった機密書類を処分したり、今度は内部の整頓をしている。役に立っているかなと思うことも増えてきたが、あの書類の山を減らす手伝いはまだ難しい。
「今日の外出、君もおいで」
「……今度は犬探しですか?」
 ふ、とオーナーに笑われてしまった。確かに今日の予定では依頼人が来ることと、その調査で外出することは知っていたが、まだ内容までは知らない。先月猫を探した一件もあったしと口に出してはみたが、まったく見当違いだったらしい。
「住宅の環境調査依頼だよ、家を貸しているんだけどすぐに人が出ていってしまうとか」
 依頼された内容と調査項目をまとめた紙を手渡され、上から目を通す。住所を見るに、近年タワーマンションがよく売られている場所だ。都内でも賃貸の家賃相場が高いあたりだろう。環境が良くなっている、ということでもあるから、空き家なんてすぐに埋まりそうなものだが、依頼人の持つ家はそうではないということらしい。
「住宅の調査は珍しくないんだけど、周辺の人的環境で問題らしい問題が見つからなかったから……ちょっと気になってね」
「……じゃあ直接行くっていうのは……」
「家を直接視たほうが早いんじゃないかな、と」
 オーナーは机の上にある書類の山をひとつ抱え、ハンコと朱肉を並べた。依頼人の到着まではひたすら押印の作業らしい。電子化も出来るのだが、依頼人の安心を考えて物理書面にしているのだと聞いた。朝礼を兼ねた情報共有は終わり、業務が始まる。
「依頼人が来るのは十二時頃だから、それまでにこれをまとめて投函しようか」
「……封筒準備しておきます」
「ありがとう、よろしく」
 住所のリストを出して、封筒に印刷して、と覚えたばかりの工程を思い出しながら、頭の端でオーナーの言葉が引っかかっている。
 住宅の周辺環境には特に問題がなくて、家を直接見た方が原因についてわかるかもしれない、と言っていた。家の外観や、中を見て原因がわかるものなのだろうか。それ以外に見るものと言えば、短いながらもここで体験した奇異な出来事を思い出してしまう。口に出してはいけないとか、そこにあるだけで次元が歪むとか。
 あの出来事を思い出すと、背中がさっと冷える。血の気が引くというか、そんなに危ないものが身近にあるのか、という驚きを隠せない。とにかくオーナーから離れないようにしよう、ということだけは決めた。高いところに手が届くから、みたいな理由で呼ばれただけなら良いのだが。

 オーナーの押印が終わった書類を封に詰めること一時間強、机に積んであった書類の山は残り三分の一ほどになった。糊付けした封筒の投函は後で出来るとして、そろそろ依頼人の到着が近い。応接ソファーにまで広がった書類をまとめなくては。
「これ、今日出した方がいいやつですか?」
「明日の分とまとめてしまおう、十通以上あるだろうから……」
「料金別納!」
 覚えたての知識で返事をすれば、書類の束を机にぎゅうと押し込むオーナーがうんうんと頷いている。月末はこれが毎回あるからと言われているのでしばらく忘れることはないだろう。
 封筒の数を数えながら手早くまとめて給湯室兼事務室に封筒を運ぶ途中、背後で来客を知らせるベルが鳴った。ちらと振り返る。
 スーツの男性と、緊張した様子の青年が立っている。スーツの男性は、自分より少し年上くらいだろうか。スーツに着られているわけでもなく、くたびれているわけでもない。隣に並ぶ青年より頭一つ分小さく、一見すると小柄に見える。一緒にいる青年は、青年というにはまだ若く恐らく学生だろう。コートの裾が少し足りず、手首が覗いている。急に身長が伸びた、みたいなひょろ長い体形に昔の自分を少し思い出した。
「こんにちは、依頼していた保志です」
「お待ちしておりました、今日はよろしくお願いします」
 にこやかにオーナーが迎え入れるのを見て、お茶の用意に急ぐ。同行するのであれば俺も同席して聞いた方が良いだろうし、カップは四つ必要だ。駅から歩いてきたのであれば身体が冷えているだろうし、ととりあえずインスタントの緑茶を淹れる。粉末ドリンク、本当に便利で助かる。
 四つをトレイに乗せ、応接ソファーへ急ぐ。資料はテーブルの上に揃っていて、あとは俺が席に着くだけらしい。会話の邪魔にならないようにお茶を配膳し、オーナーの隣に座った。
「助手の野田です、彼も同行しますのでよろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
「保志 司(ほし つかさ)と申します、こっちは弟の光太朗(こうたろう)です」
「お世話になりますっ」
 オーナーに紹介され、ぺこりと頭を下げる。テーブルの向こうで同じようにぺこ、と頭を下げられた。弟の方は声がでかくてハキハキと喋る。年の離れた兄弟らしい。
 挨拶が済めば、依頼の話が始まる。具体的な依頼の内容と、オーナーがすでに調査した内容をまとめた資料がテーブルに広がった。仕事してる感じがする。探偵の仕事だ。
「ご依頼の内容ですが、住宅の環境調査ということでお間違いないでしょうか」
「はい、ご相談したいのは持ち家のことでして」
 オーナーの作った資料のうち、家の外観を撮った写真と周辺の地図が載ったものを手繰り寄せ、お兄さんが指さした。
 家の外観は全く普通の一戸建てである。駅徒歩二十分以内、周辺施設に病院と学校、日用品をそろえられるスーパーと住宅環境はかなり整っているように思う。
「両親の遺した家で築年数が結構古いので、相場より少し家賃を下げて管理会社にお任せしてます」
「今はどなたかお住まいですか?」
「……前に住んでいたご家族が引っ越されたのが半年ほど前で、それからは誰も」
 オーナーが別の資料を添える。在住者調査、というタイトルのついた資料がお兄さんの手に渡った。隣にいる弟がそれをのぞき込み、僅かな沈黙が場を支配する。俺はその間に、ゆっくりと冷めてきたお茶に口を付けた。
「過去にお住まいだったご家族に、こちらの家に住んでいる間に起きたことについて調査しました」
 過去に住んでいたという人たちの口から語られたこととなれば二人も気になるだろう。同じ資料を俺もオーナーから一部貰う。個人名は伏せてあるため、いつこの家に住んでいたひとの残した言葉かはわからないが、大体はどれも同じだ。
「誰かが居る気がする、っていうのが共通してますね」
 口に出せば、資料を手にしたお兄さんが小さくため息をついた。
「よく、言われるんですよね。この家で何かがあったわけではないんですけど……」
 お兄さんが机に戻した資料を、隣にいた弟が拾ってじっくりと目を通す。二人はこの家を賃貸に出しているということは、住民たちの言う誰かが居るという感覚を実感したことはないのだろう。
「土地自体も調べてみましたが、特段何か曰く付きというわけでもありませんね」
 オーナーはまた別の資料を添える。いつの間にこんなことを調べたのだろう、書類の押印とよくわからない謎の品々を鑑定している姿しか近頃見ていなかったのに。
「環境調査で原因がわからないのであれば、直接視たほうがお役に立てると思います」
 テーブルに並んだ三種の資料をまとめ、お兄さんに手渡す。土地自体がどうとか、住んでいた人たちの話だとか、そういう資料を見る限り、家自体を直接見ないと何とも言えない。薄々ではあるが、同行を求められた理由がわかってきた。また変なものを見つけることになりそうな気がする。
「そうですね……」
 お兄さんは書類を三つともまとめ、オーナーをじっと見る。見つめるというより、射抜くような視線だった。横で見ている俺のほうが緊張するような、何かを探るような目に少しまごつく。弟の方は人好きのするやわらかな顔立ちなのに対して、お兄さんは目つきが鋭く、どこか険しい印象がある。人の顔のことに口を出せるような顔をしていないけれど、視線に意味を感じてしまうような、そういう沈黙があった。
「……視ていただけますか、白澤さん」
「わかりました、では家まで向かいましょう」
 オーナーはそういう視線に慣れているのか、動じもせずににっこりと微笑んでいる。車のカギを取ってくるから、と二階に上がるオーナーの背中を見送り、冷めてしまったお茶をそっと片付ける。
「すいません、せっかく淹れていただいたのに」
 申し訳なさそうに弟が頭を下げる。ほとんど話を聞いているだけだろうに、落ち着いていておとなしい子だ。というより大人が話してばかりだから退屈だったかもしれないと今更気付く。
「支度の間お待たせしますから、淹れ直してきますよ。ちょっと待っててください」
 敬語ってこうでいいんだっけ、とぎこちない言葉遣いの自分にまだ慣れない。手早く新しいカップに緑茶を淹れて依頼人兄弟にお出しし、オーナーの後を追いかけるように二階へ上った。出かける準備をしなくては。何か変なものを見るかもしれないという覚悟を、少しだけ固めた。

 保志さんの家まで、オーナーの運転で向かう。レンタルしたワンボックスの助手席にお兄さんが座り、後部席に俺と弟さんが並ぶ。シートベルトを締めて、後は到着まで待つだけだ。
「野田さんは、ずっと探偵さんですか?」
 隣に座っていた弟さんが、好奇心に満ちた目でこっそりと尋ねてくる。この図体と顔の傷跡のせいか、初対面で朗らかに話しかけてくる相手はキャッチか宗教勧誘くらいだったので面食らってしまった。探偵という職だと、傷跡もそこまで変に見えないものなのだろうか。いや、探偵に何かを依頼をするという人たちはそもそも人の容姿を気にしないものなのかもしれない。そういえば前の依頼人も特に気にしている様子がなかったな、と思い出す。
「いや、俺は探偵助手で……それも一か月くらい前からなんで、そんなに」
「そうなんだあ……あっ、ええと」
 敬語がゆるくほどけた瞬間に、自分でぱっと口を抑えるしぐさについ笑ってしまう。普段使わない口調なんて慣れなくて喋りづらいのだろう。わかる。俺もいまだに上手くないし口がむずむずする。運転席にいるオーナーと、助手席にいるお兄さんはこれからどういった道を通るかの相談中で、後部席の会話は聞こえていない。それならば、多少砕けた会話をしても良いだろう。
「いいすよ、楽にお喋りして」
「……良いですか?」
「全然」
 仕事をしている大人たちの会話に混ざるわけにもいかないだろうし、俺相手くらいは多少気が抜けた方が良い。その方が俺の気も紛れて助かるというのもある。構わないと言えば、ほっとしたようで表情が緩んだ。今まで緊張しきりだったらしく、小声での会話が弾む。
「探偵ってどんなお仕事なのかなって、聞いてみたくて」
「……今のところ倉庫の大掃除と猫探しくらい」
 あの倉庫の惨状を口で説明するのは苦労した。個人情報や、事務所内部の情報に触れないように掻い摘んで話をする。変なコインの話や、口に出してはいけない文字を浮かべた写真なんてのも話せないから自然に掃除の話が多くなった。探偵というより、家事手伝いなのでは、と少しだけ思う。それで役に立っているからいいけども、助手として話すにしてはあまりに地味だ。それでも弟さんにとっては面白い話だったようで、到着までの暇つぶしにはなった。
「終わりが見えないと結構絶望するよな……」
「オレも兄ちゃんの部屋掃除してるときよく思う!」
「兄ちゃんの部屋の話はやめろー、汚いってバレる」
 助手席から飛んできた声につい笑ってしまう。自分で言ってると突っ込む前に、弟さんがお兄さんの部屋に無限に積んである本とか、どこから湧いてきたかわからない電子機器の山とか、片っぽだけになってしまった靴下の話を繰り広げてしまったので何となく部屋が想像できてしまった。
 前後の席で部屋の掃除がとか、朝起こさないと起きないとか、和気あいあいとした様子を見るに、随分仲の良い兄弟のようで微笑ましい。
「そろそろ着きますね」
 オーナーの声に顔上げ、車の外を見れば新宿のビル群はすでに遠く小ぎれいな住宅街が広がっている。街ゆく人々はすれ違うときに穏やかな視線を交わし、小さな公園は親子で賑わっていて、なんというか、豊かな雰囲気だ。経済的にも、精神的にも余裕があるような、そんな空気がある。
「では皆さんを一度家の前に降ろしてから車をパーキングに入れてきますね」
「いえ、駐車場があるのでこのまま向かってください」
 都内高級住宅街にある駐車場付き一戸建て、近隣にスーパー病院学校あり。ポスティングでよく見たタワーマンションの文言が脳裏に浮かぶ。
「一戸建ての駐車場だから、家賃込みで使えるやつ……すよね?」
「そうですねー、管理費とか共益費みたいなのはいただいてなくて」
 俺が前に借りていた狭い部屋は家賃のほかに駐輪場の管理費まで取られていたというのに、一戸建てに駐車場がついて家賃が相場より低いと来たら借り手もつきそうなものだが、それでも入居者が付かないというのだから原因も知りたくなるだろう。実際、俺自身も家に興味を抱き始めていた。
「何もないといいなあ……」
 隣に座っている弟さんがほとんど独り言のように漏らす言葉に、解決してあげられたら良いなと思う。その家に何があるのか、これから何を視ないといけないのか考えるのは、ほんの少し怖いけれど。

 家は拍子抜けするほど普通の家だった。いや、築年数にしては綺麗な方だろうか。駐車場はワンボックスカーが悠々停められ、小さな庭に立って家を見上げる。庭には何も植わっていなくてがらんとしているが、猫の額ほどとはいえあるとないでは印象が違うだろう。
「普通の家だよねえ」
「普通の家だなあ……」
 弟さんと並んで、薄青の外壁を見上げる。窓にはすべて薄いレースのカーテンが引いてあり、無人ということはすぐにわかる状態だ。人の気配がない家は妙に静かで、落ち着かない。
 落ち着かない理由は家の静かさ以外にもあった。車を降りた瞬間から、なんとなく気持ちが悪い。吐きそうというわけではないが、胸がむかむかするような不快感があった。これが乗り物酔いというものだろうか。
「今、鍵を開けますね。光太朗、兄ちゃんの鞄持って」
 ドアには三つの鍵が付いている。お兄さんの持つ鍵は二つだから、鍵穴のうち一つは防犯用のフェイクなのだろう。それがもともと家にあったものなのか、家に安心してもらうために後からつけられたものなのか、どちらなのだろうと考えてしまった。
 ぽん、と肩を叩かれた。ゆっくり振り返れば、オーナーが顔をのぞき込んでくる。距離の近さに半歩下がれば、すぐに距離を詰められた。
「野田くん、顔色が良くないね?」
 満員電車にでも乗らない限り他人に近寄られることはないからぎょっとしたが、人の目から見てわかるほど顔色が悪いらしい。確かに調子は悪いが、立っていられないほどでもなく、今すぐ吐きそうという感じでもない。家の中を見るだけなら支障はない、と思う。熱があっても軽作業のバイトは出来たから、これくらいは問題ないの範囲だ。
「大丈夫っす、たぶん乗り物酔いなんで……」
「具合悪くなったらいつでも休んでいいから。無理しないように」
「お二人とも、もう入れますよー」
 オーナーにしっかりと言い含められ、玄関にいるお兄さんに今行きますと返事をして小走りに移動した。問題がないということは、実際に動いてみせなければわからないと思う。それに、仕事をしていれば気がまぎれるかもしれない。
「スリッパ出しておいたので、使ってください」
「あ、どうもすみません……お借りします」
 弟さんはすでに家の中を見回っているらしく、姿が見えない。玄関に上がって靴を脱ぎ、自分の足より少し小さいスリッパに足を通す。
 いたって普通の家、という印象だ。ただ、電気が点かないらしく、部屋の中はカーテンに遮られて薄暗い。後ろに白澤さんが控えているからとりあえず家の中へと踏み出した瞬間、視界の端に何かが映った。
 何かが動いた気がする。黒い影。虫ではない。ネズミとも違った。ぱっと顔をあげて玄関を振り返れば、目を丸くしたオーナーと目が合う。
「……どうかしたかい?」
「何か……いや、何でもないんですけど」
「おかえり!」
 すぐ後ろから声がして、振り返る。お兄さんも部屋に移動したらしく、姿がない。聞いたことのない声がした。小さな子供の高い声だ。外から聞こえたにしては、近すぎる。でも誰もいない。
「本当に何でもない?」
「オーナー、今なんか、しゃべりました? それとも弟さん?」
「私は喋ってないけど……野田くん?」
 オーナーは目を丸くしている。よくわからない。隣の家の声を聞き間違えたのかもしれない。住宅街だから。子供の声は響くから。そうだ、たぶん、そうだと思う。後ろから聞こえたように感じただけだ。これは相当具合が悪いのかもしれない。人に心配されるくらいだから、聞き間違いもするだろう。
「お部屋、案内しますね」
「あ、ハイ!」
 お兄さんに呼ばれて、近くにある部屋に入った。オーナーが玄関の扉を閉める音がする。車酔いは、まだよくならない。

 当たり前ではあるが、無人の家だから何もない。カウンターキッチンのついたリビングに、ここにテーブルがあったのだろうなと想像をするくらいだ。カーテンを開けてようやく薄暗さが紛れる。
「定期的に害虫や害獣駆除の依頼はしていて、先週も業者に入ってもらってます」
 お兄さんの鞄から出てきた清掃業者の領収書の日付は、確かに先週のものだ。害虫の発見なし、害獣の発見なし、と清掃のチェックリストが添付されている。メモにはたいへん綺麗なお宅でした、とメッセージが添えてある。担当者の書きこんだものらしい。
「家の中は自由に見てもらって構いませんので、よろしくお願いします」
「わかりました、では色々見てみますね」
 同じく鞄から出てきた間取りを示す紙を預かる。南東向き、木造の二階建て。一階にダイニングキッチンと繋がるリビング、洋室があり、玄関から入ってすぐの階段で二階へ行ける。二階には洋室が三部屋。風呂は一か所、トイレは二か所と、どこをとってみても普通の4LDKだ。
「野田くん、何か視えたら教えて」
「了解っす」
 ダイニングキッチンは、特に何も感じない。目を瞑ってみても眩しく感じないから、ここには何もないと見て良いだろう。オーナーは隣の洋室を覗き、小さく首を傾げた。
「音は聞こえるんだけど……」
「音、ですか?」
「視えるだけじゃなくて、聞こえたことも覚えておいて」
「わかりました」
 さっき聞こえた声のことも、もしかしたら言った方がいいかもしれない。すべての部屋を見てから考えよう、と隣の洋室を同じようにのぞき込むと、床に本が落ちていた。
 何もないがらんとした部屋に、本が一冊。文庫本だ。茶色い革のカバーがかけられている。
 清掃業者が入っていて、何かが落ちているということはないだろう。忘れ物というにしては堂々としすぎているし、さっきこの部屋を見たオーナーが気付いていないということは、と考えてしゃがみ込む。
 本を拾い上げようと床に手をつけたが、本を掴むことはできない。なんというか、ここにあるのにない、みたいな。
「オーナー!」
 本から目を離してはいけない気がして、そのままオーナーを呼ぶ。少し離れた場所から返事があって、スリッパがぱたぱたと走る音が聞こえた。本はまだそこにある。
 瞬間、すぐ近くで電子音が鳴った。それが電話の着信音だと気が付くのに時間がかかったのは、ポケットにいれた俺の端末から鳴るような音ではないからだ。聞きなれない着信音は、三コール分流れて途切れた。昔、実家にあった固定電話がこんな音だったような気がする。
「野田くん、何か見つけた?」
「電話の音がしました、あとここに本があって……掴めないです」
 床にある本を指し示す。オーナーはサングラスの奥にある目を細めて本を見て、腕を組んだ。
「気が付かなかったな、モノのお化けかー……」
「……お化けなんですか、これ?」
「いや、この家にいるひとの持ち物というか……」
 はっきりしない物言いに、どういうことですかと言うより先にオーナーにぽんと肩を叩かれた。見れば、洋室の入り口にそっと弟さんが立っている。後で話す、という意味と理解して、一度立ち上がった。
「探偵さん、何か見つかった?」
「この部屋は何も。これから二階にいこうかと」
「そうなんだ。階段、ちょっと滑るから気を付けてね」
 俺は兄ちゃんのところにいくから、と言って弟さんはリビングの方へ向かっていった。仕事をしているのを見られて困るわけではないが、依頼人の前で掴めない本や音の出どころのわからない電話の音の話をするのは不適切な気がする。何というか、怖がらせてしまいそうで。
「二階の部屋を一通り見たら、外から家を見てみようか。野田くん、先に出てる?」
「一緒にいきます」
「わかった、行こう」
 洋室を出て、階段を登る。車酔いはまだ続いていて、変わらず気分が悪い。外の空気でも吸って休めという意味だとはわかっていたが、時間をおいても変わらないなら今すぐ調べてしまった方がいい。
 オーナーの後に続いて階段を登る。とん、とん、とん、という足音が、一つ多く聞こえる。この家で起きる音は、気のせいではない。
「足音、一つ、多くないですか?」
「保志さんのご両親の、どちらかだと思う」
「それは……いわゆる地縛霊的な……?」
 弟さんはまだ学生のようだし、息子二人を残して死んだ未練とかそういうものだろうか。フィクションならそうだよな、と思うがあいにくこれは現実である。
「いや、悪いものではないんだ。未練はあるだろうがね」
 階段を登り終え、二階の三部屋を順番に見る。
 階段に一番近い部屋は何もなかった。日当たりが良く、この家の中で一番暖かい。南側の部屋にはペンが落ちていた。これもまた拾えない。部屋を出る瞬間、また電話の音がした。
「悪いものじゃないなら、なんで……人が居つかないんですかね」
「悪いものが時々通ってる」
 何故か香ばしいパンの匂いがした。部屋を振り返る。階下からは兄弟の声が遠く聞こえるくらいで、食べ物の気配はない。
「匂いはよくないものだね」
「よくないって、どういう種類の?」
「……人をびっくりさせたりする感じ?」
 パンの焼ける香ばしい匂いの何がよくないのだろうと思ったが、深く考えるのはやめた。何が焼けているのだろうとか、似たような別のものの匂いかも、と想像が先に走ったからだ。やめよう。しばらくパンが焼けなくなる。
「理由がなければこんなに悪いものは通らないから、どこかにこれを呼び込んでいるものがある」
 二階にある最後の一室へ入る。三部屋のうち二部屋に何もなかったのだから、原因があるとしたらこの部屋しかない。北向きの涼しい部屋で、日が当たらないから、他の部屋に比べてひんやりしている。
 オーナーの後に続いて恐る恐る部屋に入る。電話の音も、パンの香ばしい匂いもない。本やペンも落ちていないし、しいて言えば部屋全体が薄暗いくらいで何も見えない。
「野田くん、どう?」
「部屋自体が暗いなーってことはわかりますけど……目瞑ってみます」
 コインを見つけた時みたいにうまくいくかはわからないけれど、目を瞑ってみる。そのまま明るく感じる場所がないか部屋の中を少し歩いた。目の高さにあるものは、眩しく感じない。下を向く。何もなさそうだ。上を向く。目を瞑っているのに、眩しい。目を開けて視るとただの薄暗い部屋の天井なのだが、目を瞑ると発光しているのではと思うくらい眩しい。
「天井か屋根ですかね、眩しいです」
「眩しく感じる?」
「結構強い光みたいな……」
「白澤さん、すみません。伝え忘れていたことが……」
 ぽそぽそと会話している背後から声をかけられ、驚いて会話を中断してしまった。部屋の入り口を振り返れば、目を丸くしているお兄さんと目が合う。
「この部屋に屋根裏部屋があるのを思い出して」
 天井を見る。どこにも、それらしい入り口は見えない。瞬きのたびに眩しくて、床に視線を落とした。目頭をぎゅっとおさえて、二度瞬きをする。さっきよりはましになった、と思う。
「父が隠し部屋にあこがれていたみたいで、ちょっと特殊なんですよ」
 洋室に備え付けられていたクローゼットを開け、レールの一部を外して細長い棒を作る。棒で天井の端を突くと取っ手が現れ、棒の先端に引っ掛けてぐいと引けば天井の一部がスライドしてぽっかりと入り口が開いた。まさしく隠し部屋だ。何というか、ロマンの塊である。
「すっかり忘れてましたよ」
「ロマンですね」
 オーナーは微笑ましい目で天井の入り口を見上げている。恐らく元凶はあそこにある、という算段がついて少しほっとした。
「梯子もクローゼットの天井に隠してあって……」
「あ、手伝いますよ。クローゼット見せてください」
 お兄さんに変わってクローゼットの天井にはめ込まれた梯子を下ろす。ぴったり天井にはめ込むようなサイズで作られていたらしく、今まで落ちるとか見つかることもなかったらしい。梯子はずっしりと重たい。
 梯子を伸ばし、屋根裏部屋の入り口へかける。縦に伸びた梯子へ足をかける。ぎしり、と梯子が軋んで一度離れた。振り返るとオーナーとお兄さんが一定の距離を置いてこちらを見ている。
「梯子、いけますかね?」
「父が使っていたので、大人ひとり分の体重は支えられると思いますが……」
 お兄さんは小柄で、弟さんは身長が高い。二人とも体形は痩せ型に見える。ご両親の体形が全く想像できないが、大人ひとり分に耐えられると信じて再び梯子に足をかけた。
 梯子を少し上がった時点で、屋根裏部屋の中身が見えてくる。どうやらこの部屋は今までの住民も全く気が付かなかったらしく、埃が積もっている。荷物はないが、部屋の奥に何か、小さな箱状のものが置いてあった。目を瞑るまでもなく理解できる。あれが元凶だ。
「何かありますね、木箱っぽいです」
「わかった、私が回収するから代わって」
 触るな、という意味と捉えて梯子を下りる。下りるときもぎしぎし鳴ったので、恐らく大人ひとりにしても小柄か痩せ型の人が対象になりそうだ。オーナーがするすると登るときには軋む音すらしなかった。
 お兄さんは天井の方を見つめている。位置的に、木箱の置いてあったあたりだ。倣ってそのあたりを黙って見上げた。瞬きをするたびに眩しさが減っていく。
 ほとんど眩しさを感じなくなったあたりで、天井がきしきしと鳴った。どうやら終わったらしい。ほどなくオーナーが下りてきて、手の中には小さな木箱が収まっている。木組みで簡単には開かなさそうだ。
「これが原因でした。処置はしたので、家はもう大丈夫です」
 オーナーから木箱を預かる。片手に収まるサイズで、振るとかさかさと音がする。開け口は見つからないから、たぶん開かない。開けない方が良い。
「屋根裏部屋の存在を知っているのは、お父様のほかにいました?」
 オーナーはやわらかな声でお兄さんに尋ねる。その質問は、ほぼほぼ犯人捜しをしているようなものだ。
「父の親類に厄介なのがいまして、何かあるならその人ですね」
 こういう細工を使ってきそうなタイプなので、と言葉を添えられ薄く鳥肌が立った。何の理由があって人の家に悪いものを呼び込む細工など仕組むのだろうか。嫌がらせでも悪意でも、この家に住む人、ひいては兄弟を困らせる理由が全く想像できない。
「あんな評判の悪い家持っていてもしょうがないから譲れ、と言われてまして……評判が悪いっていうのは私しか知らないはずなんですがね」
 お兄さんは原因と元凶が同時にわかったのが面白くなってきたらしく、くすくすと笑っている。心当たりとして存在がすぐに浮かぶあたり、よっぽどしつこく困らされていたのかもしれない。
「仕掛けた人間にちょっとした仕返しが出来ますが、手配しますか?」
 え、と声が出そうになって喉で堪えた。仕返しをしよう、なんて提案がオーナーから出てくるとは思わなかった。ちらとお兄さんを見れば、楽しげに頷いている。
「いい提案をどうも。サービスが行き届いてますね」
「向こうで相談しましょうか、野田くんは弟さんのところに行ってあげて」
「……わかりました」
 手のひらにあった木箱は、オーナーに回収されていった。具体的にどういった仕返しをするのかはわからないが、これから行われる相談は聞かず、原因が見つかったことを弟さんに伝えようと一階へ降りる。もう電話の音も、パンの匂いもしなかった。ペンは、まだ落ちていた。

 リビングに入ってまず目に入ったのは、床でごろごろと転がる弟さんだった。入ってきたのが俺だったので、慌てて起き上がって正座になる。そんなに真面目にしなくても大丈夫と足を崩してもらい、同じように適当に座った。
「探偵さん、……何か変なもの、あった?」
「変なものっていうか……原因は見つけて、オーナーが色々してくれた」
「もう大丈夫ってこと?」
 はっきりと大丈夫と言い切っていいかわからなかったが、部屋のどこにも眩しいと感じないし、気分が悪かったのが随分よくなっている。弟さんに関わる範囲で言えば、もう問題はないと見て良いだろう。
「うん、大丈夫」
「よかったあー……見つけてくれてありがとう、野田さん」
「いや、ええと、……どういたしまして」
 お仕事だからとか、まあそういうものだからというのはあまりに冷たい気がして、お互いにぺこりと頭を下げた。探偵助手を初めて、まっすぐお礼を言われると照れるということを知った。嫌味でない感謝の言葉というのは、うれしい。
「この家、両親の形見だからずっと気になってて……もう大丈夫なら、良かった」
 原因が見つかってよかった、と同じように安堵する。ふと顔をあげると、キッチンカウンターに茶色の革カバーをかけた文庫本が見えた。ペンも乗っている。その奥に、背の高い誰かが立っているのが見えた。顔はぼやけていて見えない。細身の男性だ。黒いニットが透けている。
 この家にはご両親のどちらかがまだ残っているとオーナーが言っていたのを思い出した。見えないはずのものが見えているはずなのに、怖くもないし気分も悪くならない。居るな、と思うだけだ。
「もう、何も起きないから、大丈夫」
 聞こえているかどうかはわからないけれど、重ねて言った。瞬きを二度したら、本も男性も見えなくなった。弟さんは二階を気にしている。お兄さんを待っているのだろう。さっきお父さんが見えたよ、なんて言うことはできなくて、そのまま黙っていた。
「お待たせ、兄ちゃんが戻ったぞ」
「二階の片付けも終わったので、もう出られますよ」
 そういえば屋根裏部屋の後始末を忘れていた。二人は仕返しの算段を立てながら片付けをしたらしく、少しスーツが汚れている。オーナーは木箱をどこかへしまったらしく、手ぶらだった。
「今日は東京にお泊りですか?」
「いえ、これから新幹線で帰ろうかと」
 腕時計を見る。時刻は午後四時過ぎ、すでに日が傾きつつある。冬至を過ぎたから日の長さは徐々に戻るだろうが、日が沈むのは早い。
「クリスマスだからねー、冷蔵庫にチキン用意してたんだ! 鳥焼かなきゃクリスマスって感じがしないし」
「ケーキもな」
 兄弟の仲睦まじい姿を見ていると、仲良しだなと微笑ましくなるのと同時に鼻の奥がつんと痛くなる。痛みには気づかないふりをする。クリスマスに支度をする、というのは少し苦い記憶なのだ。特に、兄弟のためにというのは。
「お帰りは……品川駅からですかね、お送りします」
「何から何までお世話になってすみません」
「いえ、これからもお世話になりますから」
 今後ともよろしく、とやり取りをする二人を弟さんが不思議そうな顔で見つめている。例の仕返しの件を含め、まだお付き合いは続きそうだ。
 全ての部屋の戸締りをし、家を出る。もう本も落ちていないし、誰かの声が聞こえることはなかった。

 兄弟を品川まで送り、時計は五時を指している。辺りは暗く、イルミネーションの光が煌めいていて、無限にテールランプが続いている。帰宅ラッシュの渋滞にハマったらしく、身動きがとれなくなってしまった。
「二人を送った後でよかったっすね」
「私と野田くんなら時間を気にしなくてもいいからねえ」
 会話が途切れた隙間にラジオの軽快なメロディーが挟まる。クリスマスは誰と過ごしますか、なんて話題と共にラブソングが流れ、ラジオCMでは家族で過ごそうというあたたかなメッセージが続く。
「仲の良い兄弟でしたね」
 駅で見送った二人のことを思い出す。家の件が解決したからか、二人とも和気あいあいとした空気が微笑ましかった。
「ちょっと弟のこと思い出しましたよ、俺」
「……野田くん兄弟いるんだ?」
「妹もいますよ」
 うちはクリスマスに鳥を焼くなんてなかなかできなくて、手羽先を焼いてやるくらいがせいぜいだったな、なんてしなくてもいいような話をしてしまう。渋滞はまだ解けそうになく、空白の時間を凌ぐ話題もきわどくなってきた。兄弟の話なんて、オーナーにしたいわけではないのだ。
「……ちょっと真面目に聞きたいことがあるんですけど」
「何かな」
 車が少し進んで、また止まった。オーナーがラジオの音量を下げる。真面目な話の空気は重たくて、苦手だ。
「今までなんか見えるとかなかったんすけど……お化けっていうか、コインの場所が何となくわかるとか……そういうの、助手っていうか、オーナーに迷惑かけてないですか?」
 コインのときは、偶然で済んだ。写真に変な文字を見つけたのもたまたまだと思う。ただ、今日は偶然やたまたまでは済まないくらい、色々なものが聞こえたし、見えてしまった。
「迷惑なんてとんでもない、すごく助かってるよ」
 車が進まないから、オーナーは助手席にいる俺の方を見てきっぱりと言い切った。そこまで強く言い切ってくれるのだから本音だと信じたいが、こうも変なものが見えたり聞こえたりするのは初めてで不安もある。
「こんなに早く視る力が強くなると思ってなかったから、説明が全部後回しになってしまったけど……」
「そういうのを視るっていうのも、普通の探偵とちょっと違いますよね?」
 オーナーも何かやってるし、と添えればオーナーの膝の上に転がる木箱をつい見てしまう。今までフィクションだと思っていた色々なものが、あまりに近くにありすぎる。
「うちは怪奇調査も扱う探偵でね、怪奇探偵って言われることもある」
「じゃああの、変なコインとか、写真の呪文とか……」
「そういうのを調べたり、片付けたりする」
 車がほんの少し進み、また止まった。しばらく動きそうにない。東京を車で移動するとこんなことがあるのだな、というのを初めて知った。
「……辞めたくなったかい?」
 オーナーの切れ長の目がこちらを見る。心なしか名残惜しそうな、さみしそうな目で、思わず見つめ返してしまった。辞めたいなら、こんなことは言い出していない。
「俺、オーナーに迷惑かけたくないんですよ……辞めたくないから」
 とにかく、今までトラブルばかりの人生だった。特に仕事には苦労させられた。まともに教育されたことがないとか、募集要項と全く違うことをさせられるとか、挙句の果てにはミスを押し付けられて解雇されるとか、最近ではその気配を感じたらすぐに仕事をばっくれては別の仕事につく有様でまともに働いた試しがない。
 傷跡が残る顔は印象が悪いからだろうと諦めて過ごしてきたのだが、ここでは人間として扱ってもらえている。だから、辞めたくなかった。続けたいと思っているのだ。ぽつぽつと今までにあったことを話す間、車は少しずつ前に進んだ。
「苦労してきたんだねえ」
「……いや、何かすみません、ずっと俺が喋ってて」
「対人トラブルが多かったのは、野田くんがよくないものを見つけてしまいやすいからだろうね」
 よくないもの、とつい復唱をしてしまう。今日見たものとか、コインとか、写真の文字とかと同じよくないものだろうか。
「図星を突いてしまうというか……人が隠してるものとかも見つけてしまうというか……」
「……喋るなってよく言われてました」
 あまり思い出したくもない記憶だ。提案しろと言われたから発言したら何も言うなと言われ、黙っていれば目で訴えるなと言われ、じゃあもうどうしろっていうんだと俯いていた。あれは何年前だっただろう。これ以上思い出すのはもうやめた。
「私は視る力が強くないから、野田くんの目にはとても助けられているし、できれば今後も一緒に続けていきたいと思ってるよ」
 辞めたいって言われるのかと思ったなんて笑っているオーナーを見て、安堵で力が抜けた。このままここに居てもいいんだ。ここなら大丈夫だという安心感を、手放したくはなかった。
「ただ、今のままだと見えすぎて疲れてしまうと思うから、視る力を一時的に抑えるお守りをあげよう」
「持ってるだけでいいんですか?」
「ポケットにいれるとか、傍に置いておくだけでもいいよ」
 オーナーはコートのポケットからお守りを二つ取り出して、俺の手のひらに乗せた。赤いものと、緑のものがある。神社で交通安全祈願や安産祈願とか書いてあるよく見るお守りと違い、革を縫って作られたものだ。中には何かが入っているようで、触ると内側がかさかさと音を立てた。
「あ、これクリスマスプレゼントみたいだね? 赤と緑だし」
 クリスマスプレゼントに身を守るお守りというのは、何というか、本来の行事から離れていて少し面白い。そもそも宗教自体違う。オーナーのくれたお守りの宗派は全くわからないけれど。
「うちもチキン焼きますか、クリスマスだから」
「ホームパーティだね、このまま買い物にいくのもいい」
 音量を絞ったラジオからは賑やかなクリスマスソングが聞こえる。帰宅ラッシュの渋滞はまだ動きそうになく、テールランプが延々と続いている。家に帰ったら鳥を焼こう。クリスマスだから。ケーキはオーナーに見立ててもらおうなんて考えて、妙にはしゃいでいる自分に気付いて笑ってしまった。